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名所江戸百景082 第72景 はねたのわたし弁天の社 羽田空港

2013-08-30 07:55:05 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、大田区(おおたく)に羽田(はねだ)の渡しの景ですが、

 昨年の「くまドン」は、羽田空港の北側にある城南島(じょうんなんじま)の公園にある砂浜から、羽田空港に発着する飛行機を撮影していました。ここ城南島は、飛行機撮影では有名なポイントです。
 この日は、上空は晴天なのですが、遠方に大きな積乱雲(せきらんうん)があり、撮影には絶好の日でした。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第72景 はねたのわたし弁天の社」(夏景)です。

 手前に見える人の手と足は、渡し船を漕いでいる船頭さんです。広重の特徴である近景を大きく描く構図が用いられています。 (「名所江戸百景030 ・・・ 矢切の渡し」には、この絵を真似して撮影した写真があります。)
 中景に、弁天社(左)と常夜灯(真ん中奥、一晩中つけておく灯り)、舟を配置して、
 遠景として、多摩川が流れ込む東京湾には、遠く房総半島(ぼうそうはんとう)が描かれて、絵に奥行きを与えています。

 江戸時代の多摩川にあった渡し船は、江戸のある「武蔵国(むさしのくに)」と「相模国(さがみのくに)」との間を行き来きする為の交通手段でした。
 現在でも、多摩川には、鉄道や道路の橋が数多く架かり、交通の要となっています。
 そして、現代においては、飛行機もその交通手段の一つです。
(絵画調)

 名所江戸百景の現代版を作るなら、羽田空港に離着陸(りちゃくりく)する飛行機は、入れておきたいと撮影に行きました。

【江戸時代の羽田】
 「名所江戸百景」を描いた広重の代表作の一つは、「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」ですが、
 この東海道は、羽田の渡しの4km近く上流の「六郷(ろくごう)の渡し」(現在の第一京浜道路)を通っていました。
 羽田の渡しは、多摩川(たまがわ)の最下流にあった渡し舟で、広重のいた江戸時代の末頃は、川崎大師(かわさきだいし、初詣で有名)の参拝客(さんぱいきゃく)で繁盛したそうです。

 下の写真は羽田空港隣の海老取川(えびとりがわ)と多摩川の合流点付近です。今年の「くまドン」は羽田神社の夏季大祭の撮影に行きました。こちらは、羽田空港の南西側です。

 赤い鳥居(とりい)は、現在の羽田空港の敷地内にあった穴守稲荷の鳥居を移転した鳥居です。
 写真後方は多摩川ですが、絵に描かれていた弁天社は少し下流に向かった所にありました。逆に、「六郷の渡し」は上流にある大師橋付近にありました。

 下の写真は、現在の穴守稲荷神社からの風景です。

 絵の弁天社は多摩川河口にできた砂州に造られましたが、砂州の真ん中付近には、穴守稲荷(あなもりいなりがありました。
 江戸時代に、羽田の漁師町の「鈴木弥五右衛門」が中心になって羽田沖の干潟を埋め立てて、鈴木新田と呼ばれる開墾地を作りました。当時の村人達は、水害で悩まされましたが、堤防に穴が開かないようにとの願いを込めて、穴守社を堤防の上に祀ったのが始まりです。その後、堤防に穴が開かなくなったと伝えられています。

 羽田付近は、江戸時代から続く漁師町で、羽田のアナゴ(穴子)は土地の名物です。また、江戸湾(東京湾)には干潟が広がっていました。
 現在でも、羽田神社の祭りの時には、大漁旗(たいりょうばた)が、数多く並び立ちます。

 羽田神社の夏季大祭「羽田まつり」で行われる町内神輿連合渡御(神輿パレード)は、「ヨコタ」と呼ばれる独特の担ぎ方で、13町会13基の神輿が3時間近くヨコタで練り歩きます。(7月最後の土・日曜日に行われる)
 派手に左右に揺れる神輿は迫力があり、一見の価値はあるでしょう。
 羽田空港も氏子になりますので、全日空・日本航空の職員の方もボランティアで参加しているそうです。

 再び、城南島の公園に戻ります。
 夏休みの休日ですから、東京では数の少ない砂浜(人工ではありますが)は、家族連れが一杯です。


【羽田空港(はねだくうこう、正式名称は東京国際空港)】
 大正時代においても、羽田の広い干潟で飛行訓練が行われていました。
 昭和6年になると、立川飛行場がこの地に移転してきて、現在の羽田飛行場の始まりとなります。
 当時は、穴守稲荷より北側にある干潟の一部だけを使用していたので、多摩川沿いの南側は、そのまま穴守稲荷を中心とした観光地として賑わっていました。 戦前までの羽田は、遠浅の干潟がある海水浴場として有名でした。
 海の家があり、海水浴客が遊ぶ砂浜の横を、当時の最先端技術の小型プロペラ機が離発着していたと思い浮かべると、なんとも、のどかな風景なんだろうと思います。当時は、貨物輸送が中心でした。
 昭和7年には、海水浴客が利用するために、京浜電鉄(けいひんでんてつ、現在の京浜急行)が穴守稲荷まで線路を伸ばす程でした。
 (当時は、飛行機の需要も限られていましたしね。)

 昔の羽田でも、砂浜の横に飛行場があったわけです。当然、当時はプロペラ機ですが・・・・・

 戦後、昭和22年に羽田飛行場の拡張が行われ、現在の飛行場の敷地内にあった穴守稲荷や、広重の絵に描かれた弁天社は、現在の場所に移動することになりました。海水浴場もなくなり、遠浅の海は埋め立てられ、飛行場へと変わっていきました。
(絵画調)


 正直、羽田神社の夏季大祭に行った時に、「くまドン版」の百景の写真を変更するかどうか迷いました。
 広重の名所江戸百景で描かれた羽田の渡し付近は、多摩川の風景、梅雨明け早々の羽田神社の夏季大祭や、夏の最後の夜を彩る穴守稲荷の献灯祭など、羽田の歴史を語る上で、魅力ある被写体で一杯です。
 百景の全体バランスを考慮して、昨年撮影した城南島で撮影した写真にすることにしました。

 この写真を、広重の名所江戸百景「第72景 はねたのわたし弁天の社」に対応する「くまドン板」の景(確定・夏景)とさせていただきます。
 (このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)

 羽田を行き来する飛行機ばかりではありません。
 羽田沖は、東京湾の出入口ですから、いろいろな種類の舟が通ります。客船・貨物船・作業船・巡視船・・・・

 羽田は、今も多くの交通の要所であり続けています。

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 夏休みがあった8月も終わりが近づいています。
 次回は、8月最後の景となりますが、8月中に撮影チャンスに恵まれず、9月に撮影した秋景の写真になります。
 夏景は終わりですので、なんとか8月分は間に合いました。(ホッ・・・・・)
 お盆明けから、仕事も増えてきますので、マイペースでブログを作っていきたいと思います。

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