大政・小政の気ままな日誌

キャンピングカー(小政号)の出番が減って覚書のブログになっています。ボケ防止の為に毎日継続することを目標にしています。

一人になったブラリ旅(水口城~膳所城(ぜぜじょう))

2014年05月07日 | 大政一人ブラリ旅
道の駅「アグリの郷栗東」の朝



流石、東海道新幹線です、ひっきりなしに爆音を轟かして新幹線が走って行きます。



今日の天気も良さそう・・・・今回の旅は城巡りの旅にした。

少し寄り道になるが、現役時代に何度か出張に来た「水口」を訪ねる。東海道の宿場町なので、ゆっくり旅をしたかったが、いつも日帰りか一泊程度で遊ぶ暇はなかった、出張だから当たり前の話だが・・・・

先ずは水口(みなくち)城を訪ねる。



ここは徳川3代将軍家光が、京都への上洛の際の宿として築城された。



だからこの宿場町は、幕府の直轄領、二条城を模して作ったと言われるから、この程度ではない、この裏の広大な水口高校の野球場が本丸後



今日は連休明け、資料館の入場者は私一人、なので受付のおばさんが、付ききりで説明してくれます。



この山の上に、戦国時代以前には「水口岡山城」があった。



小さな街なので、ここへ登る時間はあるだろう。殆ど頭に入らなかったが、親切丁寧に説明してくれたおばさんに、お礼を言っって、水口歴資料館へ

途中、近江鉄道本線がある、丁度電車が通過した。



立派な建物です。



水口曳山が出迎えてくれます。



水口は、かんぴょうの発祥地なので、足踏み駆動で薄く削る。かんぴょうの話はおばさんの受売り、作り方まで教わった。



「山上の虫送り」の光景



何をしているかは、これ



「水口神社」



小さな街に、町内毎に曳山の格納庫が



高さは5.7mもある。



ここから岡山城跡に登る。



こんな道を登って行く。



途中から脇道に入ると登りが、急になる。





山頂付近になると、更に急な登り、滋賀県の県木はモミジなので、モミジが多い。



山頂付近には僅かに残った、石垣が残っています。



ここから見える風景が、東海道で遠くは富士山がある筈



山頂の本丸跡、山頂は東西に細長く、「二ノ丸」「三の丸」があったよです。



おばさんの話では、30分程度と言っていたが、登口からか?それともおばさんが若い頃登った時の話か?

登り着いたときは、12時になって、水も持って来てないし、腹も空いた。

急いで降りて、最初にあった中華料理店に飛び込んで、おまかせコースを頼んだ

これが間違いだった、ラーメンを食べたらお腹がいっぱいになって、持ち帰りに、これで夕食のメニューが決まった。



この街には沢山の寺院とお寺がある、こんなに沢山あって、成り立つのだろうか?要らぬ心配をする程

この中で、一際立派な寺が「大徳寺」



水口岡山城主時代は「香花院」だったが、徳川時代のなって、ここが家康の定宿だった事から、改名して「大徳寺」と名ずけた。



ここには関ヶ原合戦で、家康が座った石の椅子だとか



私も座ってみた、中々の座りごごち・・・新しく建造した寺院が正面に見える。



水口では田植えが終わりかけていた。



水口駅



無人駅



三叉路の中央に鎮座する「からくり時計」もう一つあるようだが、探しきれなかった。



小さい街とは言え、車に戻ると2時を過ぎていた。

次は日本三大湖城の「膳所城」に行ったが、駐車場がない、何度も辺りを回ったが見当たらないないので、断念する。

今日のお泊りはここから一番近い道の駅「琵琶湖大橋米プラザ」琵琶湖大橋の隣り

ここでのお泊りも二回目です。