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寺院中0067  誓願寺  浄土宗西山深草派  H28.5.9画像追加

2016年06月09日 09時42分15秒 | 寺院

 

總本山 誓願寺    新西国15番霊場   芸道上達祈願扇塚 誓願寺

 

誓願寺

洛陽六阿弥陀巡りの6番、江戸中期に木食上人がはじめたもので、真如堂、永観堂など有名な阿弥陀像を祀る寺院を歩いてほどよい距離に点在しています。誓願寺の阿弥陀さんは木造で丈六。「誓願寺縁起」は本尊の由来と霊験、同寺の縁起を書いた絵巻です。「毘沙門天立像」がある。いずれも京都国立博物館に寄託されている。

天智天皇6年(667)、天皇の勅願により創建された。本尊の阿弥陀如来坐像は賢問子・芥子国の作であった。もとは奈良にあったが、鎌倉初期に京都の一条小川(現・上京区元誓願寺通小川西入)に移転し、その後、天正19年(1591)に豊臣秀吉の寺町整備に際して現在地に移された。その当時は京都有数の巨刹の規模を有し、表門は寺町六角に面し、裏門は三条通に北面し、境内地6500坪には多数の伽藍を有し、18ケ寺の山内寺院を擁していた。

誓願寺が隆盛を極めたのは慶長18年(1613)からで、55世住職に安楽庵策伝和尚がきてからです。和尚は狂歌、俳諧、茶道を通じ多くの公家や一流の文化人と交遊しました。誓願寺はたびたびの火災で本堂をはじめ諸堂が焼失しました。文化10年(1813)には本堂の周囲に見世物小屋、揚弓場、茶店、露天ができ、本堂ではこの大仏の前で施餓鬼法会が次から次へと営まれました。施餓鬼寺として大変人気があり参詣者も多く、「誓願寺さんへ行こう」ということばはこのころより盛んになりました。ところが、元治元年(1864)7月の兵火に、あの著名な本尊も持ち出す間もなく塔頭18院もろとも焼失しました。

現存する塔頭は、裏寺町通の長仙院、頂源院、大善院の3院だけになりました。清少納言和泉式部秀吉の側室・松の丸殿が帰依したことにより、女人往生の寺としても名高い。また源信僧都は、当寺にて善財講を修し、一遍上人も念仏賦算を行った。浄土宗元祖の法然上人が興福寺の蔵俊僧都より当寺を譲られて以降、浄土宗になったという。現在は、法然上人の高弟・西山善恵房證空の流れを汲む浄土宗西山深草派の総本山である。茶僧・安楽庵策傳、医師・山脇東洋、国学者・穂井田忠友の墓がある。また歌舞伎芝居「桂川連理柵」のモデルといわれるお半・長右衛門の墓がある。徳川家康の4男松平忠吉の家臣で、亡き主君の後をしたって追い腹を切った小笠原監物忠重の墓もある。

 

 

明治15年9月 建立

江戸時代の終わりごろから明治時代にかけては、迷子が深刻な社会問題となり、お寺や神社や盛り場などには、「迷子のみちしるべ」と呼ばれる石柱が建てられた。正面には「迷子の道しるべ」と刻まれ、右側には「迷子のみちしるべ」と誓願寺には、

右側には「教しゆる方」、 左側には「さがす方」 と彫ってある。 現在の石柱は、1882年に建てられたものである。

 

 

円光大師霊場 第20番  明治43年建立

 

地蔵尊

鐘楼

 

手水舎

 

 

扇塚

 

扇塚の由来

世阿弥の作と伝えられる謡曲「誓願寺」は、和泉式部と一遍上人が主な役となって誓願寺の縁起と霊験を物語ります。この謡曲の中で、和泉式部が歌舞の菩薩となって現れることが、能楽をはじめ舞踊など芸能の世界で尊崇され、江戸時代から誓願寺へ参詣するその筋の人が数多くありました。特に舞踊家が多く、文化・文政・天保(1804~44)のころに京都で活躍した篠塚流の祖・篠塚文三郎(梅扇)は、幸若の系を引く能楽的な色彩と歌舞的な色彩を調和させた優れた芸風を示したといわれ、天保年間には山村舞とともに京阪で大いに流行しましたが、彼ら舞踊家の中に誓願寺の和泉式部信仰がありました。その信仰を誓願寺の「扇塚」に、芸道上達を祈願して「扇子」を奉納することには、右のような深い歴史的な意味が秘められているのであります。また、誓願寺第55世策伝日快上人(1554~1642)が「醒睡笑」8巻を著作して、所司代板倉重宗に送った。落語の祖と仰がれておられることも「扇子」との強い絆を保持するゆえんであります。

「節分会福扇祭」が2月3日に行われる。

 

 

東門

平成28年4月29日  戸が開け放されていました

 

何と書かれているのでしょう

 

 

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