こんにちわ、「くまドン」です。
今回は、文京区(ぶんきょうく)の湯島天神(ゆしまてんじん、湯島天満宮)の梅まつりの風景の続きです。
(絵画調)
下の絵は名所江戸百景「第117景 湯しま天神坂上眺望」(冬景)です。
湯島天神は本郷台地の東端の崖沿いにあり、結構な高さがありました。高い建物の無い江戸時代は、東側の坂を登った所から北東方向を眺めると、不忍池(しのばずのいけ)を見下ろして眺める事ができる展望ポイントだったのです。
広重の絵は、この場所からの降雪後の眺めを描いています。正面の不忍池には、弁天社のある中島、上野(うえの)の山の寛永寺の寺院が描かれています。
左端の鳥居が湯島天神の鳥居で、茶屋の提灯(ちょうちん)などの赤色が白一色となった絵に彩りを添えています。正面の女坂や右端の男坂を登ってきた人の姿が傘(かさ)と頭巾(ずきん)を被っている事から、雪がやんだ後の参詣であることを物語っています。
湯島天神は本郷台地の東端にあり、東と北が崖で不忍池の展望が良かったのですが、現在は高いビルが立ち並び、神社の階段と坂が往時をしのばせています。
撮影方向は逆向きなりますが、湯島天神の境内から女坂と付近の梅を入れて構図を作りました。
この写真を、広重の名所江戸百景「第117景 湯しま天神坂上眺望」に対応する「くまドン板」の景(確定・春景)とさせていただきます。
(このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)
広重の絵に描かれた女坂は、北向きの所々に平坦な場所のある緩やかな階段となっています。
広重の絵の右側に描かれている直登の男坂です。江戸時代は、この男坂の下が湯島天神の表門でした。
(絵画調)
江戸時代は、上野(うえの)にある寛永寺(かんえいじ)が別当(べっとう、神社を管理するお寺)となります。寛永寺の子院(しいん、支院)である湯島・喜見院が担当をしていました。
横道にそれますが、仏教には喜見城(きけんじょう)という話があります。
「須弥山(しゅみせん)の頂上の利天(とうりてん)にある帝釈天(たいしゃくてん)の居城。七宝で飾られ、庭園では諸天人が遊び戯れるというので、楽園にたとえられています。」
男坂を降りた所には、湯島聖天(ゆしましょうてん)があります。
室町時代は、この付近が太田道灌(おおたどうかん)の御殿・皓月亭跡だったという話も伝わります。
(皓月(こうげつ)は、明るく照り輝く月の意味です。)
【湯島聖天(ゆしましょうてん)、天台宗の寺、寺名は「心城院(しんじょういん)」】
湯島聖天は、喜見院の「宝珠弁財天堂」と呼ばれる建物でしたが、5代・綱吉(つなよし)の元禄年間に天神様(菅原道真)と縁の深い聖天様(しょうてんさま、歓喜天)を、この弁財天堂に安置したことから始まっています。
8代・吉宗(よしむね)の享保年間に、寺門維持のため幕府から「富くじ」興業(現在の宝くじ)が行われるようになりました。江戸では、谷中・感応寺(天王寺)、目黒・瀧泉寺(目黒不動)、喜見院(湯島天神)が「江戸の三富」と言われ、庶民の間で賑わっていました。
明治維新の神仏分離令で喜見院は廃寺、湯島天神は存続となりました。
湯島聖天(弁財天堂)は、湯島天神との本末関係を断つことにより廃仏を逃れ、現在に続いています。
単独の寺院として歩み出した当山は、建立当時の因縁により天台宗に属し、寺名を「心城院」と改めました。
(下の写真は、枝がうるさくなるので、上と下をトリミング(画像の切取り)しています。)
驚いた事に、この湯島聖天は、度重なる江戸の大火や、関東大震災、大戦中の戦火にも消失する事無く残り、300年間ここにあったそうです。近年、さすがに老朽化により建て替えとなりました。
湯島天神も、明治18年に建てた社殿の老朽化により、平成7年に総檜(ひのき)造りで建て替えとなりました。
一応、湯島天神の梅まつりの内容を簡単に残しておきます。何度も書きますが、「くまドン」は祭りとは無関係です。(念のため) (予定は変更になる可能性もあります。インターネットなどでお調べください。)
【湯島天神】
日時:平成26年2月8日~3月9日 8:00~19:30
平成26年3月1日の時点で、4分~8分咲きです。見頃に入ったそうです。
イベントや奉納もあります。(雨天中止になる場合もあります。)
下の写真は昨年・平成25年5月の例祭の時に撮影した写真です。太鼓をたたくポーズが良いので撮影向きです。
湯島白梅神太鼓 3月8日(土) 15:00~ その他の奉納も12:00からあります。(雨天中止)
太鼓をたたいているのは、湯島の白梅商店街の方々です。ブログに出すタイミングが無かったので、ここで出します。
野点(裏千家) 3月9日(日) 11:00~ (雨天中止)梅園の中でお点前を(お茶券500円)
こちらの写真も昨年・平成25年2月の撮影です。
(絵画調)
カラオケコンクール(決勝) 3月9日(日) 12:00~
東京都立工芸高校工芸祭作品展 2月8日~3月9日
和紙人形特別展 2月8日~3月9日(北回廊)
最後は、湯島天神の庭に咲いていた、春を告げる花のフクジュソウ(福寿草)で終わります。
一応、亀戸天神の情報もいれておきます。
【亀戸天神の梅まつり】
日時: 2014年2月9日(土)~3月9日(日) (例年は2月第2日曜日から3月第2日曜日まで)
梅の開花状況は、亀戸天神のホームページでご確認ください。
以前のブログとして、亀戸天神の梅まつりのブログは、
「名所江戸百景164 第30景 亀戸梅屋舗 亀戸天神梅 まつり」
JR御茶ノ水駅の近くにある神田明神のブログは、
「名所江戸百景006 第10景 神田明神曙之景 桜」
神田明神の北西側は不忍池が近いので、上野公園のブログは、
「名所江戸百景003 第11景/第12景/第13景/第89景 上野公園と桜①」
②もあります。(ブログ先頭の枠に前後のブログが表示されていますので、クリックすると、そのブログに飛びます。)
今回は、これで終了とさせていただきます。
くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
梅も見頃を迎えましたので、今週の週末は、梅まつりの最後の週末ですので、天気が良くなる事を祈ります。
次回も梅の景の予定です。
日本プログ村に参加しています。良ければ、「ポチッ」応援お願いします。(携帯からは無効ですので、不要です。)
今回は、文京区(ぶんきょうく)の湯島天神(ゆしまてんじん、湯島天満宮)の梅まつりの風景の続きです。
(絵画調)
下の絵は名所江戸百景「第117景 湯しま天神坂上眺望」(冬景)です。
湯島天神は本郷台地の東端の崖沿いにあり、結構な高さがありました。高い建物の無い江戸時代は、東側の坂を登った所から北東方向を眺めると、不忍池(しのばずのいけ)を見下ろして眺める事ができる展望ポイントだったのです。
広重の絵は、この場所からの降雪後の眺めを描いています。正面の不忍池には、弁天社のある中島、上野(うえの)の山の寛永寺の寺院が描かれています。
左端の鳥居が湯島天神の鳥居で、茶屋の提灯(ちょうちん)などの赤色が白一色となった絵に彩りを添えています。正面の女坂や右端の男坂を登ってきた人の姿が傘(かさ)と頭巾(ずきん)を被っている事から、雪がやんだ後の参詣であることを物語っています。
湯島天神は本郷台地の東端にあり、東と北が崖で不忍池の展望が良かったのですが、現在は高いビルが立ち並び、神社の階段と坂が往時をしのばせています。
撮影方向は逆向きなりますが、湯島天神の境内から女坂と付近の梅を入れて構図を作りました。
この写真を、広重の名所江戸百景「第117景 湯しま天神坂上眺望」に対応する「くまドン板」の景(確定・春景)とさせていただきます。
(このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)
広重の絵に描かれた女坂は、北向きの所々に平坦な場所のある緩やかな階段となっています。
広重の絵の右側に描かれている直登の男坂です。江戸時代は、この男坂の下が湯島天神の表門でした。
(絵画調)
江戸時代は、上野(うえの)にある寛永寺(かんえいじ)が別当(べっとう、神社を管理するお寺)となります。寛永寺の子院(しいん、支院)である湯島・喜見院が担当をしていました。
横道にそれますが、仏教には喜見城(きけんじょう)という話があります。
「須弥山(しゅみせん)の頂上の利天(とうりてん)にある帝釈天(たいしゃくてん)の居城。七宝で飾られ、庭園では諸天人が遊び戯れるというので、楽園にたとえられています。」
男坂を降りた所には、湯島聖天(ゆしましょうてん)があります。
室町時代は、この付近が太田道灌(おおたどうかん)の御殿・皓月亭跡だったという話も伝わります。
(皓月(こうげつ)は、明るく照り輝く月の意味です。)
【湯島聖天(ゆしましょうてん)、天台宗の寺、寺名は「心城院(しんじょういん)」】
湯島聖天は、喜見院の「宝珠弁財天堂」と呼ばれる建物でしたが、5代・綱吉(つなよし)の元禄年間に天神様(菅原道真)と縁の深い聖天様(しょうてんさま、歓喜天)を、この弁財天堂に安置したことから始まっています。
8代・吉宗(よしむね)の享保年間に、寺門維持のため幕府から「富くじ」興業(現在の宝くじ)が行われるようになりました。江戸では、谷中・感応寺(天王寺)、目黒・瀧泉寺(目黒不動)、喜見院(湯島天神)が「江戸の三富」と言われ、庶民の間で賑わっていました。
明治維新の神仏分離令で喜見院は廃寺、湯島天神は存続となりました。
湯島聖天(弁財天堂)は、湯島天神との本末関係を断つことにより廃仏を逃れ、現在に続いています。
単独の寺院として歩み出した当山は、建立当時の因縁により天台宗に属し、寺名を「心城院」と改めました。
(下の写真は、枝がうるさくなるので、上と下をトリミング(画像の切取り)しています。)
驚いた事に、この湯島聖天は、度重なる江戸の大火や、関東大震災、大戦中の戦火にも消失する事無く残り、300年間ここにあったそうです。近年、さすがに老朽化により建て替えとなりました。
湯島天神も、明治18年に建てた社殿の老朽化により、平成7年に総檜(ひのき)造りで建て替えとなりました。
一応、湯島天神の梅まつりの内容を簡単に残しておきます。何度も書きますが、「くまドン」は祭りとは無関係です。(念のため) (予定は変更になる可能性もあります。インターネットなどでお調べください。)
【湯島天神】
日時:平成26年2月8日~3月9日 8:00~19:30
平成26年3月1日の時点で、4分~8分咲きです。見頃に入ったそうです。
イベントや奉納もあります。(雨天中止になる場合もあります。)
下の写真は昨年・平成25年5月の例祭の時に撮影した写真です。太鼓をたたくポーズが良いので撮影向きです。
湯島白梅神太鼓 3月8日(土) 15:00~ その他の奉納も12:00からあります。(雨天中止)
太鼓をたたいているのは、湯島の白梅商店街の方々です。ブログに出すタイミングが無かったので、ここで出します。
野点(裏千家) 3月9日(日) 11:00~ (雨天中止)梅園の中でお点前を(お茶券500円)
こちらの写真も昨年・平成25年2月の撮影です。
(絵画調)
カラオケコンクール(決勝) 3月9日(日) 12:00~
東京都立工芸高校工芸祭作品展 2月8日~3月9日
和紙人形特別展 2月8日~3月9日(北回廊)
最後は、湯島天神の庭に咲いていた、春を告げる花のフクジュソウ(福寿草)で終わります。
一応、亀戸天神の情報もいれておきます。
【亀戸天神の梅まつり】
日時: 2014年2月9日(土)~3月9日(日) (例年は2月第2日曜日から3月第2日曜日まで)
梅の開花状況は、亀戸天神のホームページでご確認ください。
以前のブログとして、亀戸天神の梅まつりのブログは、
「名所江戸百景164 第30景 亀戸梅屋舗 亀戸天神梅 まつり」
JR御茶ノ水駅の近くにある神田明神のブログは、
「名所江戸百景006 第10景 神田明神曙之景 桜」
神田明神の北西側は不忍池が近いので、上野公園のブログは、
「名所江戸百景003 第11景/第12景/第13景/第89景 上野公園と桜①」
②もあります。(ブログ先頭の枠に前後のブログが表示されていますので、クリックすると、そのブログに飛びます。)
今回は、これで終了とさせていただきます。
くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
梅も見頃を迎えましたので、今週の週末は、梅まつりの最後の週末ですので、天気が良くなる事を祈ります。
次回も梅の景の予定です。
日本プログ村に参加しています。良ければ、「ポチッ」応援お願いします。(携帯からは無効ですので、不要です。)