お絵描き日記~イラストレーター照井正邦

職人、照井正邦の似顔絵、意匠など。画力の向上を目的に練習しています。

特徴と印象(似顔絵雑記)

2018-07-09 14:42:27 | 雑記
(狭義の)似顔絵というと、「似ている顔の絵」だと思っている人は多いと思います。
では、「似ているとは何だ」となると、「特徴をとらえた絵」となります。
「特徴をとらえるとは何だ」となると、「誰が見ても変らない要素を誇張して描く」ということになります。
「誰が見ても変らない要素とはなんだ」となると、目や鼻や口、そして輪郭や、髪(私は無くなってきていますが)だと言えます。

「なんだ、目鼻口輪郭髪型の特徴を誇張して描けば似顔絵になるのか」
そのとおり。そのとおりなのですが、ここに私はあえて『印象』という要素も入れたいと考えています。
人の顔の印象とは、特徴と違い人それぞれ違って見えていることがあります。
身長何センチメートル、目がはなれている、つり目であるなど、特徴というものは、誰が見ても変らない。
なので、特徴をとらえると、確実に「似ている」と大半の人は思うのです。
けれど、「印象」は人それぞれなので、「似ていない」という人も出てきます。
その人の印象を言語化すると擬態語やオノマトペになります。
おっとり、ニヤニヤしてる、ガッシリ、ひょろり。
そういったニュアンスが出せるようになると、同じモデルを描いても、作者の個性というものが出てきます。
今、言った「印象」とはモデルから受ける印象の話でしたが、もう一つの印象があります。
それは、その人の画風にも直結する「自身が描く似顔絵の印象」です。
私は、「ちょいとワル」という、よい人をちょいワルオヤジに描く画風があります。
それは、印象が全く違うのに似ているというものです。
それと反対に、「ほのぼの」とした印象でも描いたりもします。
特徴をつかむのと同じくらい、印象を描くということは大事だと描いていて感じています。
(※もちろん、印象を必要としない例外的な似顔絵もあります。)

警報(似顔絵雑記)

2018-07-09 12:32:20 | 雑記
テレビの左端に表示されている「何人」という数字が増えていくたび、沈んだ絵になってしまいます。
「こんなときに似顔絵を描いていていいのか」という思いになるけれど、私には似顔絵を描くことくらいしかできないので、描いては塗りつぶすことを繰り返しています。

アナログとデジタルと商用(似顔絵雑記)

2018-07-09 06:36:20 | 雑記
似顔絵を描こうとするとき、アナログとデジタルというものを常に考えています。

似顔絵塾においては、最近ではアナログ作品が優先的に採用されているように感じます。
けれど、印刷媒体である以上、デジタル入稿なわけで、アナログもデジタルに変換されています。

でも、塾長や編集者の人たちは、生のハガキを手にするわけです。
そのとき、アナログのほうが質感の触感などがあると、喜ばれるのかもしれないと思ったりするのです。
それと同時に、全ての投稿作品がアナログであるなら、デジタルというのも新鮮に感じたりするはずです。

デジタルにしかできないこと。アナログにしかできないこと。デジタルとアナログをまたがないとできないこと。
そういう行き来のなかで、何か新しいもの…とまではいかないまでも、若干新鮮に感じてもらったり、ものの見え方や価値感がかわったりした作品が作れれば嬉しいと思っています。

そうなるためには、自分の価値感もかわる必要があり、「こうあるべきだ」「常識的にはこうすべきだ」などという一般論や絵画の定石を逐一、本当にそうなのか疑って確認しつつ、さらに「疑う」「確認する」ということに疲れ果てないように、ファジーな状態、茂木健一郎さんのいうフローな状態で描いていかなければと思っています。

似顔絵は、似顔絵塾だけではありません。
実を言うと、私自身「似顔絵」というものにあまり興味が湧かなくなっている時期がありました。
それは商用利用できる、商品としての似顔絵というものを考えたとき、かなりの制約が出てくるからです。
著作権、肖像権、肖像パブリシティ権、人権など、あらゆる権利を守らねばなりません。
当たり前なのですが、「売れる似顔絵」というものは、権利が発生するのです。

このブログでは、非営利、または商用利用のサンプルとしての似顔絵を描いてきました。
例えば、フランシスベーコンに影響を受けて描いた似顔絵もあります。
しかし、フランシスベーコンの肖像画を知らない人が見ると、「悪意のある似顔絵」「酷い似顔絵」と思われてしまいます。

似顔絵は敷居のとても低い娯楽、サブカルチャーであると同時に、ある意味分かる人にだけ分かるニッチな楽しみでもあると思います。

商用似顔絵は、ニッチを対象にするのは難しい。
けれど、あまりに大衆的でも面白くない。

答えは出ませんが、「商用利用を考えない」なかで、作品を作り続け、結果的に商用にもつながる表現というものを生み出せればと思っています。