「どうやったら上手く描けるようになりますか?」
という質問を絵の指導者になってから受けるようになりました。
こどもには
「そのうち上手になるよー」
と言うかもしれませんが、大人にはそうはいきません。
上手いか下手か以前に、何を描きたかったのかという「テーマ」を明確に意識する必要があると思います。
例えば、りんごを描いたなら、
美味しそうな味を表現したかったのか、
それとも、ゴロッとした丸みを表現したかったのか、
ずっしりとした重さを表現したかったのか、
禁断の実(ザクロですが)の意味も込めたかったのか、などなど…。
上手い絵というのは、
「自分の描きたいことが描けている絵のこと」
を言うのだと思います。
他の人から「下手だね」や「上手いね」などと言われるかもしれないですが、基本は描きたいことが描けていればいいのだと思います。
もちろん、それが人にも伝わると嬉しいですが。
近年の学校の図画工作や美術では、言語によって発表する、いわゆるプレゼンテーションの能力も成績に加味されるようになりました。
言葉にするのは、とても難しいことです。
学習指導要領には、言語化することの重要性がうたわれていますが、実は「言葉にできないことこそ、作品にする」必要性があると私は思っています。
言葉にできないことを絵にする。
言葉にできることは、詩や小説にすればよいと、乱暴ですが思います。
言葉で説明するからには、相手に分かってほしいと考えると思います。
分かるの語源は「分ける」、つまり「分離」です。
モヤモヤした非言語のカタマリから、「分離」することによって、言語化されていくのです。
しかし、描くという行為は「分離」だけではなく、「結合」も大事です。
言語と言語、非言語と非言語、非言語と言語とをくっつけてできる作品もあります。
A+B=C
アイデアというのは、恐ろしく単純な構造だという説があります。
このAやB、そして出来たCは、非言語的であるかもしれません。
確かに、言葉にできないことを言葉にすることは大事です。
実際、今私は言語化しています。
絵を指導する立場になって、言語能力の必要性を痛感しています。
「どうやったら上手く描けるか?」
この質問が極めて言語的であり、答えるのにいつも苦慮しています。
似顔絵ブログランキングに参加しています。↓

という質問を絵の指導者になってから受けるようになりました。
こどもには
「そのうち上手になるよー」
と言うかもしれませんが、大人にはそうはいきません。
上手いか下手か以前に、何を描きたかったのかという「テーマ」を明確に意識する必要があると思います。
例えば、りんごを描いたなら、
美味しそうな味を表現したかったのか、
それとも、ゴロッとした丸みを表現したかったのか、
ずっしりとした重さを表現したかったのか、
禁断の実(ザクロですが)の意味も込めたかったのか、などなど…。
上手い絵というのは、
「自分の描きたいことが描けている絵のこと」
を言うのだと思います。
他の人から「下手だね」や「上手いね」などと言われるかもしれないですが、基本は描きたいことが描けていればいいのだと思います。
もちろん、それが人にも伝わると嬉しいですが。
近年の学校の図画工作や美術では、言語によって発表する、いわゆるプレゼンテーションの能力も成績に加味されるようになりました。
言葉にするのは、とても難しいことです。
学習指導要領には、言語化することの重要性がうたわれていますが、実は「言葉にできないことこそ、作品にする」必要性があると私は思っています。
言葉にできないことを絵にする。
言葉にできることは、詩や小説にすればよいと、乱暴ですが思います。
言葉で説明するからには、相手に分かってほしいと考えると思います。
分かるの語源は「分ける」、つまり「分離」です。
モヤモヤした非言語のカタマリから、「分離」することによって、言語化されていくのです。
しかし、描くという行為は「分離」だけではなく、「結合」も大事です。
言語と言語、非言語と非言語、非言語と言語とをくっつけてできる作品もあります。
A+B=C
アイデアというのは、恐ろしく単純な構造だという説があります。
このAやB、そして出来たCは、非言語的であるかもしれません。
確かに、言葉にできないことを言葉にすることは大事です。
実際、今私は言語化しています。
絵を指導する立場になって、言語能力の必要性を痛感しています。
「どうやったら上手く描けるか?」
この質問が極めて言語的であり、答えるのにいつも苦慮しています。
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