競馬マニアの1人ケイバ談義

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真の相州仲原を探してみる1の4

2017年03月27日 | 我が町探訪
前回発生した新たなる疑問。まずは問題箇所の地図を貼ってみましょう。

私は昔の航空写真(昭和30年代後半)のまま下田川が暗渠になったんだと思ってたのですが、Q地点で下田川はなぜかぴょこんと曲がってました。これはどう考えましょうか? a案・b案・c案・d案と4つの案が思い浮かびました。

a案は暗渠は外周を廻ってるというもの。新たに地図を用意しました。

N地点で中等教育学校の下に入らず、外周の通りを通ってQ地点に入るという説です。点線で示したルートがそれです。

b案はパイロット通り筋に入ってる暗渠の水がQ地点から水路に入ってるというもの。ただし、昔の地図をみると、該当する川がありません。だいたいこの地域は6000年前は海でした。相模川(馬入川)と金目川(花水川)が運んできた砂が堆積してできた平野なのです。となると、東西にのびる砂丘だらけとなります。南北に流れる自然の川は大元の相模川と金目川だけのはず。南北にのびる川は考えられません。

c案は実は大原高校(現中等教育学校)とサッカー場を造るときに下田川は埋めてしまったというもの。つまりQ地点から新たなる川が始まってるという説です。これだとR地点で川が逆に流れてる理由の説明がつきます。しかし、すでにQ地点の水路には水面があります。

Q地点ですでにこれだけの水があるということは、やはり暗渠の水が流れ込んできている証拠。だいたいQ地点が新下田川の源流なら、水路の端がぴょこっと曲がってる理由がありません。

d案ですが、a案に近いもの。中等教育学校の土地は暗渠だけど、サッカー場の下は通らず、その手前で曲がって外周通りに入るというもの。サッカー場となるとかなりしっかりと基礎を造ってるはず。となると暗渠を通すスペースがなく、しかたなく迂回させた可能性があります。
私はd案が一番近いかなあと思ってます。ただ、この案だとR地点で水が逆に流れている理由の説明がつきません。今回はそれは無視することにしましょうか。
もしかしたら、公図を買ってくるとわかるかかもしれません。例えばR地点。実はここだけ構図を買ってあるんですよ。

着色は私がしてます。見ての通り、水路の位置も、元水路の位置も、道路の地図もまるわかりです。このように暗渠があると思われる箇所の構図をとれば暗渠を辿ることができるかも。でも、構図って1通450円するんですよ。下田川のすべての公図をとるとなると、軽く100通は必要になると思います。金額にすると5万円かな? そんなわけでも公図は禁じてとします。

下田川の源流を訪ねる旅を続けましょう。次はS地点です。

ここから急に道は狭くなります。

次はT地点。

ここにはとっても大きなグレーチングがありました。

ここを下田川の源流にしましょうか。昭和30年代後半の航空写真ではさらに下田川はのびてるんですが、このへんは明らかに農業用水路でした。川としては無視してもいいと思います。

最後に1つお断り書きを。Q地点とR地点の間で姿を現してる下田川ですが、実際の水路と私が引いた線とずれがありますよね。実は昭和30年代後半の航空写真を元に線を引くとこのようになるのです。昭和50年ごろの航空写真を見ると、水路にこのような不自然な曲がりが発生してます。こーなった理由はわかりません。


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