goo blog サービス終了のお知らせ 

アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

石碑  浅見絅斎邸址

2016年02月27日 07時40分43秒 | 石碑

 

浅見絅斎(1652~1711)は,近江国高島郡太田村出身。京都で医学を学ぶが,山崎闇斎(1618~82)に心服し入門,門人三傑の一人となった。朱子学者として大義名分論を説き,幕末の志士にその著『靖献遺言』は広く読まれた

浅見絅斎 (あさみ けいさい)

承応元年~正徳元年(1625~1711) 江戸中期の儒者で名は安正。

望南楼と号した。近江国高島郡(滋賀県高島郡)の医家に生まれる。京都の山崎闇斎に入門。佐藤直方・三宅尚齋とともに崎門三傑といわれた。一生仕官せず、油小路に講舎を設けて研究と子弟の教授に努める。著書に「靖献遺言」「忠孝類設」などがある。

大正5年5月建立  京都市教育会

連記事 ➡  山崎闇斎の墓 黒谷 金戒光明寺

  山崎闇斎の垂加社 下御霊神社  無実の罪で非業の死を遂げた人たちを祀る

  山崎闇斎の生家跡  山崎 闇斎 (やまざき あんさい) 朱子学の第1人者 門弟6000人

          

              石碑 藤井右門宅址・富山射水生まれ・先祖は赤穂浪士



最新の画像もっと見る