遊歩場嬉戯図
京都盲唖院は、上京第17番組小学校として開校した待賢小学校の教師、古川太四郎と地域の代表者であった熊谷伝兵衛が始めた聴覚障害児のための学級「瘖唖教場」における実践が土台となって、明治11年(1878)に東洞院通御池上るで開業式を行った。これは、日本で最初の障害児教育のための学校であった。翌年、釜座通椹木町下ルら移転。この地で大正14年(1925)に京都府立盲学校と京都府立聾学校に分離した。
盲唖院の開校当時の京都府下小学校は、満6歳から8年間、上等・下等各4年8級制で、年2回の大試験により順調にいけば1年で2級進級したが、盲唖院仮教則は満6歳から5年間、年1回の大検査により1年で1級進級、全5級制であった。教育内容は「京都府下小学校下等課業表」を基にしているが、算術だけは上等小学用の「上等課業表」の内容も含まれている。
京都市立盲唖院之図 児玉兌三郎 明治30年代 京都府立盲学校蔵
京都盲唖院から東京の楽善会訓盲院に贈られた物と思われる。体育効果と言語教育をねらった取組で、当時、室内にこもりがちであった障害児が室外で遊べるように考案した古川太四郎の工夫と情熱が伺える。
方向感覚渦線場 視覚障害児に、渦状のコースを風や太陽、看護人の声を感知させることで歩行訓練させる。
打毬貫輪器 聴覚障害児が、数個の輪に球を貫通させることで、体育的効果とともに集中力を養うことを目的とした。
単語図合 聴覚障害児が屋台の下段に仮名で書かれた的に球を命中させれば、上部に絵と本字を書いたカードが出現する仕組みになっており、楽しく単語が覚えられ、体育的効果も狙ったもの。
「手算法略図」と「瘖唖手勢五十音」 明治11年(1878) 京都府立盲学校蔵
開校式の際、視覚障害児には「課業表」と「手算法略図」、聴覚障害児には「課業表」と「瘖唖手勢五十音」を、出席の各区長、神官僧侶にも配られた。これらは京都府の御用書林である村上勘兵衛の版
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