此附近 弘文院址
弘文院は,平安初期に和気氏によって開かれた大学別曹である。和気清麻呂(733~799)の長子広世(生没年未詳)が,延暦年間(782~806)に大学別当になり,父の志を継いで大学南辺の私宅を弘文院とした。内外の経書数千巻を蔵し,墾田40町をその財源とした。大学別曹の中で最古のものと位置づけられるが,和気氏の衰微とともに廃滅した。この石標はその跡を示すものである。 昭和三年六月 京都史蹟会引継
大正六年三月建之 京都市教育会
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五七五
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