爛漫日記

インターネット古書店 独楽知の、春爛漫ではなくて、秋爛漫?の日記です。

『埴谷雄高作品集 別巻 埴谷雄高論』

2005-08-28 18:17:45 | 新着本
『埴谷雄高作品集』が第1,2,3巻と別巻がまとめて手にはいったので、登録しました。
読んだことはありません。
晩年の端正なお姿をテレビで拝見して、お年を召しても語り口が情熱的なのが印象的でした。月報に書かれている魅力的な俗人振りは、難解な文章とほんとに不思議な組み合わせですね。

<月報から・俗人・埴谷雄高ー平田次三郎>より抜粋

埴谷雄高は、俗に言う実に「面倒見のいい」男である。埴谷雄高を、<文学上の師>と仰ぐよりも、<身上相談人>として頼る友人の方が、格段に多いのではあるまいか。(中略)実のところ、わたくし自身がそうであった。昼は「近代文学」の編集会議のあとで、「埴谷さん、埴谷さん、この原稿依頼はあなたからして下さいな。あの件はあれでいいんでしょうな。編集雑費をもう少し増やせませんかな。」と相談する。と、夜は夜で、会議のあと新橋のバラックのカストリ焼酎屋で、「埴谷さん、あそこのダンサーはいったい何者でしょうかね・・・」と、相談をもちかける。そんな時、埴谷雄高は、「平田くん、それはだなあ・・・」と一々教え諭し、異臭を防ぐかのように鼻をつまみ、カストリのコップに口をつけるのであった。「埴谷さん、埴谷さん」と呼びかけ寄る人々は、最初はむろん『死霊』の作家埴谷雄高におそるおそる接見するのだが、ひとたび埴谷雄高に相まみえるや、その俗人的魔力にしばられてしまい、従ってその後は文学上の師としてよりも、人生相談人としての埴谷雄高に見参するという仕組みなのであった。この仕組みは、むろん埴谷雄高の仕組んだものでもなく、呼びかけ寄る人々の仕組んだものでもない。<闇のなかの黒い馬>などという夢と妄想のなかに<存在>を問う男の、実人生におけるなんともはや見事なる俗人振りが、偶然まねいた巧まざる人生の面白くも不思議な仕組みとでもいうべきものなのだ。

売り切れました。(2006年3月3日)
コメント
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