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名所江戸百景042 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込 日枝神社の山王祭(2)

2013-06-08 09:15:21 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、日枝神社(ひえじんじゃ)の山王祭の続きです。

 今年も、天下祭の一つである日枝神社の山王祭(さんのうまつり)が行われます。

 今年は、陰年(かげどし)ですので、本祭(2年に1回)で行われる神幸祭(しんこうさい)はありませんが、
 日程などの情報を再度載せておきます。

【山王祭】
 日程 :2013年6月7日(金)~6月17日(月) (陰年でも期間が長いです!)
      6/8(土)  13:00~ 夏越稚児祭(なごしちごまつり、子供まつり)、里神楽(さとかぐら)
      6/15(土) 11:00~ 例祭奉幣(ほうべい、ほうへい)、山王太鼓(たいこ)
     その他の日にも剣道奉納、献灯(けんとう)などの儀礼・行事があります。

 上記は、平成25年の山王祭の日程と一部抜粋(ばっすい)です。
 詳細は日枝神社のホームページで御参照ください。

 残念ながら、今年は陰年ですので、神幸祭の行列はありませんが、昨年2012年に撮影した神幸祭の写真を載せさせていただきます。(絵画調)


【山王祭の歴史】
 江戸時代において、日枝神社は、「江戸城と徳川将軍家の産土神(うぶすながみ、産まれた土地の守護神)」です。
 日枝神社の山王祭は、江戸城内に入り、将軍が見ることが許された天下祭(てんかまつり)として有名でした。
 年々盛大になり、費用もかかるので、2年に1回のペースで、神田明神(かんだみょうじん)の神田祭(かんだまつり)と交互に行われていました。
 この伝統が今も残り、西暦の偶数年が山王祭の本祭り、奇数年が神田祭の本祭りとなっています。(今年2013年は、神田祭の本祭が行われました。)
 ちなみに、他の天下祭である神田明神は「江戸の町の守護神」です。そして、根津神社は5代将軍綱吉(つなよし)の産土神です。
 江戸時代は山王祭りは、山車(だし)が45台と神輿(みこし)3基という大行列でした。
 江戸三大祭にも数えられ、「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様。」というように、現代でも丸一日がかりで、神田・築地地区を除く千代田区(ちよだく)と中央区(ちゅうおうく)の広い範囲を周ります。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第51景 糀町一丁目山王祭ねり込」です。

 絵は、国立劇場(旧日枝神社のあった所、地形図右上)から、桜田濠(さくらだぼり)越しに、半蔵門(はんぞうもん、地形図右上)を、遠近法を使用して描いています。
 (位置関係を把握するためにプログの最後に地形図を再掲載しました。)
 この付近から四ッ谷見附(よつやみつけ)にかけての地区は、麹町(こうじまち、現在の麹町)と呼ばれていました。
 山王祭の行列が、桜田濠沿いに進んで、半蔵門の所で右に曲がり、将軍のいる江戸城内に入る所を描いた絵です。
 (広重は、町人で、山王祭り関係者では無いので、ここから先へは入れません。)

 下の写真は、広重の絵より、右後方に移動していますが、同じ方向で半蔵門を撮った写真です。

 現在でも、江戸城の内堀(皇居)付近は、明治以降の開発の逃れ、東京では貴重な自然が残っています。

 広重の絵で、手前に大きく描かれているのが、諌鼓鳥(かんこどり)の山車(だし)です。その下には祭りの行列の花傘が描かれています。遠くの半蔵門に入ろうとしている山車は、猿の山車です。
 江戸百景の構図に見られる極端な近景を切り取る構図で、諌鼓鳥の足の部分しか描かれていません。
 下の写真が、現在の諌鼓鳥の山車です。下の形が違いますが、絵の外側を想像してみてください。
(絵画調)


【諌鼓鳥】
 諌鼓は、原始共産制だった古代において、君主が行う政治の過ちを、その国の民が太鼓を鳴らして忠告する為に造られた太鼓のことです。
 古代の伝説の王の善政により、人は悪事を働くことも無く、皆が平和に過ごせるようになりました。
 その結果、諌鼓を鳴らす必要が亡くなり放置された為、太鼓には苔が生えてしまい、太鼓の上が鳥の遊び場になっているほどの平和な状態を示す言葉です。
 なお、発音が同じ「閑古鳥(かんこどり)が鳴く」とは全く意味が違います。

 写真の後方に見えるのは、国会議事堂ですが、「くまドン」は、税金をいたずらにバラまいた結果の消費税増税に反対して、太鼓を鳴らしたいです!

 下の写真は、諌鼓鳥の山車の後ろに続く、太鼓です。

 でも、山王祭に参加している日枝神社の氏子(うじこ)さんのエリアの中には、首相や、国会議員の家族が住んでいる永田町(ながたちょう)も含まれているんですよね。・・・・・・・・・・
 さらに、その国会議員を選んでいるのは、他でもない私たち国民なのですが・・・・・・・
 (念のため、山王祭の氏子となる地域は広く、政治とは全く無関係の地域が、ほとんどです。)

 次は、現在の猿神の山車の写真です。広重の絵の奥に、半蔵門と一緒に描かれている山車です。


【猿神(さるがみ)】
 山王信仰では、猿は神の使いとされており、山の神とされていました。
 日枝神社には、狛犬(こまいぬ)のかわりに、猿の石像が置かれています。 

 少し、横道にそれますが、比叡山が、京都の鬼門(きもん、北東)に置かれているという話がありますが、鬼門の反対方向が申(さる、南西)であることから、江戸時代は、北東の方向に猿の像を鬼門避けとして祀ったりしていました。
 ただ、南西方向も裏鬼門(うらきもん)として、嫌われているのですが・・・・・・・・・・???
 東京の日枝神社も、江戸城の裏鬼門(南西)に置かれたという説があります。(諸説色々あり)

 下の写真が半蔵門ですが、現在も江戸城の西半分は皇居なので、見ての通りで入れません。

 現在の山車は、道路に電線や、街路樹があるので、山車の高さが制限されていますが、
 江戸時代に山王祭や神田祭(かんだまつり)で使用された江戸型山車は、広重の絵を見手の通り、現在の山車より、かなり高さがありました。江戸城の門より、山車の高さが高かったのです。
 江戸城の門を通る為に、江戸型山車は、高さを低くできる様に工夫されていました。

 山王祭りの行列は、「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様。」の言葉通り、丸一日がかりで、広い範囲を周るので、行列に参加する人も大変な体力を消耗します。


 下の写真は、丸一日の巡行ルートの最後になる国会議事堂の手前のきつい坂を登り、国会の横を神輿(みこし)が通り過ぎた所です。
 この先の谷を下り、神社の最後の坂を登ると巡行は終わりとなります。(お疲れ様でした。)


 「くまドン」は、「私たち国民」が選んだ国会議員が行う政治に対して、「日本を良くすると同時に、税金使うことばかり考えないで、私たち国民の負担を軽くして欲しい」という、多くの「批判」と「期待」の両方を込めて、
 この写真を、前回、説明した広重の名所江戸百景「第52景 赤坂桐畑」に対応する「くまドン版」の景(確定)とさせていただきます。
 (堅苦しい理由になりまして、申し訳ありませんでした。今回は勘弁してください。)


 最後に補足の為、前回と同じ、地形図を置いておきます。
 前回も、お見せした外濠の中で日枝神社(図の中下)付近を拡大した地形図です。
 「国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(図名等)を使用しました。」

 地形図の右上に「半蔵門」があります。
 広重の絵では、「国立劇場」(江戸時代前半に日枝神社のあった所)から「皇居」(江戸城西の丸、徳川家康の頃に日枝神社のあった所)に向かって、山王祭の行列が乗り込んでいきました。
 地形図の中下に現在の「日枝神社」があり、そのすぐ横に谷を挟んで、「首相官邸」と「国会議事堂」があります。
 地形図の黄色の部分が台地で、緑色の部分が低くなっている所(谷筋や濠)にあたります。


 長くなりましたので、今回は、これで終わりとさせていただきます。

 山王祭の期間は長く、まだ続きますが、気がついたら、梅雨の花「あじさい」が見頃を迎えてしまいましたので、、

 次回の話題は、紫陽花(あじさい)を間に入れさせていただきます。


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