アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

平安京  三条西殿・三条大路跡  院政時代の中心地 高級邸宅地

2015年11月10日 20時53分41秒 | 史跡・旧跡

 

 

南を三条通り(三条大路)、北を姉小路通り(姉小路)、東を烏丸通り(烏丸小路)、

西を室町通り(室町小路)に囲まれた一画は、平安時代の表示では

「左京三条三坊十二町」に当たる。

この付近は、平安時代後期には皇族や有力貴族の所有になる高級邸宅街であった。

特に十二町は白河法皇、鳥羽上皇、待賢門院の御所として、

ここをクリック ➡ 待賢門院の陵墓

院政時代の政治の中心となった「三条西殿」の遺跡として知られている。

この三条西殿の東南部分にあたる「烏丸ビル」の敷地は、

財団法人古代学協会・平安博物館が昭和44年と56年に二度にわたり発掘調査を実施した。

調査の結果、後世の削平などにより、建物跡の検出はできなかったが、

宅地の南と東を限る、三条大路北端と烏丸小路西端の側溝を検出し、

その位置を確認することができた。

また、検出された側溝は平安京全体の町割りを復元する上でも重要な定点となった。

なお、敷地東南隅では平安時代から江戸時代にかけての

各時期の三条大路の側溝と路面の一部を検出し、

当初の路幅八丈(約24メートル)が徐々に狭められて現在に至っていることが判明した。

発掘では大量の屋瓦類や土器・陶磁器類が出土した

他室町時代の三条の溝からは、西国三十三所巡りの巡礼札も出土し、

いつの時代にも賑わう三条界隈の様子が窺われる。

財団法人古代学協会

 

 


右書き看板  屋楽永   

2015年11月10日 19時40分21秒 | 右書き看板

 

 

株式会社永楽屋は、京都市中京区の四条河原町に本店を置く和菓子と佃煮を扱う

日本の食料品製造小売会社。本社工場は山科区にある。

創業は昭和21年で、現当主の三代続く京都の老舗である。

一と口椎茸を始めとする京佃煮、柚子こゞりを始めとする和菓子などの辛味と甘味の商品を扱う。

 

1911齋田永三郎、齋田永三郎商店を創業

場所は大阪市内の約4坪の借家。紆余曲折ありつつも、

メリヤス類の製造・販売を中心に事業を展開。

複数の事業所、上海に出張所を持つに至る。齋田永三郎商店が閉店

上海事変に伴う事業所撤退を経て、閉店。やがて故郷京都へ戻り、料理店を開店させる。

1946永楽屋 創業

前回記事  ➡  右書き看板 樹瓢 大正9年創業 建物は登録有形文化財


廣野了頓の邸宅跡 ・将軍御成門跡  

2015年11月10日 13時53分45秒 | 史跡・旧跡

 

 

廣野了頓の邸宅跡 将軍御成門跡

この一帯には安土桃山時代の茶人、廣野了頓の邸宅があったといわれる。

廣野家は足利家代々の従臣で、将軍義輝の時にこの地を領有した。

市井人となった了頓が、ここに茶亭を構え茶道を広め、豊臣秀吉もしばしば訪れたという。

また、山科言経の日記「言経卿記」にも文禄3年(1594)5月11日に

徳川家康がここを訪れ、言経、古田織部らも同席して茶の湯を楽しんだ様子が記されている。

 

明治維新前までは、六角通に面して表門があり、裏門まで一般の南北通り抜けを許したため、

了頓辻子と呼ばれる小路が成立した。

六角通面の町が玉蔵町であるため、玉蔵辻子とも称されたこの路は、

夜間には通行を禁じ、表門を将軍御成門と呼んだといわれる。

 京都市

 

 


中京区  三条通  仁丹  11月10日  1枚追加

2015年11月10日 12時42分13秒 | 仁丹看板通り別

            西洞院東入   釜座町

11月10日    新町西入    釜座町 

 

関連記事 ➡ 仁丹 町名ホーロー看板


中京区  新町通  仁丹看板  11月10日 1枚追加

2015年11月10日 10時05分54秒 | 仁丹看板通り別

11月6日  四条上る   小結棚町

11月9日  六角下る   六角町

11月10日   三条下る   三条町   ここにも警報灯・火災報知器と連動しているのかな

 

関連記事  ➡ 仁丹 町名ホーロー看板


右書き看板   樹瓢   大正9年創業 建物は登録有形文化財

2015年11月10日 07時50分26秒 | 右書き看板

 

瓢樹

大正10年1月3日、瓢樹は祇園町北側に創業し昭和7年、東山三条に移転した後も、

仕出しの店として皆様に可愛がっていただきました。

そして「どこかに席はないのか?」という有難い多くのお言葉と、

今尾景年邸との不思議なご縁で、平成13年5月、料理屋「懐石瓢樹」として生まれ変わりました。

 

五味調和天下治

 

福富蘇峰より、瓢樹初代 西村卯三郎が贈られた言葉です。

五味とは甘い・辛い・酸っぱい…をあらわす中国の言葉。

五味が季節・器・人の心と調和した時、それは天下をも治める力をもつ。

この言葉に肖りたい。瓢樹の想いは90年経った今も何ひとつ変わりません。

 

京料理

京都の風土、京都の風情あってこその、京料理。

京都の自然が、京都の料理をつくります。

京料理はあらゆる条件が揃ってできるものであって、わざとにはできません。

京都を一歩離れたら、それは京料理ではないのと違いますやろか。

京風。料理において、この言葉は有り得へん。そう思います。

 

素材

下手な料理をするよりも、いい素材であれば、それだけが料理の値打ち。

料理はつくるものではありません。いえ、つくったら、あかんのです。

自然にあるものを、自然のままに。

いい素材であれば、余計なことはしなくて済むんです。

 

もっさり、たっぷり

いかにシンプルに仕上げるか。

いかに無駄をなくすか。

いかに自然や季節を感じていただけるか。

瓢樹の料理はそれに尽きます。きれいにつくらなくていい。

美味しく、そしてもっさり、たっぷりと。

 

ここは画家の邸宅

瓢樹は日本画家・今尾景年邸宅の1階を使わせてもろてます。

作品は 祇園祭の鉾にもありました ➡  函谷鉾  天井に鶏の絵   祇園祭

少しでも派手でなく、どちらかと言えば地味な建物。

それでいて堂々たる建物。普通の建物ではありません。

この家は、日本人みんなの宝物。独り占めするところではありません。

そこに少し、補う程度の料理が出せたら。そう思います。

 

※今尾景年邸は2008年3月7日

日本の重要文化財に登録されました。

大正3年の建築です   ➡ 中京区  登録有形文化財

関連記事 ➡ 人物021 今尾景年

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