享和元年(1801)東本願寺の達如上人が宗祖親鸞上人の遺跡を慕い、
一宇を創建したのが起こり、はじめ岡崎御坊と称したが、
明治9年(1878)に今の名に改めた。もとこの地は親鸞屋敷とよばれ、
叡山より下山した親鸞がしばらくこの地に仮寓し、
承元流罪の折には、ここから越後の配所へ赴いたと伝わる。
そのとき、姿を映した姿見の池(鏡池)が、今も本堂の傍らにある。
上人手植えの「八房の梅」と称する紅梅がある。
石碑には 親鸞聖人草庵遺蹟 と書かれています
東門
享和元年(1801)東本願寺の達如上人が宗祖親鸞上人の遺跡を慕い、
一宇を創建したのが起こり、はじめ岡崎御坊と称したが、
明治9年(1878)に今の名に改めた。もとこの地は親鸞屋敷とよばれ、
叡山より下山した親鸞がしばらくこの地に仮寓し、
承元流罪の折には、ここから越後の配所へ赴いたと伝わる。
そのとき、姿を映した姿見の池(鏡池)が、今も本堂の傍らにある。
上人手植えの「八房の梅」と称する紅梅がある。
石碑には 親鸞聖人草庵遺蹟 と書かれています
東門