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千本ゑんま堂・引接寺  こわくて偉い閻魔様が人気です 六斎念仏は本日午後7時から

2015年08月14日 13時08分35秒 | 寺院

光明山と号し、高野山真言宗の寺。光明山歓喜院引接寺閻魔堂が正式名。

本尊に閻魔王を祀るので「千本閻魔堂」と呼ばれている。

寛仁年間(1017~1021)、定覚律師が大念仏をはじめた、

文永10年(1273)明善律師(如輪上人)によって再興された。

春の大念仏狂言、夏の盂蘭盆会に精霊迎えの寺として親しまれている。

閻魔王宮を模している。

 

普賢象桜 

 平安名木の1つ室町時代多くの人が訪れたことが当時の公卿の日記に書いてある。

後小松天皇足利義満も援助している。

この桜は色は淡く、花弁の中から茶の芽のような双葉が出て、茎が長く垂れ下がるのが、

あたかも普賢菩薩の乗る白象の鼻のようであるから呼ばれるようになった。

また、鎌倉の普賢堂にあった名木を移し植えたので普賢堂桜ともいわれる。

 

この花の散るときは、1ひら2ひらと散らないで茎のままで落ちるのが、

まるで囚人が首を斬られるようなので、江戸時代には花の盛りに1枝を折って所司代に献じ、

所司代はこれを獄舎の囚人に見せて、仏心を起こさせようとした。今のは、二世です。

 

 

昭和44年8月 建立

 

六斎念仏 の復活でしょうか

六斎念仏は松ヶ崎の題目踊りとともに郷土色がある

本日の午後7時から

 

 

最近 2度の火災にあっている  地元の消防団が常駐でしょうか

本堂は昭和42年、昭和52年(1977)9月29日の失火で半焼した。

2度の火災にあっている。完全に再建できていない。

 

鐘楼

鐘楼(南北朝)は康暦元年(1379)僧円阿の勧進によって作られた銘がある。

 

鐘楼の天井

 

狂言 「炮烙割」に使われる

大念仏狂言  釈迦念仏、花念仏、千本念仏ともいわれる

壬生狂言  嵯峨釈迦堂の狂言とともに有名。

江戸時代以降は、宗教的色彩をはなれて、滑稽を主とするようになった。

狂言堂で行われる。40余りの種目のうち「花盗人」は閻魔堂狂言特有の狂言。

「悪鬼赤鬼」「鬼の念佛」「閻魔の庁」が特徴。

ここのは有声であるのが特長

織田信長が上杉謙信に贈った狩野永徳筆の「洛中洛外図屏風」にも

狂言の様子が描かれており、

室町時代からゑんま堂狂言があったとされています。

 

 

クロサンドラ が きれいに咲いていました

 

 

 

 

丈六の閻魔王坐像、司命・司禄の像、地蔵立像を安置している。

閻魔王は鎌倉の仏師定朝の作と伝わる。

堂内の壁画「冥府図」は狩野光信の作。

 

閻魔様  正面に安置されています

 

水塔婆供養

観音堂には、11面六臂の観音立像し小野篁像が安置されている。

開創は小野篁。篁は閻魔大王から塔婆供養の秘法を授かり、それを広めた。

精霊堂といわれ毎年8月9日・10日の精霊迎えに多くの人来る。

錦花鳥  約20羽ほど 飼われていました

近親の交配で心配されていました

 

紫式部 供養塔

九重石塔 ・重要文化財・南北朝 至徳3年(1386)8月22日の刻銘が残っている。

古くから紫式部供養塔といわれ元紫野白毫院にあったものを移したもの。

 

紫式部の像

「斑入りギボウシ」  

 

茶筌塚

提灯に表千家  裏千家 が奉納されていました

 

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