山に登って、星を見る

山登りは、やっぱりきつい
でも、また登ってしまう
星空観察は、夜更かししてしまい寝不足になりがち

今夜のキャンプ地、池の原園地

2014-09-30 06:56:00 | 旅行
土石流被災家屋保存公園の中
中央に体育館のような建物があり、風雨にさらされないように特別に保存されているそういえば、その体育館の中に何件の家があったかな?

そして
体育館のまわりにも土石流に埋没した家々
これはスゴいなぁ平屋の建物であるが、屋根まで埋没しかけている
ここまでなると
埋没の深さは6メートルを越えるのではないか

体育館をまわりをぐるっと一周している
足元を見たら50センチ程度の石がごろごろしている
このような石が流れて来るのを想像したら、凄まじい破壊力であろう

これなんか電柱がなぎ倒されていた

それを見て

少し違和感を感じた

倒れる向きが、おかしいのではないか?上の写真、画面左側が上流方向
つまり左から右へ土石流は流れたはず

それなのに電柱は反対側、左に倒れていた!

『あとで、誰かが適当に電柱を適当に倒してそこに突き刺したのでは?』

など、とも考えたが…

いやいや
そんなことするはずはない


更に考えてみる
これには、すでに危ないので取っ払われているが
もともと電柱の上には電線が付いていたはず

その電線は
流されても動かなかった家や、土石流から少し離れている流されていない別の電柱にも繋がっていたはず

つまり
上に動きにくい電線が繋がっていて、地面がずるっと右方向へ流されて行けば
このような向きに倒れる事も考えられるのだ!

まあ
間違っているかも知れないが、これ以上考えても無駄のような気がした


でも
歩いて見てまわると、また不思議なことをに出合う先ほど土石流のスゴい破壊力を見せられてきたが

上の写真
1階の窓ガラスが壊れていない!
たまたま
ではなく、他の家も見てまわったが
ガラスが割れて中に土砂が流れ込んでいるケースは、私の見る限り1つもなかった

火山灰のような細かい粒子の上に雨が降り
それがドロドロと、まるで金属を鋳造する埋没材のようにゆっくりと流れてきたらどうなるのだろう


他に
このような時間にまわっている観光客は誰もいなかったが
いろいろと楽しみながら見物することができた結局、目的の食事をとることが出来ずに道の駅を去る
もう、かなり暗くなったあとは
島原の市街地に戻り
適当なところで夕食をとりコンビニで明日朝の食料を調達して雲仙温泉へ急ぐ30分程度はかかるかな?
雲仙温泉の地獄巡りの所いつも入る雲仙温泉の安い公衆浴場大人1人200円
ただし石鹸シャンプーなしだ

そして到着池の原園地駐車場
ここは雲仙普賢岳の正式な登山口である

道の駅みずなし本陣へ夕食を食べに…

2014-09-29 08:32:00 | 旅行
S先輩
急に右に向いてカメラを構えた『おー、普賢岳に傘雲がかかっている』それにしても上空の雲が面白い

『うろこ雲』である

似たような雲の種類に『さば雲』『いわし雲』と言うものがあるが
私には区別がつかない

もうお日様が沈み始めてきた
急いで続きをまわろう

これは深江埋蔵文化財・噴火災害資料館ここはパスする

次は?『水原神社』だ
別名、身代わりの社平成三年の火砕流の際に焼失したのだが43名の尊い命を奪う災害であった
大野木場地区は1人の犠牲者もでなかったのは
この神社が身代わりとなって住民の命を守ってくれたからである

と言うような事が書かれてある


更に次の写真は雲仙普賢岳が噴火活動を活発化し始めた頃の山頂の大変貴重な写真
らしい

新しく建てられた『水原神社』を参拝して

それから…

大野木場地区を離れて
海岸線付近まで山の斜面を下っていくこの先に
『道の駅みずなし本陣があります。そこで夕食を食べましょう。名物の具雑煮とか美味しいですよ』

S先輩の車は道の駅に到着した本来、大野木場から道の駅みずなし本陣へ行く場合
写真で撮れば道の駅は右側にあるはず

ところが上の写真では
左折すると道の駅に行く

何故だか分かりますか?

別に大した理由でもないが…

車は駐車場へ『おや?いつもたくさん車が停まっているのに、今日は少ないですよ』

私は以前に数回訪れたことがあるが
S教授は初めてである

空っぽの駐車場に車を停めた
S先輩は名物の具雑煮を期待している何か雰囲気が違う

人が誰もいないのだレストランやお土産やさんの店舗が建ち並ぶ所の入り口ゲートが閉まっていた

『あーあ』

『分からないけど、こう言う所は昼間しかやってないのだろう』


仕方なく
腹を空かせながら、隣の土石流被災家屋保存公園を見物した平成4年8月に水無川で大規模な土石流が発生し
ここではその時に埋没した家屋を当時のまま保存してある
この家屋に住んでいた人達は避難していたため、人的被害はなかった歩いて下っていく一階の屋根の下
屋根が埋まるギリギリの高さまで土石流が来ているのがわかる

中央に体育館のような大きな建物があった閉まっていた(やっぱり)建物のガラス窓、ギリギリにカメラのレンズを付けて撮影する辺りは暗くなり始めていたが
体育館の天井がガラス張りで明るい
照明なしで意外によく見える

『これなら中に入らなくてもいいですね』

と言うか
その体育館のような建物の中ではなく
屋外にもたくさん見るところはある将来の事を見据えての事であろう

これなんかは2階建ての家屋左の木の柵から覗くと
2階の部屋が見える1階の屋根瓦の上に登ったような感じだ

水無川を見物できるかな?

2014-09-28 17:44:00 | 旅行
S教授が
『下にも何かあるぞぉ、行ってみよー』私には何も見えないが…
広い駐車場になっているだけ

いや、何か看板が3つあるS先輩はしばらく見ていた左が『砂防みらい館』
残念ながら午後4時30分で閉鎖したため入館出来なかった

そして中央
これが、廃校になった大野木場小学校の旧校舎
先ほどまで見物していた

そして
右は体育館跡地らしい
綺麗に撤収されて、いまは見物人の駐車場になっている

奥にあるのが水無川である

『よし、水無川まで行ってみよう』旧校舎の右端を回り込む
正面には水無川の対岸にある山も見えている敷地を回り込むように進んでいくと
先ほどの校舎の裏側を見ることが出来た

果たして
見物人のうち何人が
わざわざ裏側までまわって見るのだろうか?こちらの方が間近に見れるのだ!熱風で吹き飛ばされたのか
もしくは、火事の衝撃なのか
下にたくさんのコンクリート片が落ちていたこれは割れかけの窓ガラスどうも飛散防止用のガラスの中に組み込まれているネットは、ななめ45°になっている
校舎の表側から見たネットとは違うようである

ここは?部屋のサイズからしてトイレか何かだろうか


そのまま歩いて水無川の方へ行こうとしたが
残念ながら
柵がしてあり近づけない

仕方なく
『大野木場監視所』の建物の下まで来た階段を昇る建物の中に通路が通っている
行ってみよー途中
左に入り口があったが、もちろんカギが閉まっていた

通りすぎた『どうも、水無川には行けそうにないなぁ』誰もいない
見ている人もいない

ここなら簡単に乗り越えられるのだが…S教授は真面目なので、もちろん入らない

仕方ない
ここから見える範囲で写真を撮ろう砂防ダムも見えている『そろそろ戻ろうか』

監視所の表側に来たこの展望所は4階建相当であるが
もし館内に入れるなら、多分上に上がれるのだろうフェリーの早い便に乗れたら4時30分までに到着して
館内を見物できる

廃校になった大野木場小学校

2014-09-28 16:33:00 | 旅行
フェリーを下りて島原市内を南下する先に見える橋
1991年の大火砕流や土石流で流された後
復旧のために作られた水無川を渡す橋であるその橋を越えて走ること5分くらいかな?

『あれじゃないかな?』上の写真では分かりにくいが
『大野木場砂防みらい館』の標識を発見した

右折して山の斜面を上がっていく

正面に平成新山ご見えているしばらく進むと
目的地に到着したそこにある『砂防みらい館』の開館は午後4時30分までであった

到着したのが午後5時13分
当然ながらすでに閉まっている

隣に
大野木場小学校が火砕流で廃校になり、そのままの形で残されて
そこを今から見物する『おー、ここか、すごいなぁ!』遠くの声がここまで聞こえる

私は以前に一度訪れたことがあるが
S教授は初めてである

校舎は
見学施設になった後に新しく柵が作られて
それ以上、中には入れないようになっている

柵の手前から熱風に襲われた校舎の内部がよく分かる上の写真
手前の窓のサッシがぐにゃっと曲がっているこれは
火砕流の時に変形したのか?

もしくは

あとで、例えば中に入っている大事なものを取り出すために曲がったのか?

これは、物置のような鉄のフレームが斜めに倒れている注目したいのは
その手前にある幅の広い網である

物理学のS教授が

『よくガラスの中に入っている網で、割れたときの飛散を防ぐもの。ガラスが割れて、網だけが綺麗に残っているのではないか?』まさか
と思ったが
物理の先生が言うのだから、もしかしたら正しいかもしれない
ただ
反対側はバリバリに割れているがガラスが残っていた方角は
ガラスが残っている方が普賢岳方向である

運動場に火砕流の説明文があった1991年9月15日18時57分の火砕流のこと火砕流に含まれた火山ガスや巻き上がった火山灰からなる熱風がそのまま直進して
高台にあった深江町の大野木場地区に這い上がり
校舎や付近の民家は焼失したようだ

9月15日時点で当時この場所は警戒区域になっており
児童や住民の人的被害はなかったようだ

説明文その左には
9月15日の前になるが
6月3日の火砕流についても記されていた火砕流が学校のわずか400メートル隣を流れていったが
幸い
火砕流本体と熱風は水無川に沿って流れたため
校舎にいた児童や先生は無事避難することが出来たらしい

それにしてもスゴい。迫力ある写真である

島原半島に上陸した

2014-09-27 21:46:00 | 旅行
S先輩の車でフェリーに乗船した先頭から4番目
別に威張ることはない

このような場合
先頭に近い車輌ほど、長い時間フェリーを待っている可愛そうな車
と言うことになるのだ

階段で客室へ上っていき
テレビの前に陣取る世界の果てまでイッテQ!があっていた

フェリーの乗船時間は1時間なのだが
隣のS教授、落ち着かない先ほどから
座ったり、どこかへ行ったり
また座って、しばらくするとまたいなくなる
それの繰り返しだ

どこに行ってるのかな?
尾行してみた

見失った『おー、いたいた』近付く平成新山の写真を撮っていた

フェリーの方向が微妙に変わった
左舷へまわってみる普賢岳がバッチリ見えた

うろこ雲というのかな?
午前中に比べて確かに、少しずつ天気は回復しているようだ
明日は晴れてくれるかな?平成新山付近を拡大してみると
山の斜面が白くなっている北海道の昭和新山を見たことあるが
いまだに噴気が立ち上っていたのを覚えている

こちらは、噴火活動があったのが25年ほど前
噴気がまだあるのは、当たり前か

明日は山登りですぐ近くに行ける
今から期待が膨らむ

『間近で見られるのが楽しみだ!』

ただし
霧がない、と言う条件がつく
雲仙は結構、霧に包まれやすいのだ

何とか晴れてくれ


やがてフェリーは港に近付いてきた一斉にお客さんは階段を下っていく車輌甲板に降りたさて
いろいろ島原に上陸だ!