くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景272 第97景 小奈木川五本まつ 猿江神社の例大祭(2)

2016年08月10日 19時00分21秒 | 名所江戸百景
こんにちわ。「くまドン」です。

 今回は、昨年・平成27年に撮影した江東区・猿江(さるえ)神社の例大祭(れいたいさい)の続きです。
 下の写真は、猿江神社の近くにある宮元の町神輿(まちみこし)の所にあったお供え物です。

 「猿江」の歴史は古く、平安時代・後半になった康平年間に、海岸の入江だったこの地に「源頼義 家臣 猿藤太(さるのとうた)」と書かれた鎧(よろい)を着た武士の遺体(いたい)がこの地に流れ着いた為、この地の人達が、稲荷(いなり)社の境内に塚(つか)を建て手厚く弔ったら豊漁になったという伝説に由来しています。「猿藤太」と「入江」が合わせて、当時は「猿江稲荷」と呼ばれたそうです。当時の康平年間でも、この稲荷社は300坪(約1000平方m)の広さがあったらしいです。
 下の写真のように猿江神社の社殿の裏側になぜか?お稲荷さんの祠(ほこら)があります。

 源頼義(みなもとのよりよし)というのは、河内源氏(かわちげんじ)の2代目棟梁で、奥州(おうしゅう、現在の東北地方)の前九年の役(ぜんくねんのえき)で、陸奥国司(むつこくし)として奥州豪族と戦い、勝利した人です。
 その長男に源義家(みなもとのよしいえ、八幡太郎)がいて、その子孫に鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)、室町幕府を開いた足利尊氏(あしかがたかうじ)がいると言えば、わかりますでしょうか?
 源頼義は、前九年の役で勝利し、翌年・康平6年(西暦1063年)に都(京都)に凱旋(がいせん)していますので、猿江神社に伝わる伝説は、その当時の話となります。
 子のお稲荷さんには、何の説明も見当たりませんでした。伝説に関係しているのでしょうか?なぞ(謎)です!

 この時は気づきませんでしたので、写真はありませんが、猿江神社の裏側にある道の反対側に「猿江稲荷社」があるそうです。その稲荷の御神体は「猿藤太木像」です。この稲荷社の管理は、妙寿寺(世田谷区北烏山)ですが、江戸時代においては、猿江のこの地にあり、猿江神社の別当(べっとう=神社を管理する寺)もしてましたが、明治時代の神仏分離により猿江神社とは別々となりました。その後、妙寿寺は関東大震災で罹災(りさい=家屋全壊)して、世田谷に移転して現在に至っています。

 撮影当日は、猿江神社と隣の東大島神社の例大祭が同時に行われる為、両神社の例大祭のスケジュールを調べに下見に行った所、猿江神社の関係者が記念撮影中でした。横から撮影させていただきました。
 今回も写真の大半は絵画調です。


 この猿江地区は、深川地域東部の中でも数少ない江戸時代以前から陸地が広がるエリアだったのですが、江東区の公園にあった室町時代の古地図には、北側の柳島(現在の錦糸町とその北側地区)や東側の亀島(現在の亀戸・大島付近)は書いてあるのですが、猿江稲荷のある入江がどの付近なのか知る事は困難です。この付近は荒川・利根川の河口部にあたる海岸線ですから、中洲の様な陸地は多数あったでしょうし、洪水により地形も変わる上に、古い地図ですから、細かい所は記載されていないので、特定は困難です。

 猿江神社のお稲荷様とは別に、神社入口右側に「藤森稲荷社」があります。

 江戸時代初期は、本所・横網町(現在のJR両国駅北側の地域)に江戸幕府御用材木蔵に祭られていたお稲荷様でしたが、徳川幕府・8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)の享保年間に、江戸幕府御用材木蔵が、現在の猿江恩賜公園(さるえおんしこうえん)に移転する際に、同時にこの地に遷座(せんざ)しています。

 大正12年(西暦1923年)の関東大震災(かんとうだいしんさい)で、猿江神社は焼失します。昭和6年(西暦1931年)に当時としては先端技術の鉄筋コンクリート造りで設計された珍しい社殿でした。この為、戦災の火災でも社殿は焼け残り、伊勢大御神を合祀(ごうし)して、社名は「猿江神社」となります。

 隣接する猿江恩賜公園(さるえおんしこうえん)が大正13年(西暦1924年)まで皇室領であった為なのか?、社殿は旧宮内庁(くないちょう)設計技官が設計となっています。


 昨年・平成27年(西暦2015年)の猿江神社の例大祭は本祭りでした。
 前回の午前の神幸祭・神輿連合渡御に続き、午後の神輿町内巡行の風景です。
 下の写真のポスターが、その時の例大祭プログラムです。

 ポスター下部に「猿江地区連合町会」とありますが、さらに、「猿一町会」「猿二町会」「住一町会」「住二町会」「毛利町会」「住利町会」と分かれているようです。(撮影時には、ここまで気がついていなかったのですが・・・)
 地図上では、江東区の「猿江(さるえ)」「住吉(すみよし)」「毛利(もうり)」の3地区が氏子領域です。

 猿江1丁目の神輿です。

 町神輿が通り過ぎる路(みち)のその先にスカイツリーが見えるのは、現代ならでは風景です。

 猿江神社は猿江2丁目にありますから、猿江2丁目の町神輿の駒札(こまふだ)には、「宮元」の文字ですね!

 午前の神幸祭・神輿連合渡御の後なのに良く体力が続くものだ・・・と関心します。

 住吉2丁目の神輿です。

 この付近は、都営地下鉄・新宿線と東京メトロ・半蔵門線(はんぞうもんせん)の住吉駅があるので、商店街になっています。祭り風景もにぎやかです。

 住吉1丁目の町神輿です。神幸祭・神輿連合渡御中に撮影した写真です。

 町神輿巡行中に行った所、1丁目の神輿は休憩中でしたので、二丁目の神輿を先に撮影後に移動中に路地から神輿を担ぐ声が聞こえてきました。見たら「住一」の駒札のある神輿です。偶然とはいえ、幸運でした。

 毛利の町神輿は、神幸祭・神輿連合渡御に参加していたので、その時の写真を再度載せておきます。

 徳川幕府8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)の享保年間に、江戸隼町の伊勢屋・毛利藤左衛門によって毛利新田が開発されて、「毛利」という地名になったそうです。毛利2丁目の東側大半は猿江恩賜公園(さるえおんしこうえん)です。この場所は、同じく江戸時代の享保年間から、幕府(ばくふ)管理の貯木場となり、昭和の戦後以降に貯木場から公園に変わりましたので、1丁目と2丁目を合わせて、毛利町会となっているようです。

 住吉地区と毛利地区の境付近に山車(だし)がありましたので撮影しましたが、よく見ると「住利町会」と書いてあります? 撮影した時は、何がなんだかよく分からず?一応撮影しておきました。

 後から調べた結果、大正12年(西暦1923年)の関東大震災(かんとうだいしんさい)の復興支援の為に、当時としては先進的な設計の鉄筋コンクリート構造・同潤会(どうじゅんかい)アパートが東京の各地に建てられたそうです。
 この地区にも、その計画の一環として、住利共同住宅(初期の名称は猿江裏町共同住宅)が建設されました。住利(すみとし)は「住吉」と「毛利」の地名からつけられた名前だそうです。現在では老朽化と耐震強化の問題から建て替えの必要が発生し、全ての同潤会アパートは姿を消しています。

(1)以前の猿江神社周辺の過去のブログは、以下のブログです。
 「名所江戸百景011 第66景 五百羅漢さゞゐ堂 横十間川の桜」
 「名所江戸百景009 第97景 小奈木川五本まつ 仙台堀川の桜(2)」
 「名所江戸百景271 第97景 小奈木川五本まつ 猿江神社の例大祭(1)」
 「名所江戸百景272 第97景 小奈木川五本まつ 猿江神社の例大祭(2)」 (今回のブログです)
 「名所江戸百景273 第97景 小奈木川五本まつ 猿江魔利支天と扇橋閘門」

(2)猿江神社に隣接する地域の祭りの話は、以下のブログです。
 東側は、横十間川(よこじっけんがわ)を挟んで、大島地区です。
 「名所江戸百景269 第66景 五百羅漢さゞゐ堂 亀戸香取神社神幸大祭」
 「名所江戸百景270 第66景 五百羅漢さゞゐ堂 東大島神社の例大祭」
 北側と北西側の墨田区側は、亀戸天神(かめいどてんじん)の氏子領域です。
 「名所江戸百景199 亀戸天神の例大祭(1) 献灯明・薪神楽」
 「名所江戸百景200 亀戸天神の例大祭(2) 御鳳輦渡御祭」
 「名所江戸百景201 亀戸天神の例大祭(3) 御鳳輦渡御祭」
 西側の江東区は大横川(おおよこがわ)を挟んで、深川神明宮(ふかがわしんめいぐう)の氏子領域です。
 「名所江戸百景248 第56景 深川萬年橋 深川神明宮は3年に一度の本祭!」
 南側は小名木川(おなぎがわ)を挟んで、宇迦八幡宮(うかはちまんぐう)の氏子領域ですが、昨年・平成27年が本祭りでしたが、その日は休暇日では無かったので、写真無しです・・・・・。
 この地区の一番北側にある扇橋(おうぎばし)地区のみが、一丁目のみ深川祭りで有名な富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)の氏子で、二丁目と三丁目は宇迦八幡宮の氏子となっています。
 深川祭りも今年は陰年ですが、イベント自体は多いので、一応、前回の本祭り(平成26年)の時の写真です。
 「名所江戸百景247 第4景 永代橋佃しま 今年の深川祭は二ノ宮神輿渡御」

 今回は、これで終わりとさせていただきます。
 せっかく、ここまで作りましたので、ブログを作成する時間があれば、次回は、「小奈木川五本まつ」を含めた猿江周辺の話をしたいと思います。

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