臼杵市の古い町並みを散策したあとに、我々が向かったのはここ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/a6/dfc124dff30823d20731ed2c972741df.jpg)
臼杵城跡である
信号を渡り、石垣が迫ってきた
なかなかの迫力だ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/33/ef69ce9e3453798889e8a439f6522fe9.jpg)
左の方へ進んで、お堀を渡る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b8/c32669bbe613ffde1edbb7186b71fe67.jpg)
O氏がどのように回るか画策中…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/79/85ae0139c3fbd15063ca4c8b82f7a813.jpg)
案内説明によると…
戦国時代1556年に大友宗麟によって建てられた
その後
福原氏、太田氏と城主は替わり
関ヶ原の合戦以降は稲葉氏が支配した
明治新政府の廃城決定により、殆どの建築物は残念ながら破壊された
等と、書かれてあった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/b2/23a14349f94c28d8975c9d0fb4fead3e.jpg)
O氏、再び進み始める
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/e1/049a73cb3d6dfcab084b27ce6951cd16.jpg)
前方に封印された洞穴があった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/6b/2375f8cb46e32666d6e9dd5c950aae64.jpg)
このような場合
普通なら人が入れない程度に、簡単な木の柵があったりして
「入ったらいけないよ」
などと書かれた看板があるのだが
これはかなり頑丈だ
絶対に入れないようにしてあった
頂上台地へと続く石段を更に登っていく
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/ee/40be9fd2f1e0e228e1f1f2cae56d8b2b.jpg)
散歩中の人とすれ違い
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/f9/6d6a5b3814df1aee73f56da1ed792571.jpg)
鳥居をくぐって左へ曲がる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/d1/c1394c14ab0b096658bbd1482e2b5c97.jpg)
「おー、ここまで登れば見晴らしが良くなった」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/ed/ea677793a491f33825f63968f6c8b799.jpg)
更に石段があり
頂上まであと一歩
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/30/0a65e1f9641236e2a462dee79656200d.jpg)
上に登れば、今までの坂道がなかったかのように平坦であった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/52/945638f1d66c095ae0aa6ab4312b8beb.jpg)
先の方で
O氏がまた案内看板を見ている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/d5/1a240c958fb209c9fa3e345b9c4cf533.jpg)
ここを築城したキリシタン大名の大友家
その後の福原家、太田家
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/e2/82b68bd8efd0b00866f8944e39e36e07.jpg)
その下に
大友宗麟が輸入した大砲の写真があった
しかも名前が
『国崩』
…
なんとも破壊力のある名前なのだろうか
更に進む
これはなんだろう?
『天台鳥薬という不老不死の薬木』?
その薬木がどこにあるのかは分からなかった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/31/30e0e57f6e8f281cbad2c447579b95ad.jpg)
その時、O氏が
「大砲のレプリカがここにあるよ」
と教えてくれた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/33/6c21735afd77022a33acadb49e1bd932.jpg)
行ってみる
あった!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/b3/200a2154cac9cd8594edfd8355aa2847.jpg)
「意外に小さいなぁ」
横の軸受けの様なものにあるマーク
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/a9/04f1079cc152b49ef08e0e078fac00a4.jpg)
この『国崩』は大友宗麟が輸入したのだが、大友氏の家紋とは違う
更に上にには別のマーク
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/28/7216513ecb5c72fbac0109abcd23398f.jpg)
文鎮の取っ手の様なものがあった(^_^)v
進んでいくと、今度は頂上台地の反対側に縁に達する
『国崩』を見物中に賑やかだったのだが
保育園の散歩帰りの園児達が階段を下りていた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/2f/9e0eefb2a6ed5d64b45dba8bf4027338.jpg)
臼杵城の頂上台地はこの様な形
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/3b/dae0ba06f91aeaff46d52b17d1fac87e.jpg)
長く伸びた形をしている
海を臨む先端まで行って
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/7a/61a499e7889c502c77b557c3d9f76779.jpg)
今日はかなり遠くまで見えるのだが、遠くにあるので島影の様なものはどこだろうか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/a6/dfc124dff30823d20731ed2c972741df.jpg)
臼杵城跡である
信号を渡り、石垣が迫ってきた
なかなかの迫力だ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/33/ef69ce9e3453798889e8a439f6522fe9.jpg)
左の方へ進んで、お堀を渡る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b8/c32669bbe613ffde1edbb7186b71fe67.jpg)
O氏がどのように回るか画策中…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/79/85ae0139c3fbd15063ca4c8b82f7a813.jpg)
案内説明によると…
戦国時代1556年に大友宗麟によって建てられた
その後
福原氏、太田氏と城主は替わり
関ヶ原の合戦以降は稲葉氏が支配した
明治新政府の廃城決定により、殆どの建築物は残念ながら破壊された
等と、書かれてあった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/b2/23a14349f94c28d8975c9d0fb4fead3e.jpg)
O氏、再び進み始める
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/e1/049a73cb3d6dfcab084b27ce6951cd16.jpg)
前方に封印された洞穴があった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/6b/2375f8cb46e32666d6e9dd5c950aae64.jpg)
このような場合
普通なら人が入れない程度に、簡単な木の柵があったりして
「入ったらいけないよ」
などと書かれた看板があるのだが
これはかなり頑丈だ
絶対に入れないようにしてあった
頂上台地へと続く石段を更に登っていく
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/ee/40be9fd2f1e0e228e1f1f2cae56d8b2b.jpg)
散歩中の人とすれ違い
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/f9/6d6a5b3814df1aee73f56da1ed792571.jpg)
鳥居をくぐって左へ曲がる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/d1/c1394c14ab0b096658bbd1482e2b5c97.jpg)
「おー、ここまで登れば見晴らしが良くなった」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/ed/ea677793a491f33825f63968f6c8b799.jpg)
更に石段があり
頂上まであと一歩
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/30/0a65e1f9641236e2a462dee79656200d.jpg)
上に登れば、今までの坂道がなかったかのように平坦であった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/52/945638f1d66c095ae0aa6ab4312b8beb.jpg)
先の方で
O氏がまた案内看板を見ている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/d5/1a240c958fb209c9fa3e345b9c4cf533.jpg)
ここを築城したキリシタン大名の大友家
その後の福原家、太田家
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/e2/82b68bd8efd0b00866f8944e39e36e07.jpg)
その下に
大友宗麟が輸入した大砲の写真があった
しかも名前が
『国崩』
…
なんとも破壊力のある名前なのだろうか
更に進む
これはなんだろう?
『天台鳥薬という不老不死の薬木』?
その薬木がどこにあるのかは分からなかった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/31/30e0e57f6e8f281cbad2c447579b95ad.jpg)
その時、O氏が
「大砲のレプリカがここにあるよ」
と教えてくれた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/33/6c21735afd77022a33acadb49e1bd932.jpg)
行ってみる
あった!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/b3/200a2154cac9cd8594edfd8355aa2847.jpg)
「意外に小さいなぁ」
横の軸受けの様なものにあるマーク
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/a9/04f1079cc152b49ef08e0e078fac00a4.jpg)
この『国崩』は大友宗麟が輸入したのだが、大友氏の家紋とは違う
更に上にには別のマーク
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/28/7216513ecb5c72fbac0109abcd23398f.jpg)
文鎮の取っ手の様なものがあった(^_^)v
進んでいくと、今度は頂上台地の反対側に縁に達する
『国崩』を見物中に賑やかだったのだが
保育園の散歩帰りの園児達が階段を下りていた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/2f/9e0eefb2a6ed5d64b45dba8bf4027338.jpg)
臼杵城の頂上台地はこの様な形
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/3b/dae0ba06f91aeaff46d52b17d1fac87e.jpg)
長く伸びた形をしている
海を臨む先端まで行って
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/7a/61a499e7889c502c77b557c3d9f76779.jpg)
今日はかなり遠くまで見えるのだが、遠くにあるので島影の様なものはどこだろうか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/af/df4e44c629826a88f9bc5b904f27a21f.jpg)
もっとも天気がよければ別のところに行ってましたが。
まさか
四国が見えるとは思いませんでした
四国見たの半年ぶりかも、です