食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『患者と家族間、意識のずれ』

2013年06月07日 18時03分44秒 | 癌のこと

病気になり入院したり手術をしたりすると、本人は勿論のこと家族も同じように心配

して、文字通り一心同体になり病と闘う。だから医者からの注意や自分で持ってい

る知識から、少しでも身体に障るようなことは避けるよう行動したり、進言したりする。

私も入院中に妻からあれこれと細かいことを言われると、心配してくれていることは

十分判っているのに、過度な受け止め方になることがあった。つまり『五月蝿いこと

を言うな。そうした物言いの方が余程身体によくない』と思わせるのだ。例えば私は

塩辛いものが好きだから塩辛を食べたいと言うと『塩辛いものは避けるよう医者から

言われているのに…』と小言をつかれる。

気分のいい時、悪い時によって受け止め方は異なり、そうしたある日は『もう何も言う

な。このままずっと入院していた方がいい』と言えば『私が身体の心配をしなくていい

ってことなの?』と応える。こうなると、病人と看病人の会話ではなくなってしまい、元来

の目的である早く良くなることへのアプローチとはかなり外れてしまう。この関係には

会話の糊代となる部分、つまり余裕を無くしているから『少しでも決め事から外れるこ

とは許されない』となってしまっている。

また夜遅くダンピング症状に似たワナワナ感が出て『甘いもの』が欲しくなりチョコを

食べようとすると、妻は『夜遅くに・・・・』と小言めいたことを言う。

私にすればむやみに夜遅くチョコを食べようとしているのではなのに、言われなきこ

とを言われてはと、感情を害することもある。ダンピング、甘いものを食べる、このこと

は判っているはずなのに馬鹿なことを言うな。このケースも妻は『夜遅く甘いものを食

べる』この事の害の心配をしているからである。妻は普段から口煩いことはないし嫌

味を言うことなどないから、心底からの心配であることをよく理解している。

このように患者と家族間でも知らずの内に意識のずれが存在していたことを後で気

付き自分でも驚いている。意味合いは少し違うかもしれないが、病気をした先輩の

お言葉。『身体にメスを入れたり、大病すると精神的にも弱り、健常な人には理解で

きないことも起こしうる』だから病気の人と接するときにはその心の中を、そうしたフィ

ルターをつけて見てあげて・・・・。これは自分が病気をして分かったことだから人に

言えるのだとの言。こうしたことを大きく括ってしまうと、『慮(おもんばか)る』というこ

とへの配慮の仕方ではなかろうか。


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