こんにちわ、「くまドン」です。
今回も、4月の山陰海岸の続きで、香美町(かみちょう)の香住海岸(かすみかいがん)の海岸風景からです。
山陰海岸には、浦富海岸(うらどめかいがん)、浜坂、香住の3カ所に遊覧船があります。
前回、「くまドン」が山陰海岸を訪れた時は、浦富海岸と浜坂の遊覧船に乗る事はできたのですが、香住の遊覧船は、午後から海が荒れて、他にお客さんもいなかったので、乗る事ができませんでした。
とりあえず、香住漁港に到着したので、遊覧船・かすみ丸の乗船所に行って見ることにしました。
乗船所に着くと、最悪のタイミングで、乗船の岸壁から離岸して、遊覧船が出発する所でした・・・・・・
たまたま、岸壁にいた他のかすみ丸の方が、「かすみ丸に乗船ですか?」と声をかけてくれまして、「はい」と答えて、特にコース希望も特になかったので、どれでもOKと答えた所、一度、出港しかかった遊覧船を戻してもらえました。
「くまドン」は運良かったというか、人数が増えた結果、遊覧コースが短いコースから、中間距離のコースに変更になったようです・・・と言う分けで、他のお客さんにも歓迎してもらいました。(後で調べた所、予約がいるみたいな感じ)

遊覧船は長・中・短の3コースがあり、遊覧船の燃料費がかかるので、5名以上(長距離の3コースのみ10名以上)で運行です。当然ですが、距離が長くなるほど、遊覧時間が長くなり、料金がアップします。
(年末・年始を除き、荒天を除き、お客さんの人数が揃えば、毎日運行です)
遊覧船は、快適に速度を上げ、港はドンドン後ろに遠ざかります。

左手には、但馬(たじま)の山並みが連なります。結構、標高があって、どっしりしてますね。

4月とはいえ、高い山には残雪(?)らしき白い部分が見えたりもします。
中間距離の2コースとはいえ、見応えは十分にありました。高い岸壁や海蝕洞が次から次へと現れていきます。
山陰海岸は、陸からでは絶対に見えない風景が多いので、遊覧船は結構お得なのです。
長くなるので、一枚だけ載せます。「鷹の巣島」と呼ばれるアメリカ先住民の酋長(しゅうちょう)さんの横顔に似ている岩です。

他にも見る所が多く、見ていて飽きませんでした。希望する人数さえ揃えば、長めのコースはお勧めです。
かすみ丸は、昭和40年代に遊覧船の夫婦の娘3人が船舶免許を取り、遊覧船の家業を継いだ事から、「三姉妹船長」として有名な観光船です。さらに、初代・三姉妹船長の娘3人が、母親と同様に船舶免許を取り、2代目・三姉妹船長となったそうです。現在は、(3姉妹)×(2世代)=6人の船長がいる事になります。
下の写真は、かすみ丸操船中の2代目船長の一人です。

9年程前に香住漁港のかすみ丸乗船所を訪れた時は、外海は白波が立っているが、静かな漁港の乗船所で、小学生らしき数人の子供達の遊び相手になっている初代・三姉妹船長の姿を思い出し、月日の流れを感じずにはいられない「くまドン」でした。(その時に遊んでいた子供たちが、2代目の船長達とは限らないのですが・・・・)
かすみ丸は、実は3隻もあるんだそうで、すごいですね!

写真奥の3隻で、定員は85名/81名/50名用があり、お客さんの数とコースで使用する船が決まるそうです。
香住漁港の風景です。

大きな集魚灯が特徴の漁船です。

続いて、遊覧船・かすみ丸に乗っている時に説明のあった場所に向かいます。下の写真は岡見公園です。

漁港から海岸道路を行くと、岡見公園に着きますが、昔は陸地から離れた離島だったそうです。
岡見公園の西(左)側を見ると断崖がありますが、かすみ丸の船長の説明で、この上に城跡があるとのことでした。

城跡への道が無いかと思いましたが、海岸に降りて行く道だけでした。断崖には洞門があり、道は洞門対岸の波打ち際まで降りることができます。
この城は、「塔の尾城」と言う名前らしく、室町(南北朝)時代に築かれた城で、長氏という一族の城でしたが、安土桃山時代の天正8年に、羽柴秀吉(はしばひでよし、豊臣秀吉)の但馬攻めで落城したとのことです。
(三方が断崖の堅城とはいえ、織田軍の数と比較すると、落城やむなしか・・・・・)
城への登城口はないかと探していると、八坂神社がありましたので、寄ってみる事にします。

祭神は、
須佐之男命(すさのおのみこと)
櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)・・・スサノオノミコトの妻、ヤマタノオロチ伝説に出てくる娘
綿津見大神(わたつみのおおかみ)・・・・海の神

龍の立派な彫物がありました。

石段の途中には、多くの石柱が並んでいました。良く見ると、昭和40年代の石柱もあり、ほとんど毎年のように立てているような感じで、不思議に思いました。町から階段を登ってくる年輩の方いましたので、お聞きすると、町の人が一定の年齢になると、お金を出して、石柱を立ててきたそうです。町の人・一人ひとりの歴史だったのです。

すでに参道の階段は石柱で一杯でしたが、これからは、どうするのかを町の人達で考えているという話でした。
ついでに、「塔の尾城」の登城口について聞きましたが、坂下の町から登っていく道が二つあり、その中の一つが城跡への登り口だそうです。時間がなくなりそうなので、登城はあきらめましたので、細かい事は忘れましたが、地元の方に確認した方が賢明です。

この場所は、桜の花が、まだ静かに咲いていました。
次回も、さらに東へと山陰海岸を進んでいき、香住海岸から城崎(きのさき)方面へ進んでいく話となります。
(1)前回のブログは、以下の通りです。(ブログ右欄のカテゴリアーカイブで「旅日記」をクリックすると、一覧が表示され、一覧の先頭(一番下)にあるので、これをクリックしてもブログが開きます。)
「旅日記011 山陰海岸(1) 浦富海岸の夕景」
「旅日記012 山陰海岸(2) 居組・諸寄の漁港」
「旅日記013 山陰海岸(3) 浜坂・城山公園」
「旅日記014 山陰海岸(4) 御火の浦」
「旅日記015 山陰海岸(5) 余部崎灯台」
「旅日記016 山陰海岸(6) 餘部鉄橋」
「旅日記017 山陰海岸(7) 鎧駅」
(ブログ左欄の「カテゴリーアーカイブ」の「旅日記」をクリックしても、先頭(一番下)に過去ブログ一覧が表示されます。これをクリックしても、見る事可能です。)
今回は、これで終了とさせていただきます。
くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
今週からお盆休みの方も多いかと思います。帰省ラッシュの混雑など大変かと思いますが、道中お気をつけて、ご無事でありますように。
日本プログ村に参加しています。良ければ、「ポチッ」応援お願いします。(携帯からは無効ですので、不要です。)

今回も、4月の山陰海岸の続きで、香美町(かみちょう)の香住海岸(かすみかいがん)の海岸風景からです。
山陰海岸には、浦富海岸(うらどめかいがん)、浜坂、香住の3カ所に遊覧船があります。
前回、「くまドン」が山陰海岸を訪れた時は、浦富海岸と浜坂の遊覧船に乗る事はできたのですが、香住の遊覧船は、午後から海が荒れて、他にお客さんもいなかったので、乗る事ができませんでした。
とりあえず、香住漁港に到着したので、遊覧船・かすみ丸の乗船所に行って見ることにしました。
乗船所に着くと、最悪のタイミングで、乗船の岸壁から離岸して、遊覧船が出発する所でした・・・・・・
たまたま、岸壁にいた他のかすみ丸の方が、「かすみ丸に乗船ですか?」と声をかけてくれまして、「はい」と答えて、特にコース希望も特になかったので、どれでもOKと答えた所、一度、出港しかかった遊覧船を戻してもらえました。
「くまドン」は運良かったというか、人数が増えた結果、遊覧コースが短いコースから、中間距離のコースに変更になったようです・・・と言う分けで、他のお客さんにも歓迎してもらいました。(後で調べた所、予約がいるみたいな感じ)

遊覧船は長・中・短の3コースがあり、遊覧船の燃料費がかかるので、5名以上(長距離の3コースのみ10名以上)で運行です。当然ですが、距離が長くなるほど、遊覧時間が長くなり、料金がアップします。
(年末・年始を除き、荒天を除き、お客さんの人数が揃えば、毎日運行です)
遊覧船は、快適に速度を上げ、港はドンドン後ろに遠ざかります。

左手には、但馬(たじま)の山並みが連なります。結構、標高があって、どっしりしてますね。

4月とはいえ、高い山には残雪(?)らしき白い部分が見えたりもします。
中間距離の2コースとはいえ、見応えは十分にありました。高い岸壁や海蝕洞が次から次へと現れていきます。
山陰海岸は、陸からでは絶対に見えない風景が多いので、遊覧船は結構お得なのです。
長くなるので、一枚だけ載せます。「鷹の巣島」と呼ばれるアメリカ先住民の酋長(しゅうちょう)さんの横顔に似ている岩です。

他にも見る所が多く、見ていて飽きませんでした。希望する人数さえ揃えば、長めのコースはお勧めです。
かすみ丸は、昭和40年代に遊覧船の夫婦の娘3人が船舶免許を取り、遊覧船の家業を継いだ事から、「三姉妹船長」として有名な観光船です。さらに、初代・三姉妹船長の娘3人が、母親と同様に船舶免許を取り、2代目・三姉妹船長となったそうです。現在は、(3姉妹)×(2世代)=6人の船長がいる事になります。
下の写真は、かすみ丸操船中の2代目船長の一人です。

9年程前に香住漁港のかすみ丸乗船所を訪れた時は、外海は白波が立っているが、静かな漁港の乗船所で、小学生らしき数人の子供達の遊び相手になっている初代・三姉妹船長の姿を思い出し、月日の流れを感じずにはいられない「くまドン」でした。(その時に遊んでいた子供たちが、2代目の船長達とは限らないのですが・・・・)
かすみ丸は、実は3隻もあるんだそうで、すごいですね!

写真奥の3隻で、定員は85名/81名/50名用があり、お客さんの数とコースで使用する船が決まるそうです。
香住漁港の風景です。

大きな集魚灯が特徴の漁船です。

続いて、遊覧船・かすみ丸に乗っている時に説明のあった場所に向かいます。下の写真は岡見公園です。

漁港から海岸道路を行くと、岡見公園に着きますが、昔は陸地から離れた離島だったそうです。
岡見公園の西(左)側を見ると断崖がありますが、かすみ丸の船長の説明で、この上に城跡があるとのことでした。

城跡への道が無いかと思いましたが、海岸に降りて行く道だけでした。断崖には洞門があり、道は洞門対岸の波打ち際まで降りることができます。
この城は、「塔の尾城」と言う名前らしく、室町(南北朝)時代に築かれた城で、長氏という一族の城でしたが、安土桃山時代の天正8年に、羽柴秀吉(はしばひでよし、豊臣秀吉)の但馬攻めで落城したとのことです。
(三方が断崖の堅城とはいえ、織田軍の数と比較すると、落城やむなしか・・・・・)
城への登城口はないかと探していると、八坂神社がありましたので、寄ってみる事にします。

祭神は、
須佐之男命(すさのおのみこと)
櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)・・・スサノオノミコトの妻、ヤマタノオロチ伝説に出てくる娘
綿津見大神(わたつみのおおかみ)・・・・海の神

龍の立派な彫物がありました。

石段の途中には、多くの石柱が並んでいました。良く見ると、昭和40年代の石柱もあり、ほとんど毎年のように立てているような感じで、不思議に思いました。町から階段を登ってくる年輩の方いましたので、お聞きすると、町の人が一定の年齢になると、お金を出して、石柱を立ててきたそうです。町の人・一人ひとりの歴史だったのです。

すでに参道の階段は石柱で一杯でしたが、これからは、どうするのかを町の人達で考えているという話でした。
ついでに、「塔の尾城」の登城口について聞きましたが、坂下の町から登っていく道が二つあり、その中の一つが城跡への登り口だそうです。時間がなくなりそうなので、登城はあきらめましたので、細かい事は忘れましたが、地元の方に確認した方が賢明です。

この場所は、桜の花が、まだ静かに咲いていました。
次回も、さらに東へと山陰海岸を進んでいき、香住海岸から城崎(きのさき)方面へ進んでいく話となります。
(1)前回のブログは、以下の通りです。(ブログ右欄のカテゴリアーカイブで「旅日記」をクリックすると、一覧が表示され、一覧の先頭(一番下)にあるので、これをクリックしてもブログが開きます。)
「旅日記011 山陰海岸(1) 浦富海岸の夕景」
「旅日記012 山陰海岸(2) 居組・諸寄の漁港」
「旅日記013 山陰海岸(3) 浜坂・城山公園」
「旅日記014 山陰海岸(4) 御火の浦」
「旅日記015 山陰海岸(5) 余部崎灯台」
「旅日記016 山陰海岸(6) 餘部鉄橋」
「旅日記017 山陰海岸(7) 鎧駅」
(ブログ左欄の「カテゴリーアーカイブ」の「旅日記」をクリックしても、先頭(一番下)に過去ブログ一覧が表示されます。これをクリックしても、見る事可能です。)
今回は、これで終了とさせていただきます。
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