くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景189 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込 神幸祭の行列(1)

2014年06月12日 07時55分44秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、日枝神社(ひえじんじゃ)の山王祭(さんのうまつり)が本祭となりますので、神幸祭の行列が渡御します。
 今年・平成26年の神幸祭は6月13日(金)ですが、祭りの期間は長く、他の日も楽しめるイベントがあります。
 天気予報が神幸祭のある金曜日から土日にかけて、天候回復傾向に変わりましたので、期待できそうです。

 今回は前回・平成24年撮影した神幸祭の行列の風景からです。
 都心の王朝絵巻とも言われますので、写真の大半は絵画調のフィルタで変換してあります。
 江戸の天下祭・江戸三大祭りになるだけに山王祭りの神幸祭行列は、とても長く300mもあります。ほとんど切れ目に無い行列ですが、神社の行列の列次説明を見ると、大きく第一梯団(ていだん、集団)から第四梯団までの四つの集団に分かれています。今回は先頭の第一集団です。
 まず、先頭に先導のパトカーと先導車が通り、神幸祭の行列が続きます。


(1)行列の先頭は、御防講(おふせぎこう)です。
 神幸祭は日枝神社の氏子領域を回るので、途中で町の代表者が神幸祭の行列に挨拶をして合流していきます。それぞれの町名の入った半被(はっぴ、法被)を着ています。下はJR四ッ谷駅付近での合流風景です。

 御防講とは、神社が火災その他災厄の時に、まっさきに駆けつけて消火と神霊を奉護する講(こう)の集団です。
 講とは同じ信仰を持つ人達からなる集団のことです。(この場合は神社の氏子(うじこ)さん達です)
 江戸時代初期は江戸の町に火消しの制度は無く、明暦の大火以後に武家の火消しが作られ、8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)の享保年間に、「いろは四十八組」で知られる町火消しの組織が作られました。
 江戸時代においては、火事で神社が危険になると、神社が焼失しないように、御防講が駆けつけて周辺の建造物を壊して、火災の拡大を防いでいた分けです(江戸時代は小規模な水しか使えず、破壊消火が中心です。)。
 祭りの時に着る半被(はっぴ)も、武家火消しが来ていた家紋(かもん)のつけた法被(はっぴ)を、町火消しや職人が着るようになり、その後、明治の町の消防団の制服、祭りの着物と変化していく事になります。

(2)先導神職、副宰領(ふくさいりょう)、竹棹(たけざお)持、諫鼓鳥(かんこどり)

 上の写真先頭の白い神官が先導神職です。日枝神社の列次を見ると、御防講は、先導神職、副宰領より後ろになるのですが、各町での挨拶があるので、御防講が先になっていると思います(多分)。
 オレンジ色の服装の副宰領は、神幸祭の運行側の総責任者の補佐です。
 4つの集団の先頭には権禰宜(ごんねぎ、先導神職も含む)と副宰領が配置されています。
 竹棹(たけざお)持は、山車(だし)などが通行で邪魔(じゃま)になる街路樹の枝を上に持ち上げて、山車を通行可能にする役目で、大きな山車の前には必ず配置されています。
 後方に見えるのが、諫鼓鳥の山車です。広重の名所江戸百景でも足だけ描かれている山車に当たります。
 下の絵は、広重の名所江戸百景「第51景 糀町一丁目山王祭ねり込」です。

 その後方に下の写真のように諫鼓鳥の山車と対になる太鼓が続きます。

(3)太鼓(たいこ)、神幸祭旗、震災復興の幟(のぼり)

 震災復興の幟は、列次には含まれていませんが、東日本大震災という大災害が発生という事件を示す時代の象徴でしょう。

(4)祭典副委員長(馬上)と口取(くちとり、白服の方々)


(5)金棒(かなぼう、青服の2名)、高張(たかはり、高張提灯を持つ白服の2名)、御幣(ごへい)

 御幣は、古くは神様に布類を捧げる為に木に挟んで備えていたのが、社殿の中に立てて神様の依代(よりしろ)や御神体になったり、参拝者に対するお祓い(おはらい)具に変化したものです。よく神社で見るのは白紙ですが、神幸祭の御幣は見ての通り金色です。

(6)鼻高面(はなだかめん)と朱傘(しゅがさ)
 
 鼻高面は、日本書紀(にほんしょき)で登場する猿田彦(サルタヒコ)です。国津神(くにつかみ)と呼ばれる神様ですので、貴人として扱われます。見た目は、赤い顔と長く高い鼻・高ゲタは、どう見ても天狗(てんぐ)ですが、前にも話したように江戸時代に天狗が流行して、両者がごちゃ混ぜになりましたので、天狗と思うのは当然かもしれません。
 朱傘も、昔は導師(どうし)や貴人に後ろから差す日除け傘でした。

(7)賛者(さんじゃ、手前の2名)、大真榊(おおまさかき)、錦旗(きんき)、大幟(おおのぼり)

 賛者は、平安時代に即位や朝賀の式で典儀(少納言)を補佐した職名ですが、この祭りでの役割は?
 通常の真榊(まさかき)は神棚の左右に五色絹の幟(緑・黄・赤・白・青)の先端にサカキ(榊)の枝葉を立て、三種の神器(鏡・玉・剣)を掛けたものですが、この大真榊は、サカキ(榊)の木丸ごとです。なんともダイナミックな発想!
 白い大幟に描かれている文字は「聖上無窮・萬民豊楽」、「天下泰平・国土安穏」だそうです。
 後方の坂の上に黄色の服を着た人達がいますが、これが第3集団の鳳輦(ほうれん、鳳凰の飾りのある神輿)です。結構、長い坂ですが、本当に長い行列です。

(8)禰宜(ねぎ、馬上)と口取(くちとり、白服の方々)、賽物係(さいもつがかり、緑色の服の方)

 日枝神社の神官は、宮司(黒服)-権宮司(色?)-禰宜(赤服)-権禰宜(白服)の順の役職になっています。
 例大祭などの大祭で着用する神官の服は、神社の正装でして、服や袴(はかま)の色などは規則で決められています。普段の服装は神社でよく見かける身分に関係なく白い衣装です。
 禰宜の語源は「和ませる」の意味の古語「ねぐ」で、神の心を和ませてその加護を願うという意味があります。
 賽物の「賽(さい)」は、「神仏の恩に報いる」を意味し、賽物は、神様にお祈りを捧げる時のお供物(おそなえもの)です。

(9)獅子頭(ししがしら、雌雄一対)


 さらに、後ろに第二・第三(神輿あり)・第四(山車あり)集団と続くわけですが、ともかく長い行列です。
 神幸祭の実物を見た方が実感わくかと思いますので、神幸祭の前日は第一集団のみで終わります。

 平成26年の神幸祭の巡幸スケジュール(コースや時間の変更もありえます)は以下の通りです。
  7:45 日枝神社を御発輦(はつれん、出発)
 10:40 国立劇場(江戸時代初期に日枝神社のあった所で、小休止します)
    皇居の坂下門は今回も無しです。
 12:05 東京駅・丸の内(西)側
 13:10 日本橋・日枝神社(摂社) 14:25発
 15:00 京橋三丁目
 15:15 銀座四丁目
 15:30 新橋一丁目
 17:00 日枝神社に御還御(かんぎょ、帰還)

【山王祭】
 日程 :平成26年(西暦2014年)6月7日(土)~6月17日(火) (期間が長いです!)
      6/13(金) 7:45~17:00 神幸祭(氏子町内の巡行・皇居参賀を行う山王祭の見どころ)
      6/14(土) 氏子各町連合宮入(16:00に清水谷公園を出発して、弁慶橋を渡り、日枝神社に到着)
      6/15(日) 11:00~ 日枝神社では例祭奉幣(ほうべい、ほうへい)、山王太鼓(たいこ)
               9:30~15:00 下町連合御渡(日本橋・八丁堀・京橋を神輿(最大12基)の御渡り)
     その他の日にも神楽・囃子(はやし)・献灯(けんとう)・納涼大会(山王音頭)などの儀礼・行事があります。
 上記は、平成26年の山王祭の日程と一部抜粋(ばっすい)です。
 詳細は日枝神社のホームページで御参照ください。

 昨年作りましたブログは以下の通りです。
(1)一昨年・平成24年の山王祭の神幸祭の話は、
 名所江戸百景041 第52景 赤坂桐畑 日枝神社の山王祭(1)
 名所江戸百景042 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込 日枝神社の山王祭(2)
 名所江戸百景046 第73景 市中繁栄七夕祭 日枝神社の山王祭(3)

 今回は、これで終了とさせていただきます。
 「くまドン旅日記」のブログを見ていただきありがとうございました。

 次回は、山王祭(今年は本祭)の続きの予定です。 

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