<カミユの『異邦人』やカフカの作品ーわが青春の読書ー>から抜粋
青春というのはだれかを愛して夢中になりたい時期なので、同じことを読書においても求めがちである。精神は一種の充血状態にあって、人間であれ書物であれ、恋の相手と出会うことを待っている。(中略)
ところで青春の読書がそういうものだとすると、それははたして読書なのだろうか?偶然出会って恋をした一冊(または数冊)の書物との媾わりで精神が形成されてしまうのは耐えがたいことではないだろうか?いまになって考えると、このような青春期の読書そのものは未定形の精神がかかるひとつの病気であって、大切なことはこの病気からの回復に成功するかどうかということである。これには十年を要することもあり、病気がひどくて治癒のみこみのないこともある。
このあとの場合、ひとはたとえば太宰治風の顔をもった侏儒のまま老年に達することになる。このような精神の畸形をつくることが読書であるならば、そして一冊の書物または一人の作家がそのような力を精神に対してもちうるとすれば、読書とはまことに恐るべきものというほかはない。(中略)
わたし自身にも青春ということばと結びつくような何冊かの本があって、たとえばカミユの『異邦人』やカフカの作品その他をあげることができる。そしてそれらについて語ることは自分の過去の恋と病気について語るにひとしいので、現在青春の時期にいるひとの読書に資するものはなにもない。
くりかえしになるが、青春というのは恋をしたがっている、どうしようもない時期なのである。好きなものを読んで病むほかはない。精神にとって重要なことは、この前後の時期に、古典に対してどのような関係をもつかということにつきる。
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青春というのはだれかを愛して夢中になりたい時期なので、同じことを読書においても求めがちである。精神は一種の充血状態にあって、人間であれ書物であれ、恋の相手と出会うことを待っている。(中略)
ところで青春の読書がそういうものだとすると、それははたして読書なのだろうか?偶然出会って恋をした一冊(または数冊)の書物との媾わりで精神が形成されてしまうのは耐えがたいことではないだろうか?いまになって考えると、このような青春期の読書そのものは未定形の精神がかかるひとつの病気であって、大切なことはこの病気からの回復に成功するかどうかということである。これには十年を要することもあり、病気がひどくて治癒のみこみのないこともある。
このあとの場合、ひとはたとえば太宰治風の顔をもった侏儒のまま老年に達することになる。このような精神の畸形をつくることが読書であるならば、そして一冊の書物または一人の作家がそのような力を精神に対してもちうるとすれば、読書とはまことに恐るべきものというほかはない。(中略)
わたし自身にも青春ということばと結びつくような何冊かの本があって、たとえばカミユの『異邦人』やカフカの作品その他をあげることができる。そしてそれらについて語ることは自分の過去の恋と病気について語るにひとしいので、現在青春の時期にいるひとの読書に資するものはなにもない。
くりかえしになるが、青春というのは恋をしたがっている、どうしようもない時期なのである。好きなものを読んで病むほかはない。精神にとって重要なことは、この前後の時期に、古典に対してどのような関係をもつかということにつきる。
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