絵を描いていると、形としてとらえる時代、光としてとらえる時代、線としてとらえる時代などがくる。
それらは、文章力では上達しづらい。絵の先生ではない場合は、文章で絵の説明を求められる。
多くの人は会話が必要ですから、文章を言葉としてとらえる。
絵はいつでもそこにあるのに、なかなか見てはくれない。
絵描きは絵に対して正直であるのだけれど、見る人の役職や経歴や宗教や政治思想に配慮して説明することができないので、言葉としては常に嘘つきに思えるのかもしれない。
描いてみせるしかない。
けれど、それは英語が広がっていったように、望まない描く以外のパフォーマンスを広げることになってしまう。
パフォーマンスを見られて、また絵を見てもらえない。
解説により、絵から目を離して人は考える。
それは、文章の文字がもう一度絵からはじめなければならなくなる時まで続くのかもしれない。
私は、絵が文章を上回ることを望んでいる訳ではないので、言葉を発したりや文字が書けるのだと思う。