くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景056 第60景 浅草川大川端宮戸川 柳橋と屋形船

2013年07月26日 21時30分44秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 前回の両国花火(りょうごくはなび=隅田川花火)に続き、柳橋(やなぎばし)と屋形船(やかたぶね)の話です。
(絵画調)

 JR総武線(そうぶせん)の浅草橋駅(あさくさばしえき)から、南へ100m程行くと、「浅草橋」という橋があります。
 上の写真は、浅草橋から柳橋方向を見た写真です。
 (2012年の8月上旬の土曜日の夕方17:00~18:00頃に撮影しました写真です。)

 真ん中を流れる川が「神田川(かんだがわ)」で、奥に見える緑色の橋が「柳橋」で、柳橋の向こう側30m程の所で、神田川は隅田川に合流します。
 神田川の右岸は、中央区(ちゅうおうく)の東日本橋、左岸は、台東区(だいとうく)の柳橋、奥の隅田川の対岸に見えるのが、墨田区(すみだく)の両国で、3区の境界部になっています。
 この付近は、屋形船の船宿(ふなやど)が多くあります。


 下の絵は、広重の名所江戸百景「第60景 浅草川大川端宮戸川」(夏景)です。

 まず、題名から説明いたしますと、現在の隅田川は、江戸時代においては、浅草付近で「浅草川」や、「宮戸川(みやとがわ)」と呼び、それより下流を「大川端(おおかわばた)」と呼んでいました。
 この題名は、「隅田川」を3連呼している不思議な題名になっています・・・・・・・???

 この絵は、両国橋から北の浅草方面の隅田川を眺めています。遠方には、筑波山(つくばさん)が見えています。
 絵は、遠近法を用いて描かれ、川に浮かぶ舟の大きさなどにより、遠近感を表現すると同時に、江戸時代の隅田川が、屋根のある屋形船を含め、色々な種類の船でにぎわっていたことを示しています。

 広重の「名所江戸百景」の特徴ともいえる近景構図(近くの物を極端に大きく描く)が取り入れられています。
 この中で、まず、目につくのは、左手前の大きな棒でしょう。
 良く見ると、左下に人の頭らしきものが描かれています。さらに、右側にも、同じ形の棒を持った舟が浮かんでいます。
 山岳信仰(さんがくしんこう)の一つとしてあった大山講(おおやまこう)の一団だと言われています。

 下の絵は、両国橋の墨田区(東)側の親水テラスに描かれている両国花火の絵の一枚です。

 絵の右下に泳いでいる人達も、「大山講」に行く前の人達で、隅田川で水ごり(冷水を浴びて、心身を清める修験道の言葉)をしているそうです。手に持っているのは、奉納(ほうのう)する納太刀(おさめだち)です。
 (現代では、このような人はいません。念のため)

 大山(おおやま)は、現在の神奈川県(かながわけん)丹沢(たんざわ)山塊にある山で、山頂に阿夫利神社(あふりじんじゃ=雨降り神社)があります。
 江戸時代は、「石尊大権現・大山寺」というお寺が別当(べっとう)として、管理していました。
 神社の名前の通り、雨乞い(あまごい)の神ですので、農民には、農耕の神として扱われましたが、
 古典落語「大山詣り(おおやままいり)」では、何故か、大山寺は、博打(ばくち)と商売に、
 ご利益(仏教では「ごりやく」と読む)があるため、江戸ッ子に人気があるとういう話になっています・・・・???
 明治政府の神仏分離令により、大山寺は無くなり、元の「阿夫利神社」の名称が使用されるようになりました。
 なお、大山寺は、その後、大山の麓(ふもと)にある伊勢原市(いせはらし)に再興されています。

(絵画調)


 さて、「浅草川大川端宮戸川」」の絵の左側から、屋形船が出てきていますが、ここが、神田川が隅田川に合流する所です。この絵の左側に「柳橋」がありました。
 絵の川の向う岸に建物が見えますが、広重の「名所江戸百景」を描いた安政年間の柳橋は、花街(はなまち、芸妓(げいぎ)のある街)として知られ、高級料亭や船宿が立ち並ぶエリアでした。
 また、一般庶民にも楽しめる酒場・飲食店もあり、両国花火や舟遊びで、多くの人が遊べる場所でした。

 現在の柳橋周辺も、船宿だけでなく、料亭や、レトロな食堂、問屋街などがある為、静かなブームとなっているようです。


【屋形船(やかたぶね)=楼船(ろうせん)】
 夏になると、花火や、隅田川でよく見かけるのが屋形船です。
 屋形船は、屋根と、宴会を楽しむ座敷がある和船のことですが、その歴史は古く、その原型は、平安時代の貴族の舟遊びにまで、遡(さかのぼ)ります。
 江戸時代になり、平和の時代が訪れると、隅田川の屋形船の舟遊びが盛んになっていきました。
 4代将軍・家綱(いえつな)の頃には、大型の豪華絢爛(ごうかけんらん)な装飾で飾られた船が競うように作られていきました。徳川幕府が、大名の力を制限する為に、「大船建造の禁(おおぶねけんぞうのきん)」と呼ばれる禁令を作ったことにより、大型船の建造は抑えられるようになっていきました。


【柳橋(やなぎばし)】
 古くは、5代将軍・綱吉(つなよし)の元禄時代に、現在の柳橋付近は、隅田川の舟遊びの舟宿でにぎわっていました。神田川も渡船で往来していましたが、不便(ふべん)の為、橋の架けることを願い出て、許可されました。
 当初は、神田川が、大川(江戸時代の隅田川の名称の一つ)に合流する手前にあった事から、「川口出口之橋(かわぐちでぐちのはし)」と呼ばれていたそうですが、橋のほとりに柳が植えられていたことから、「柳橋」と呼ばれるようになったそうです。

 神田川の幅は狭いので、屋形船は方向転換をしないで、後ろ向きに進んで、隅田川まで出ます。


 江戸時代が終わり、明治時代になっても、隅田川の舟遊びは人々に親しまれて行きました。 
 明治20年に鉄鋼橋(てっこうきょう)が架けられましたが、関東大震災(かんとうだいしんさい)の時に落ちてしまい、震災復興事業の一環として、昭和4年に現在の橋が架けられました。同じ隅田川にある永代橋(えいだいばし)のデザインを取り入れたそうです。
(絵画調)


 現在の柳橋ができて、舟の通行を可能にする為に、小松屋の二代目さんが、屋根の取り外しのできる「屋根舟」を造ったそうです。

【小松屋(こまつや)】
 柳橋では、有名な船宿です。

 なんと、この小松屋さん、実は、「くまドン」の地元である江戸川区(えどがわく)と関わりがあります。
 明治時代は、隅田川が荒川(あらかわ)の下流部だったのですが、明治時代に発生した水害を教訓に荒川放水路の計画が建てられました。
 (「名所江戸百景051 第70景 中川口 勝海舟と西郷隆盛」を参照してください。)
 この為、荒川放水路が、江戸川区西小松川(にしこまつがわ)の真ん中に通ることになり、放水路が通過する農家は、土地から退去で、廃業となってしまったそうです。
 小松屋さんの先祖も、その農家の一軒でした。それ以外の副業として、堀にいる魚を釣りに来る人達に、田舟を貸す商売もしていたそうです。
 このことから、最初は、両国橋の墨田区(すみだく)側で船宿を始めたそうです。
 その後、現在の柳橋に移り、釣り船、屋根舟、網舟、涼み舟、汐干舟となんでもありありの看板を掲げて、船宿を始めたそうです。
 「小松屋」の屋号(やごう、一家の特徴から付けられる家の名前)は、先祖の住んでいた小松川の地名からとったものだそうです。

 西に傾いた夕日が雲に隠れると、神田川は、青空を反射して、青一色の世界になります。
 写真を撮影していると、浅草橋の下から屋形舟が、くぐり抜けてきました。
 浅草橋の西側にも船宿が、かなりあります。
(絵画調)


 昭和30年代から40年代の高度経済成長期(こうどけいざいせいちょうき)による歪(ひずみ)として、隅田川の水は汚れ、魚の住めない川となりました。
 両国の花火大会や、灯篭流し(とうろうながし)も行われなくなり、隅田川に屋形船が浮かぶ事もなくなりました。

 昭和50年代になると、隅田川の水質の改善も進み、再び、魚の姿が見えるようになってきました。
 昭和53年には、両国花火は、隅田川花火として復活し、その前年には、屋形船も復活することになりました。
 ただ、それから数年間は、隅田川に浮かぶ屋形船は、小松屋さんの舟一隻だったそうです。
 その後、小松屋さんは、最後の木造屋形船をつくったそうです。現在でも、都内唯一の木造屋形船として、活躍しているらしいです。

 続いて、また一隻、浅草橋の下から屋形船が現れ、隅田川に出港していきます。
 柳橋は低いので、舟の安全を見張るの人も、頭を下げて、橋の下を通過します。


 現在は、東京にある各河川の水質の浄化は進み、神田川にも、魚や水鳥が戻ってきました。
 かみそり堤防と言われた真っ直ぐな堤防にも、親水テラスと呼ばれる護岸が設けられ、人が憩える場所となりました。
 隅田川には、屋形船や水上バスを含め、多くの船が行き交うようになりました。

 平成16年から、柳橋はライトアップが行われるようになり、緑の美しい姿が特徴的な橋として、人気があります。
 小松屋さんの有名な赤い舟と船宿です。
(絵画調:この写真だけ、5月に下見に行った時に撮影しました。)


【御座船(ござぶね)】
 船体に漆塗り(うるしぬり)が施され、豪華な装飾の屋台を設けた舟です。
 下の写真の小松屋の御座船は、徳川将軍家の御座船をモデルに建造されました。
 朱塗りの船体と豪華な内装を再現して造られました。60名も乗船可能だそうです。
 赤い船体が特徴の屋形船で、過去において、テレビなどで何回も紹介されたそうです。

 柳橋の奥にあった小松屋さんの御座舟(赤い舟は、2隻あります)も出発のようです。


【小松屋(佃煮)】
 柳橋の右側の中央区(左側は台東区)にも、佃煮(つくだに)を販売している小松屋さんがあります。
 江戸前アナゴ(穴子)の佃煮が評判の店です。
 この2軒の「小松屋」さんは、親戚同士だそうです。他の方のブログでも、よく紹介されています。

 最後になりましたが、

 手前の船や人が大きく写っている写真を選ぼうかと思いましたが、背後が日景の写真が多く、結局、船宿の夕方の雰囲気が写っているこの写真にしました。
 (絵画調でないと、暗部が黒くつぶれでしまいます。写真的表現なら問題ないのですが・・・・・・・)
 この写真を、広重の名所江戸百景「第60景 浅草川大川端宮戸川」に対応する「くまドン版」の景(夏景・確定)とさせていただきます。水遊びは、夏らしいので、夏景に分類します。
 (このブログは、名所江戸百景の現代版「くまドン版」を作る事を第一目標としています。)



 前回、平成25年の東京下町・ベイエリアの大きな花火大会の日程は記載しましたので、割愛します。

 隅田川花火大会の日は、屋形船も「満員御礼」(まんいんおんれい)です。
 一年前から予約で埋まっているらしいです・・・・・・・・・・(汗)
 この日は、隅田川は屋形船で埋め尽くされて、混み合います。

 屋形船は、大人数の宴会(えんかい)の予約も受けていますが、
 週末などは、乗合船で、二人からの少人数グループの予約を受け付けている船宿も多数あります。

 柳橋付近で写真に見つけただけでも、「小松屋」、「田中屋」、「あみ清」、「あみ新」、「井筒屋」、「三浦屋」、「鈴木屋」、「野田屋」・・・・などがあります。
 (浅草橋の右側は日景、背後は逆光だったので、撮影していなかっ所もあります。)
 また、船宿も、隅田川沿いだけでなく、荒川・中川・江戸川や、東京湾沿いにも、多数あります。
 詳細などは、インターネットなどで、お調べください。

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 なんとか、両国花火の日までに、屋形舟の話を追加できましたが、ブログの作成が遅れ気味です。
 次回も、両国付近の話題を続けたいと思いますが、
 ブログが遅くなる場合は、話の順番変更になるかもしれません・・・・・・!!!(汗)


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