クロッキーと共に、正直に言うとヌードも描きたいと思っています。
それは嫌らしい意味ではなく、
「人の像によって生み出される空間というものを、想像ではなしに描いてみたい。」
つまり
「無い」ということを表現したいのです。
学生時代、モリエールの石膏像デッサンを描いていたとき。服と首との付け根の凹み=空間が、かなり魅力的に見えて、乱反射するその部分ばかりを描いていたことがありました。
また、ブルータスのデッサンでは、像ではなくて、輪郭と背景との空間にリアリティーを感じて、結果的に真っ黒に塗りつぶしてしまったこともありました。
人物デッサンでは、その人との私との間の空間が描きたくて、かなりトーンが薄くなってしまったこともあります。
写真ではなく、実際の人物が作り出す空間というものは、反射光が見えたり、さらに奥に何かが見えたり、その先にはもっと果てしなく深い、「無い」という空間が存在するはずです。
似顔絵でも、その人の顔そのものだけではなく、その人を取り巻く回りの空気や空間を描きたいと思っています。
人と空間は、私にとって、「私も人間である」ということの存在の確認であり、逆に「存在しないけれど確実にあるという、最もリアリティーのある光」でもあります。