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文化財府004  久美浜 稲葉本家

2016年10月12日 07時01分18秒 | 登録有形文化財

 

 

 

伝によると、当家初代喜兵衛は、織田信長の家臣団、美濃三人衆の一人稲葉一徹一族の縁者と言われている。当家の家紋「折敷三文字」、当地名の「土居」が証している。

稼業は代々「糀屋」を生業とし、日本海沿岸交易業掛屋等も営み隆盛を極めた。久美浜代官所蔵設置の享保20年(1735)には、幕府の公金預かり所となり、以降は近隣諸藩の金融を独占する豪商となった。

 

一方、天明大飢饉前後には、多額の金穀を献納し苗字帯刀を許された。12代市郎右衛門の事。明治維新山陰道鎮撫総督

西園寺公望公の本陣となり、数百名の関係者が宿泊したと記録にある。慶応4年、久美浜県(丹後・但馬・丹波・播磨・美作)が設置されるや

勧産用掛頭取、熊野郡区長、但馬区長を務め、さらに京都府議会開設時の府議会議員、衆議院議員ともなる。

 

明治17年には、地租780円(約3億円)納める府下一の多額納税者であった翁は、金融・殖産のために努力し、自家の繁栄のためばかりでなく町に発展にも努力を惜しまなかった。特に鉄道敷設には情熱を注いだ。また、歌、書をなした

文人であり、「過渡の久美浜」を著した。13代市郎右衛門の事。府議会議長(2回)、久美浜町長等を歴任いるとともに、京都府農工銀行頭取も務め、本町はもとより京都府の金融産業振興に多大の寄付をした。先代の志を継ぎ、多大の私財を注ぎ込み昭和4年念願の久美浜・豊岡間の鉄道開通を実現させた。

喜兵衛が美濃の国(岐阜県)から移住して四百有余年、稲葉家も今日15代当主を迎え、当家も新しい形で再生された。時空を超えた旅人、喜兵衛の思いや如何・・・

平成15年4月  久美浜町

久美浜 龍伝説

一遍上人 (一遍上人絵伝)巻8(国宝)によると、一遍上人は弘安(1285)に、京都から丹波を通って久美浜へ来ました。そのおり、くみ はまの海岸で海面から龍が現れた様子を絵入りで記しています。一遍はその後、丹後久美浜から但馬へ向かったと記されています。その後「おほさか伯耆(逢坂)」を通って美作へ向かったと記されています。室町時代の「丹後御檀家帖」には、「くみのはま」とは、現在の久美浜一区の海岸地域(厳密には、西元町~東本町)であることが明確に記されています。時宗は一遍上人(1239~89)によって開かれた鎌倉新仏教の1つです。伊予国(愛媛県)の豪族河野通広の子として生まれた一遍は、文永11年(1274)から全国各地を遊行し、「踊り念仏」によって布教を行いました。この河野家が、稲葉本家の先祖に当たる美濃の稲葉家につながるのは、不思議な縁と言わざるを得ません。

地名 高竜寺岳、七竜峠、大明神岬

 

国登録有形文化財

1母屋(明治23年竣工)

2長屋門(通称雛御門)

3南宝蔵

4北宝蔵

 

 

明治18年 地租税金 上納 第1位 稲葉市郎右衛門

 

作庭  佐野藤右衛門

 

 

 

嫁入り駕籠

 

御殿雛

 

 

 

吟松舎の庭園

 

 

 

 

心が落ち着きます  日常から離れられるようです

充分堪能させてもらいました

 

欄間 趣向

 

鴨居の釘隠し

 

欄間の趣向

 

蚊帳を吊るす金具  冬用と夏用に作られている

 

古田織部 のキリシタン灯籠

 

 

 

二階 の様子

 

 

 

家具とかが 置いてない

 

銅像が右の方に見えます

もう一つの蔵

 

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三井寺の 門たたかばや 今日の月 /芭蕉

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