こんにちわ、「くまドン」です。
今回は、隅田川(すみだがわ)に架かる千住大橋(せんじゅおおはし)です。
下の橋は、現在の千住大橋(昭和2年竣工)です。橋の南側は荒川区(あらからく)、北側は足立区(あだちく)です。
(絵画調)

現在は日光街道(東北道、国道4号線)に架かる橋です。時代が変わっても、東京(江戸)と北を結ぶ交通の要所です。
【千住大橋】
徳川家康の江戸入府時に、「千住大橋」(せんじゅおおはし、文禄、1594年架橋)が架けられた後、江戸時代の初期においては、江戸城の防衛の為、隅田川(江戸時代は荒川)には、それ以外の橋は架けられていませんでした。
隅田川を江戸城の外側にある、もう一つの堀とする考え方です。
江戸時代が安定期になっても、日光・東北方面につながる街道に架かる橋は、千住の大橋一つだけでしたから、日光街道・奥州街道の第1宿として千住宿が整備され、発展していきました。
下の絵は、広重の名所江戸百景「第103景 千住の大はし」(冬景)です。

千住大橋の南側から、絵の手前に千住大橋を置き、隅田川(荒川)の上流側(北西方向)を望んだ絵です。
ごく自然な俯瞰(上から下を見下ろす)の遠近法を使用しています。川を「S」字型に配置して、その先に関東の山並み(方向的には秩父方面の山ですが、正確には分かっていません。)を配置しています。
江戸時代の大量輸送や木材などの重量物の運搬は、川による水運でしたので、隅田川を行き来きする帆船が描かれています。川の両岸の舟、橋を行き交う人・馬・駕籠(かご)かき、右端の千住宿が当時の賑わいを物語っています
下の写真は、千住大橋の北西側にある「奥の細道」の「矢立て初めの地」の碑です。

5代将軍・綱吉(つなよし)の元禄時代には、松尾芭蕉(まつおばしょう)の奥の細道(おくのほそみち)の出発点となりました。その奥の細道の中で、東北(みちのく)へ旅立つ芭蕉を親しい人達が、前の晩に集まって、舟で送ってくれることになったそうです。千住に着き、舟を下りた芭蕉さんは、見送りの門弟たちとの別れを
「行く春や 鳥啼魚の目は泪」
(もう春は過ぎ去ろうとしている。その離別を思い、鳥も泣き(鳴き)、魚の目も涙を流しているようだ)
と詠んだのは、矢立て初め(旅の句の書き始め)の有名な句です。
下の松尾芭蕉像は、千住大橋の北東側にある足立市場の入り口右側にあります。

さて、「くまドン」が、この「千住の大はし」に対応する「くまドン版」の景をどのようにするか考えてみました。
隅田川に架かる橋はなるべく入れる方針でしたので、千住大橋を入れての撮影になります。
ここで、水上バスからの撮影を考えてみました。そこで、千住大橋を通る水上バスがあるか調べた所、
「江戸東京ぶらり旅」 平成25年11月の運航日は、11/13(水)
「いちにちゆらり旅」 平成25年11月の運航日は、11/14(木)
丸一日コースしかなく、しかも、月1便で、今年最後の運航日(冬は無し)でした。(昨年平成24年も同様)
両コースとも、とりあえず、予約制ですので、電話してみると、
「どちらのコースも満員です。一ヶ月前の予約開始日には、満員になってしまいます。」とのことでした・・・(汗)
あっさり、あきらめて、次の手を考えます。水上バスから撮影できないなら、水上バスを入れて撮影しよう。
運行コースの時刻表で、前後の発着場の時間から通過時間はある程度予測できます。
「江戸東京ぶらり旅」の水上バスは一日2回(午後と夕方)、千住大橋を通過します。
とりあえず、南千住駅(JR常磐線、東京メトロ日比谷線)に着きました。早めに家を出たので時間があります。
時間まで、周辺を見て回ります。
最初に訪問したのは、荒川区の素盞雄神社(すさのおじんじゃ)です。荒川区では最も広い氏子領域(61カ町)を持つ神社です。地元では天王様(てんのうさま)と呼ばれています。
(絵画調)

祭神は、素盞雄大神(すさのおおおかみ)と飛鳥大神(あすかおおかみ)です。
神社の本殿の横から見た写真です。
(絵画調)

11月でしたので、七五三の幟(のぼり)が多数ありました。右のイチョウの樹には、絵馬(えま)が一杯あります。
松尾芭蕉の「行く春や鳥啼き魚の目は泪」の矢立初めの句碑や、富士塚が境内にあります。
下の写真は、境内の庚申塔3基です。左から延宝6年(1687年)、寛文13年(1673年)、文化8年(1811年)

水上バスが千住大橋を通る時間帯が近づきましたので、千住大橋の北側(足立区)側に渡ると、船宿の乗船乗り場があります。(日中のみ入れます。)
橋の下には、色々な説明資料が設置してあるので、待ち時間には困りません。
下の絵は、江戸時代の千住宿・千住大橋の絵です。右上の大きな赤い舟は徳川将軍が乗船する御成船です。
将軍が千葉県松戸市の小金原(こがねはら)の鹿狩りに出かける時に千住の船着き場に12代・家慶(いえよし)が到着した時の絵です。

資料を読みながら待っていると、隅田川下流のJR常磐線の架橋の向こうから水上バスがやってきました。

水上バスのある川岸付近から、広重の「千住の大はし」は描かれていますが、現在は高い堤防があり、侵入禁止です。
水上バスが千住大橋を通過する瞬間を撮影しましたが、水上バスが日陰にあり、明暗比が大き過ぎて失敗です。
(絵画調)

水上バスが通り過ぎ、上流に走っていきますが、逆光で、今一つです。

後に見える青い橋は、東京電力管理の「荒川専用橋」ですが、侵入禁止です。
千住大橋の北側にある撮影ポイントは、限られていますので、別の場所で撮影することにしました。
とりあえず、水上バスが戻ってくるまでに時間がかなりありますので、橋の近くを見て回ることにしました。
最初は、撮影場所の近くにある橋戸稲荷神社(はしどいなりじんじゃ)です。
この神社は、千住の渡し場(江戸時代以前は橋がありません)の河原の小高い丘に小さな社(やしろ)があったそうです。その後、本殿と拝殿が造られ、土地の開拓農民や荒川の上流から荷物を運ぶ船頭からの信仰を集めたそうです。
(絵画調)

拝殿の前扉に江戸時代末期から明治にかけて活躍した名工(左官職人)である伊豆長八(いずちょうはち、入江長八)が創作の二匹の白狐の彫刻が残されています。(作品の大半が、震災や戦災で焼失してしまい、現存するのは、45点と珍しいのです。)
さて、荒川区側も千住大橋付近は、堤防の上に上がれる所はありませんでしたが、上流側(西)に移動していくと、川岸が親水テラスになっている場所があります。ここで、水上バスが戻ってくるのを待つことにしました。
千住大橋の手前に荒川専用橋と水道用(?)橋がありますが、止む得ません。
町のビルに夕日に照らされる中、東の空に月が明るく輝いていました。

下流の浅草付近に比べると、通過する船も限られていますので、風の弱いこの日の水面は穏やかでした。
すぐ上流には、京成本線の架橋があり、成田空港へ行く「京成スカイライナー」が通過しています。
(絵画調)

日が暮れて、大分時間が過ぎてから、水上バスが上流からやってきました。
残念ながら京成線の電車は橋を渡っていませんでした。

水上バスが千住大橋に向かいます。一番奥が千住大橋ですが、二つの専用橋で3つの弧(こ)が重なっています。

この写真を、広重の名所江戸百景「第103景 千住の大はし」に対応する「くまドン板」の景(確定・秋景)とさせていただきます。
(このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)
撮影は11月でしたが、このコース運行は冬はありませんので、秋景にさせていただきました。
隅田川に架かる橋の歴史につきましては、下のブログで説明いたしましたので、そちらを参照お願いします。
「名所江戸百景018 第58景 大はしあけたの夕立 隅田川の大橋(1)」~「名所江戸百景020 ・・・・(3)」
今回は、これで終わりとさせていただきます。
次回からは、10月分の景の写真となります。
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今回は、隅田川(すみだがわ)に架かる千住大橋(せんじゅおおはし)です。
下の橋は、現在の千住大橋(昭和2年竣工)です。橋の南側は荒川区(あらからく)、北側は足立区(あだちく)です。
(絵画調)

現在は日光街道(東北道、国道4号線)に架かる橋です。時代が変わっても、東京(江戸)と北を結ぶ交通の要所です。
【千住大橋】
徳川家康の江戸入府時に、「千住大橋」(せんじゅおおはし、文禄、1594年架橋)が架けられた後、江戸時代の初期においては、江戸城の防衛の為、隅田川(江戸時代は荒川)には、それ以外の橋は架けられていませんでした。
隅田川を江戸城の外側にある、もう一つの堀とする考え方です。
江戸時代が安定期になっても、日光・東北方面につながる街道に架かる橋は、千住の大橋一つだけでしたから、日光街道・奥州街道の第1宿として千住宿が整備され、発展していきました。
下の絵は、広重の名所江戸百景「第103景 千住の大はし」(冬景)です。

千住大橋の南側から、絵の手前に千住大橋を置き、隅田川(荒川)の上流側(北西方向)を望んだ絵です。
ごく自然な俯瞰(上から下を見下ろす)の遠近法を使用しています。川を「S」字型に配置して、その先に関東の山並み(方向的には秩父方面の山ですが、正確には分かっていません。)を配置しています。
江戸時代の大量輸送や木材などの重量物の運搬は、川による水運でしたので、隅田川を行き来きする帆船が描かれています。川の両岸の舟、橋を行き交う人・馬・駕籠(かご)かき、右端の千住宿が当時の賑わいを物語っています
下の写真は、千住大橋の北西側にある「奥の細道」の「矢立て初めの地」の碑です。

5代将軍・綱吉(つなよし)の元禄時代には、松尾芭蕉(まつおばしょう)の奥の細道(おくのほそみち)の出発点となりました。その奥の細道の中で、東北(みちのく)へ旅立つ芭蕉を親しい人達が、前の晩に集まって、舟で送ってくれることになったそうです。千住に着き、舟を下りた芭蕉さんは、見送りの門弟たちとの別れを
「行く春や 鳥啼魚の目は泪」
(もう春は過ぎ去ろうとしている。その離別を思い、鳥も泣き(鳴き)、魚の目も涙を流しているようだ)
と詠んだのは、矢立て初め(旅の句の書き始め)の有名な句です。
下の松尾芭蕉像は、千住大橋の北東側にある足立市場の入り口右側にあります。

さて、「くまドン」が、この「千住の大はし」に対応する「くまドン版」の景をどのようにするか考えてみました。
隅田川に架かる橋はなるべく入れる方針でしたので、千住大橋を入れての撮影になります。
ここで、水上バスからの撮影を考えてみました。そこで、千住大橋を通る水上バスがあるか調べた所、
「江戸東京ぶらり旅」 平成25年11月の運航日は、11/13(水)
「いちにちゆらり旅」 平成25年11月の運航日は、11/14(木)
丸一日コースしかなく、しかも、月1便で、今年最後の運航日(冬は無し)でした。(昨年平成24年も同様)
両コースとも、とりあえず、予約制ですので、電話してみると、
「どちらのコースも満員です。一ヶ月前の予約開始日には、満員になってしまいます。」とのことでした・・・(汗)
あっさり、あきらめて、次の手を考えます。水上バスから撮影できないなら、水上バスを入れて撮影しよう。
運行コースの時刻表で、前後の発着場の時間から通過時間はある程度予測できます。
「江戸東京ぶらり旅」の水上バスは一日2回(午後と夕方)、千住大橋を通過します。
とりあえず、南千住駅(JR常磐線、東京メトロ日比谷線)に着きました。早めに家を出たので時間があります。
時間まで、周辺を見て回ります。
最初に訪問したのは、荒川区の素盞雄神社(すさのおじんじゃ)です。荒川区では最も広い氏子領域(61カ町)を持つ神社です。地元では天王様(てんのうさま)と呼ばれています。
(絵画調)

祭神は、素盞雄大神(すさのおおおかみ)と飛鳥大神(あすかおおかみ)です。
神社の本殿の横から見た写真です。
(絵画調)

11月でしたので、七五三の幟(のぼり)が多数ありました。右のイチョウの樹には、絵馬(えま)が一杯あります。
松尾芭蕉の「行く春や鳥啼き魚の目は泪」の矢立初めの句碑や、富士塚が境内にあります。
下の写真は、境内の庚申塔3基です。左から延宝6年(1687年)、寛文13年(1673年)、文化8年(1811年)

水上バスが千住大橋を通る時間帯が近づきましたので、千住大橋の北側(足立区)側に渡ると、船宿の乗船乗り場があります。(日中のみ入れます。)
橋の下には、色々な説明資料が設置してあるので、待ち時間には困りません。
下の絵は、江戸時代の千住宿・千住大橋の絵です。右上の大きな赤い舟は徳川将軍が乗船する御成船です。
将軍が千葉県松戸市の小金原(こがねはら)の鹿狩りに出かける時に千住の船着き場に12代・家慶(いえよし)が到着した時の絵です。

資料を読みながら待っていると、隅田川下流のJR常磐線の架橋の向こうから水上バスがやってきました。

水上バスのある川岸付近から、広重の「千住の大はし」は描かれていますが、現在は高い堤防があり、侵入禁止です。
水上バスが千住大橋を通過する瞬間を撮影しましたが、水上バスが日陰にあり、明暗比が大き過ぎて失敗です。
(絵画調)

水上バスが通り過ぎ、上流に走っていきますが、逆光で、今一つです。

後に見える青い橋は、東京電力管理の「荒川専用橋」ですが、侵入禁止です。
千住大橋の北側にある撮影ポイントは、限られていますので、別の場所で撮影することにしました。
とりあえず、水上バスが戻ってくるまでに時間がかなりありますので、橋の近くを見て回ることにしました。
最初は、撮影場所の近くにある橋戸稲荷神社(はしどいなりじんじゃ)です。
この神社は、千住の渡し場(江戸時代以前は橋がありません)の河原の小高い丘に小さな社(やしろ)があったそうです。その後、本殿と拝殿が造られ、土地の開拓農民や荒川の上流から荷物を運ぶ船頭からの信仰を集めたそうです。
(絵画調)

拝殿の前扉に江戸時代末期から明治にかけて活躍した名工(左官職人)である伊豆長八(いずちょうはち、入江長八)が創作の二匹の白狐の彫刻が残されています。(作品の大半が、震災や戦災で焼失してしまい、現存するのは、45点と珍しいのです。)
さて、荒川区側も千住大橋付近は、堤防の上に上がれる所はありませんでしたが、上流側(西)に移動していくと、川岸が親水テラスになっている場所があります。ここで、水上バスが戻ってくるのを待つことにしました。
千住大橋の手前に荒川専用橋と水道用(?)橋がありますが、止む得ません。
町のビルに夕日に照らされる中、東の空に月が明るく輝いていました。

下流の浅草付近に比べると、通過する船も限られていますので、風の弱いこの日の水面は穏やかでした。
すぐ上流には、京成本線の架橋があり、成田空港へ行く「京成スカイライナー」が通過しています。
(絵画調)

日が暮れて、大分時間が過ぎてから、水上バスが上流からやってきました。
残念ながら京成線の電車は橋を渡っていませんでした。

水上バスが千住大橋に向かいます。一番奥が千住大橋ですが、二つの専用橋で3つの弧(こ)が重なっています。

この写真を、広重の名所江戸百景「第103景 千住の大はし」に対応する「くまドン板」の景(確定・秋景)とさせていただきます。
(このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)
撮影は11月でしたが、このコース運行は冬はありませんので、秋景にさせていただきました。
隅田川に架かる橋の歴史につきましては、下のブログで説明いたしましたので、そちらを参照お願いします。
「名所江戸百景018 第58景 大はしあけたの夕立 隅田川の大橋(1)」~「名所江戸百景020 ・・・・(3)」
今回は、これで終わりとさせていただきます。
次回からは、10月分の景の写真となります。
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