九条邸跡
九条家は、五摂家の1つで、平安後期以降多くの人が朝廷の重要職である摂政や関白につきました。その娘の多くも天皇妃となり、大正天皇の皇后節子もその一人です。江戸末期、米総領事ハリスの通商条約締結要請に対し徳川幕府は了解する考えでしたが、朝廷側の孝明天皇は反対でした。折しも京都市内では、幕府と朝廷との様々な交渉が行われ、時の関白九条久忠の邸もその舞台の1つとなりました。講題だった屋敷も、今では池の畔の茶室の拾翠亭と、九条邸の鎮守だった厳島神社が中島に残るばかりです。
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五七五
大学と花街お寺の京の春 /服部
ことわざ
庇を貸して母屋を取られる