浅見絅斎(1652~1711)は,近江国高島郡太田村出身。京都で医学を学ぶが,山崎闇斎(1618~82)に心服し入門,門人三傑の一人となった。朱子学者として大義名分論を説き,幕末の志士にその著『靖献遺言』は広く読まれた
浅見絅斎 (あさみ けいさい)
承応元年~正徳元年(1625~1711) 江戸中期の儒者で名は安正。
望南楼と号した。近江国高島郡(滋賀県高島郡)の医家に生まれる。京都の山崎闇斎に入門。佐藤直方・三宅尚齋とともに崎門三傑といわれた。一生仕官せず、油小路に講舎を設けて研究と子弟の教授に努める。著書に「靖献遺言」「忠孝類設」などがある。
大正5年5月建立 京都市教育会
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