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神社左0137 貴船神社

2018年06月12日 05時48分20秒 | 神社

 

 

水徳神高龗神を祀る旧官幣中社で、社名は古くは木船、貴布祢とも書かれたが、明治4年(1871)以降「貴船」と改められた。平安時代延喜の制には、名神大社という最も高い格式に列し、日照りや長雨が続いたとき、また国家有事の際には必ず勅使が差し向けられ、祈念がこめられた。弘仁9年(818)以来の暦朝の奉幣、祈願では、もっぱら祈雨、止雨の神として崇められ、祈雨には黒馬、祈晴には白馬又は赤馬が献ぜられるのが例であった。平安時代末期には賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社とされたが、明治以降独立した。

かつて社殿は貴船川に沿って上がったところにある現在の奥宮の地にあったが、天喜3年(1055)、現在地に移転された。

本殿、拝殿、権殿等から成り、本殿は文久3年(1863)及び平成17年(2005)に改修された。また、境内には祈雨の行事を行った雨乞の滝、奥宮本殿の西には船形石と呼ばれる船の形に積んだ石塁がある。和泉式部がお詣りし、不和となっていた夫との願いがかなって復縁した話はよく知られている。

京都市

絵馬発祥の社

先人にならい絵馬を奉納してご祈願下さい。

古来より雨乞いの社として名高い当社には畏くも歴代天皇様より旱天には黒馬、霖雨には白馬又は赤馬をその都度献げて御祈願される例になっていました。しかし、時には生馬に換えて『板立馬』を奉納したと、平安時代の文献である『類聚符宣抄』は伝えています。この「板立馬」こそは今日の絵馬の原形といわれています。当宮ではこの故事に倣い、かつて和泉式部が復縁し、平實重が蔵人昇任を、大宮人が加茂競馬の必勝を、そして源義経が源氏再興を、それぞれ大神様に祈ったようにも皆様方の心の願いを1枚の絵馬に託して御祈願なさいますようお勧めいたします。

本宮 所願成就  結社 えんむすび  奥宮 心願成就

 

 

桂(御神木) 貴船は古くは「気生嶺」「気生根」とも書かれていた。大地のエネルギー「気」が生ずる山、「気」の生ずる根源という意味。

神道では、体内の気が衰えることを「気枯(けが)れ」といい。古来当社に参拝する者皆、御神気に触れ、気力の充実することから運気発祥(開運)の信仰が篤い。この桂は、樹齢400年。樹高30m。根元からいくつもの枝が天に向かって伸び、上の方で八方に広がる。これは御神気が龍の如く大地から勢いよく立ち昇っている姿に似て、当社の御神徳を象徴し、まさに御神木と仰がれる由縁である。上流の結社さらに奥の奥宮の境内にもこれより大きな桂がある。

由緒

御祭神は高龗神。水の供給を司る神。創建年代は明らかでないが、第18代反正天皇の御世に奥宮の水の湧き出すところに社殿を建てたという御鎮座伝説がある古社。対岸鞍馬山の鞍馬寺は、平安初期の延暦15年(796)藤原伊勢人が貴船明神の夢のお告げで建立したと諸書に出ているので、その当時すでに貴船の神は大きな力を具えていたことがうかがえる。永承元年(1046)7月の水害で奥宮が被災、天喜3年(1055)4月この地に本社を移築した。

京都に都が開かれて当社は国の重要な神社となり、事ある毎に勅使(天皇のお遣い)が差し向けられた。特に当社には、日照りの時には黒馬を、長雨の時には白馬を献じて「雨乞い」「雨止み」の祈願がこめられた。「その数数百度に及ぶ」とある。平安時代の勅願社22社の1社で、延喜式名神大社。庶民の崇敬も篤く全国に2000社を数える分社がある。

古くは「貴布禰」と記したが「黄船」「木生嶺」「気生根」などの表記もみられる。明治4年官幣中となり、以後「貴船」の表記で統一された。例祭 6月1日

貴船神社中宮 結社(ゆいのやしろ)

貴船神社中宮 結社(ゆいのやしろ)

相生の杉(御神木)

同じ根から生えた二本の杉。樹齢1000年 

相生は「相老」に通じ、夫婦ともに長生きの意味

 

思ひ川

夫の愛を取り戻そうと思い悩んでいた和泉式部は、貴布禰詣でを思い立ちました。当時は奥宮で本社で参拝者はこの谷川で手を洗い口をすすぎ、みを清めてから参拝しました。

この谷は禊(みそぎ)の川、物忌(ものいみ)の川だったのです。和泉式部もここで身を清めて恋の成就を祈ったのでしょう。

禊の川だった「おものいみ川」が、和泉式部の恋の話と重なり、いつの頃からか「思ひ川」と呼ばれるようになりました。

遅桜なほもたづねて奥宮

思ひ川渡ればまたも花の雨  虚子

 

貴船名石

つつみケ岩

連理の杉(御神木)

 

拝殿

貴船と「鉄輪」の伝説

当社は古来より水ノ神として崇敬され祭神として高龗神を祀り、心願成就信仰としての「丑の刻詣」で知られている。

むかし宇治の橋姫が丑の刻(午前2時)詣りをして男に呪いをかけた伝説があり、これをもとにつくられたのが謡曲「鉄輪」で、橋姫が頭にのせた鉄輪を置いた鉄輪掛石が叡山電鉄・木船口駅の傍らにある。丑ノ刻詣りは祭神が国土豊潤のため、丑年丑月丑日丑刻に降臨されたと伝える故事によるもので、人々のあらゆる心願成就に霊験あらたかな事を示すもので、単にのろいにのみとどめるべきものではない。

謡曲史跡保存会

貴船神社 奥宮

当地は、貴船神社が当初創建されたところで、当社の祭神も本宮と同様、水や雨を司る神「高龗神」である。社伝によれば、「反正天皇の時代(5世紀初頭)に、玉依姫命(神武天皇の母)が黄船に乗って浪速(大阪)から淀川、鴨川、貴船川をさかのぼって当地に上陸し、そこに祠を営んで水神を祀ったのが当宮の起こりである」とのことで、地名及び社名の起源をこの「黄船」にもとめる説もある。

境内の本殿横には、この伝説にまつわる「船形石」があり、これを積み囲んだ小石を持ち帰ると航海安全に御利益があるとされた。

また、本殿下には巨大な龍穴があり、文久年間(1861~1863)の本殿修理の際、大工があやまってノ      ノミをこの中へ落としたところ、一天にわかにかき曇り、突風が起こり、ノミを空中へ吹き上げたという。この他、宇治の橋姫伝説や和泉式部の恋愛成就など、当社にまつわる逸話か数多い。

なお、当社境内周辺には、昭和60年(1985)6月に京都市指定天然記念物に指定されたカツラをはじめ、高木が多く見られ、自然遺産の宝庫でもある。京都市

 

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貴船神社

結社

奥宮



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