場所は九州縦貫道の熊本インターの2つ北にある菊水インター
そのインターを下りてから道の駅『きくすい』の隣にあるのがここ『船山古墳』である全く予備知識もなく訪れたので、どうしようと思っていたら
ちょうどいい具合に案内標示看板があった『肥後古代の森散策マップ』と書かれてあったとりあえず車を停めてそれにしても暑い車を停めて奥へと歩いていく先ほどの案内標示板をもう一度ここに掲載する
駐車場近くに3つの大きな古墳があることがわかる
中央やや上に『虚空蔵塚古墳』
右に『江田船山古墳』
左には『塚坊主古墳』
その中心には『石人』!なんだろうか?ワクワクする更に左の中央には『旧境家住宅』と呼ばれる国指定重要文化財まであった
その辺りを時計回りに進んでいくように作戦を立てたまずは『塚坊主古墳』へと進んでいく
『石人』を探しているが左には牧草ロールがあるだけ(((^_^;)残念ながら無さそう
『石人』を探せないまま、進んでいった『むむっ!これはなんだろう』正面に回ってみると、甲冑で武装された埴輪であった
これが『石人』かなぁ?まあ、よしとして
目的地、国指定史跡『塚坊主古墳』に到着説明書きによれば
もともとは墳丘の全長は43m、後円部直径30mであったのだが
開墾などで周囲を削られて長さ43m幅14mの三日月形に変形したものを後で修復している
らしい
お日様カンカン照りで実に暑い次にいよいよ
『旧境家住宅』あった門を開けて敷地内に入る奥内に入っていいのかどうか分からない
ただ
『入ってはいけない、開けてはいけない』
などはなかった
ちょうどいいような穴がある指を入れると戸は開いた外が明るいので、余計に中は暗い室内は意外にもきれいに整備されていた『まあ、こんなものか…』
サイトで調べてみると
『 文政13年に建てられた。土間棟と居間の2棟が接して建てられ、中間部に谷樋が通っている典型的な「二棟造り」で県北部地方の代表的な民家だった。内部には玉名地方の生活用具や農具が展示されている』
らしい
次へ今度は2番目の『虚空蔵塚古墳』である
全長約50メートルの前方後円墳らしいここに来て、ますます暑くなる
通りすぎるだけ左を見ると、先ほどの立派な木を通りすぎるそして
次が3つ目の古墳の予定であったが、その前にここ『肥後民家村』に立ち寄ってみようかな車が停まっていて、中には人の気配があったが今日は月曜日であるまあ、もし開いていても見物しなかったかも
代りにパンフレットを頂くことにする寄り道したので、もとに戻って次へとすすむ『これは?』4つ目があった
予定外である
後で別の地図で確認したら『京塚古墳』という円墳であった
『どこから登るのだろう?』次の写真は、ちょっと分かりにくいが古墳の上に登った時の写真であるどこから登るのか分からず
結局、適当な所から勢いつけて掛け上がったのだ
端まで行ってみると階段がしっかり作ってあった今度は振り返ってみる
これが3番目の古墳『江田船山古墳』であるちなみに
この3番という数字は私が見物する順番で勝手につけたもの
古墳にそのような数字はつけられてはない
誰かいた左に扉があって、そこを開けて覗き込んで
それこら出てきたのだ
そのインターを下りてから道の駅『きくすい』の隣にあるのがここ『船山古墳』である全く予備知識もなく訪れたので、どうしようと思っていたら
ちょうどいい具合に案内標示看板があった『肥後古代の森散策マップ』と書かれてあったとりあえず車を停めてそれにしても暑い車を停めて奥へと歩いていく先ほどの案内標示板をもう一度ここに掲載する
駐車場近くに3つの大きな古墳があることがわかる
中央やや上に『虚空蔵塚古墳』
右に『江田船山古墳』
左には『塚坊主古墳』
その中心には『石人』!なんだろうか?ワクワクする更に左の中央には『旧境家住宅』と呼ばれる国指定重要文化財まであった
その辺りを時計回りに進んでいくように作戦を立てたまずは『塚坊主古墳』へと進んでいく
『石人』を探しているが左には牧草ロールがあるだけ(((^_^;)残念ながら無さそう
『石人』を探せないまま、進んでいった『むむっ!これはなんだろう』正面に回ってみると、甲冑で武装された埴輪であった
これが『石人』かなぁ?まあ、よしとして
目的地、国指定史跡『塚坊主古墳』に到着説明書きによれば
もともとは墳丘の全長は43m、後円部直径30mであったのだが
開墾などで周囲を削られて長さ43m幅14mの三日月形に変形したものを後で修復している
らしい
お日様カンカン照りで実に暑い次にいよいよ
『旧境家住宅』あった門を開けて敷地内に入る奥内に入っていいのかどうか分からない
ただ
『入ってはいけない、開けてはいけない』
などはなかった
ちょうどいいような穴がある指を入れると戸は開いた外が明るいので、余計に中は暗い室内は意外にもきれいに整備されていた『まあ、こんなものか…』
サイトで調べてみると
『 文政13年に建てられた。土間棟と居間の2棟が接して建てられ、中間部に谷樋が通っている典型的な「二棟造り」で県北部地方の代表的な民家だった。内部には玉名地方の生活用具や農具が展示されている』
らしい
次へ今度は2番目の『虚空蔵塚古墳』である
全長約50メートルの前方後円墳らしいここに来て、ますます暑くなる
通りすぎるだけ左を見ると、先ほどの立派な木を通りすぎるそして
次が3つ目の古墳の予定であったが、その前にここ『肥後民家村』に立ち寄ってみようかな車が停まっていて、中には人の気配があったが今日は月曜日であるまあ、もし開いていても見物しなかったかも
代りにパンフレットを頂くことにする寄り道したので、もとに戻って次へとすすむ『これは?』4つ目があった
予定外である
後で別の地図で確認したら『京塚古墳』という円墳であった
『どこから登るのだろう?』次の写真は、ちょっと分かりにくいが古墳の上に登った時の写真であるどこから登るのか分からず
結局、適当な所から勢いつけて掛け上がったのだ
端まで行ってみると階段がしっかり作ってあった今度は振り返ってみる
これが3番目の古墳『江田船山古墳』であるちなみに
この3番という数字は私が見物する順番で勝手につけたもの
古墳にそのような数字はつけられてはない
誰かいた左に扉があって、そこを開けて覗き込んで
それこら出てきたのだ
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