今週のサンデー毎日似顔絵塾に、入選。
似顔絵は、高尚であってはならないと言ったが、かといって低俗でよいというわけではない。
「品性」という言葉が浮かぶ。
風刺画(カリカチュア)には、スカトロジーという下品どころではない表現もあるにはあるが、似顔絵には品性がなければならないと思う。
それは、直接的な表現を避けたり、人ではなく出来事を風刺したりすることから始まる。
「罪を憎んで、人を憎まず」という姿勢が大事だと思われる。
似顔絵で個性を出すのは難しい。
どのように描いたかでも個性は出るが、どのように見たかのほうが重要である。
ものの見方は「ぱじぼー」などを紹介したが、じーっと見ること以外の見方をしたのなら、それは個性といえるだろう。
けれど、個性とは「私は、こう描きたい」とか、「私には、こう見える」という主張でもあるから、じーっと見ることを極めても個性にはなると思う。
今までにないものの見方ができたのなら、それは個性を超えて、独創的と言えると思う。
最初は、ドラえもんの手のような丸でも、かまわないと思う。
そこから、親指だけ独立している手袋のように描けばよい。
最終的には、全部の指が描けるようになったほうがよいが、親指と他の指との区別がついているだけでも、手に見えてくるものだ。
手は美大の入試にも出るくらいなので、簡単には描けるようにはならないと思うが、顔とのバランスを考えて練習するのは、無駄ではないと思う。
輪郭線の正しい引き方というものはない。
図形や骨格を意識して線を引いていくということが考えられるが、もっと純粋に線を楽しんで引いてほしいというのが本音である。
クロッキーのように、純粋に線を追えたのなら、それはよい線だと言える。
クロッキーとは、短時間のうちに対象を画面の上に定着させることを言う。
しかし、よい線と似ている線は違う。
似せるというのは、理屈の部分が多いので、感性で引いたよい線にはなりづらい。
記号のようになってしまう場合さえある。
けれど、あらゆる制約から逃れて自由な線が引けたのなら、それはよい線なのである。
子供のように無心で、子供のような線が引けたならと、私も早描き、クロッキーの練習をしている。