お絵描き日記~イラストレーター照井正邦

職人、照井正邦の似顔絵、意匠など。画力の向上を目的に練習しています。

「コロナ下の散歩」塗シリーズ(ミリペンでの心象風景画)

2021-02-28 06:28:17 | 風景画談
コロナ下の散歩で、「塗」を題材に描いたシリーズです。
ミリペンで「比喩ではない塗る」を表現するのは難しく、名詞としての塗もネガティブな発想しかできませんでした。

1枚の扉と、11枚の物語。
代わりづらい現実の日々のなかで、同じ題材の非現実、フィクションからの「転」を見いだす描くという連作的な絵の発想は、劇薬ではない間接的な変化をもたらすのではないかと考えています。


「コロナ下の散歩-塗」1塗


2塗


3塗


4塗


5塗


6塗


7塗


8塗


9塗


10塗


11塗


12塗
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「コロナ下の散歩-塗」12塗(ミリペン画)

2021-02-28 06:21:31 | 風景画談


「コロナ下の散歩-塗」12塗
密を避けて早朝に一人で散歩。
マスクの上からマスク、フェースシールドなども付けて。
呼吸はかなり苦しいけれど、
精神的には負い目を感じにくい格好なので、
走るフリをする必要もなく、
散歩になっています。
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ソフトクリーム(似顔絵)

2021-02-27 15:14:40 | ・俳優、女優
坂上忍似顔絵水彩画像

ソフトクリームと似顔絵を描いてみました。
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「私ではない誰か」71(アクリル画)

2021-02-27 11:39:39 | アクリルガッシュアート


サムホールサイズのアクリル画です。
「私ではない誰か」71、サムホール(158×227mm)
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形を合わせるって何だろ(雑記)

2021-02-27 07:15:29 | 雑記
美大予備校時代、デッサンで「形を合わせろ!」と言われ続けて、何故だろうと不思議でしたが、歳をとってから、形を合わせる多くの方法論が、少しずつ出来なくなって、減ってきていっていることに気付きました。形を合わせる絵のときには、何種類か組み合わせて確認しています。

そもそも何故、形を合わせなければいけないのかを考えると、「現実として見えている世界」が、(日本語が日本の共通の世界」のように、)人間の共通の目の情報となっているからだと思います。

「想像力の翼を広げて描くこと」が、絵の本質かもしれませんが、「現実の世界が、普通の人と同じように見えている」と伝えることも、同じくらい大事なのかもしれません。
私は現実を描くことが苦手でかつ、若い頃は写実主義の必要性を見いだせていませんでしたが、他者との絵としての会話の前段階として、(写実主義だとそれを目指していることになってしまうので難しいですが、)写実表現というものも大事なのではないかと、現段階で思っています。
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「私ではない誰か」70(アクリル画)

2021-02-27 05:23:15 | アクリルガッシュアート


「作る」「整える」「仕上げる」で、まだ「作る」の段階です。
「整える」でダメなら、「壊す」こともしたりします。

サムホールサイズのアクリル画です。
「私ではない誰か」70、サムホール(158×227mm)
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「サロン」展示9〜16(アクリル画)

2021-02-26 15:16:23 | アクリルガッシュアート


「展示」シリーズです。
展示を題材に描いてきましたが、「サロン」にかえました。
写実表現の枠の中で、「絵」にしていこうという試みです。
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「サロン」展示16(アクリル画)

2021-02-26 15:01:26 | アクリルガッシュアート


サムホールサイズのアクリル画です。
「サロン(展示16)」サムホール(158×227mm)
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「サロン」展示15(アクリル画)

2021-02-26 11:55:58 | アクリルガッシュアート


サムホールサイズのアクリル画です。
「サロン(展示15)」サムホール(158×227mm)
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批評の目と自身の行為(お絵描き雑記)

2021-02-26 11:44:38 | 雑記
似顔絵に限らず、人の作品を見るときに、批評の目を持たねばという主旨の考えを書いたことがありましたが、「作品と作者との関係を考えず、作品だけを見る」という方法が伝わっていなかったようで、残念に思います。
もしかしたら、作品と作者との分離や客観というのは、デッサンでしか養われないのかもしれません。

作品についての話をしているのに、「作者の批判をしているのか?」というような、批評が成立しない空気を感じています。

私自身も、批評の目で観たとき、することは自分の作品の改善です。作者をおとしめようと考えたことはありません。

作品の善し悪しに、作者のストーリーを加味することはあるのかもしれませんが、その作品が別の作者の作品であったときなどの危険性を考えると、「その作品の作者が」ではなく、「その作品が」という観点で鑑賞するほうがよいと思っています。
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