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寺院上0036  桜上010 立本寺  桜が満開

2015年04月08日 06時39分02秒 | 

この町中にあって広い境内です、境内が公園を兼ねているようです

今日は 桜が満開です  平成27年3月31日 撮影

表門です

 

 

 

 

立本寺 京都市指定有形文化財

 

本堂、刹堂(鬼子母神堂)、客殿、鐘楼、表門

 

立本寺は日蓮宗の本山で、具足山と号する。創建については二説あって定かでないが、中世には寺地を転々とし、さらに宝永5年(1708)の大火で本堂以下を焼失したのちに今出川寺町より現在地へ移転してきた。本堂は、現在地へ移ってからもすぐには再建されず、上棟したのは寛保3年(1743)であった。平面は、近世における日蓮宗七間道の典型的な構成であるのに対して、立面構成では全体に装飾が多く、また変化に富んだ空間構成となっている点に時代的特徴がみられる。

 

刹堂は、日蓮宗の守護神である鬼子母神と十羅刹女を本尊とし、鬼子母神堂とも呼ばれる。享保4年(1719)に再建されたが、天明3年(1783)に再び焼失し、その後文化8年(1811)に再建されたのが現在の建物である。小規模ながら、日蓮宗本堂の平面構成を踏襲した本格的なつくりである。客殿は、享保13年に上棟され、六間取方丈形式の平面を基本とするが、仏間が背面に張り出されている。こうした例は、日蓮宗客殿においては早い方に属する。当寺にはこのほか、鐘楼(寛文年中・1661~73)、表門(安永7年・1778)も残り、近世中期における日蓮宗本山の寺観をよく伝えている。平成元年4月1日 指定  京都市

 

 

 

左は公園 

右の建物は 妙見堂

妙見堂です

 

鬼子母神堂です

 

祖師堂です

 

本堂です

 

 

庭園について

 

立本寺庭園

 

日蓮宗の本山の1つである立本寺が現在地に移ったのは、宝永5年(1708)のことである。

 

庭園は、記録によれば当寺49世住職日到上人(在住職天保14年・1843~嘉永3年・1850)により作庭されたものである。池を掘ることなく築山を数多く築き、客殿西正面奥の築山前面には枯滝と見られる石組を配しており、その造形的な手法は、作者の庭園に対する能動的な姿勢をうかがわせる。

江戸時代末期の記録が残る、独創的な意匠の庭園として貴重であり、昭和60年6月1日、京都市指定名勝

 

書院です  

 

庫裏です

 

北門 です       

 

塔頭の光源院です                                          

 

塔頭・大輪院です                     

塔頭・教法院です              

 

納骨堂です                 

鐘楼です

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