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桂川連理樹の史跡

2015年10月06日 22時02分36秒 | 史跡・旧跡

 

 

 

桂川連理樹の史跡

宝暦11年(1761)4月11日 (この場所より50メートルの川岸)の朝、男女の溺死体が浮かんだ 

身元をたづねると、京は柳馬場押小路の虎石町、信濃屋の娘と帯屋の主人であった。

ここがその後浄瑠璃や歌舞伎で広く世に喧伝された

桂川連理柵の主人公 お半・長右衛門の悲恋物語の場所である。

 露の命の置所 草葉の上と思えども

義理にしがらもこの世がら

刃では死なれぬゆえ

桂川へ身を沈めるがせめてもの言訳と

お半を背に一足毎に水の中へ

 

現在でもお半長右衛門といえば中年の男と幼い娘との思案の外の恋の代名詞の様に語りつがれている

その後郷土の先人がこの二人の物語りをあまりにも哀れにこの塔塚を建立したのであるが、

合わせて桂川水防の碑として長らく守られて来た。

なお、この塔塚については、子供の病に効能ありとして、広く信仰の対象にもなっていた。

昨今はなはだしく荒廃埋忘していたのをこのたび地元の有志方々の努力によって

ここに新しく移しかえられたものである。 昭和61年11月吉日

お半・長右衛門  法華塔保存会

 

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すぐ横で咲いていた花       

オシロイバナ

 

イヌタデ

 

ツユクサ

 平成27年9月26日 撮影



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