爛漫日記

インターネット古書店 独楽知の、春爛漫ではなくて、秋爛漫?の日記です。

『わたしのなかのかれへ』(倉橋由美子・講談社)

2005-08-21 15:54:40 | 新着本
<カミユの『異邦人』やカフカの作品ーわが青春の読書ー>から抜粋

 青春というのはだれかを愛して夢中になりたい時期なので、同じことを読書においても求めがちである。精神は一種の充血状態にあって、人間であれ書物であれ、恋の相手と出会うことを待っている。(中略)

 ところで青春の読書がそういうものだとすると、それははたして読書なのだろうか?偶然出会って恋をした一冊(または数冊)の書物との媾わりで精神が形成されてしまうのは耐えがたいことではないだろうか?いまになって考えると、このような青春期の読書そのものは未定形の精神がかかるひとつの病気であって、大切なことはこの病気からの回復に成功するかどうかということである。これには十年を要することもあり、病気がひどくて治癒のみこみのないこともある。
 このあとの場合、ひとはたとえば太宰治風の顔をもった侏儒のまま老年に達することになる。このような精神の畸形をつくることが読書であるならば、そして一冊の書物または一人の作家がそのような力を精神に対してもちうるとすれば、読書とはまことに恐るべきものというほかはない。(中略)

 わたし自身にも青春ということばと結びつくような何冊かの本があって、たとえばカミユの『異邦人』やカフカの作品その他をあげることができる。そしてそれらについて語ることは自分の過去の恋と病気について語るにひとしいので、現在青春の時期にいるひとの読書に資するものはなにもない。
 くりかえしになるが、青春というのは恋をしたがっている、どうしようもない時期なのである。好きなものを読んで病むほかはない。精神にとって重要なことは、この前後の時期に、古典に対してどのような関係をもつかということにつきる。

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中国語

2005-08-21 01:02:45 | Weblog
毎週土曜日の夕方、中国語を習い始めて約1年5ヶ月になる。
きっかけは、台北へ観光で行った時、街にあふれる漢字の大体の意味がわかるけど、発音が全然違うし、変な?漢字が多いので、何だこれは?って興味をもったことから。

軽い気持ちで始めたら、先生が熱心だし、語順がシンプルでおもしろいなあと、結構楽しんでいる。
まだ単語をポツポツしか言えないけど、話せるようになりたいと思う。
私の性に合う言語のような気がする。
英語より、ず~っとやってて楽しいもの。

先生が、北京オリンピックまではまだ3年あるよと励ましてくれるので、続けてみようと思ってる。
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