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食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

プランター米に初穂

2012年07月28日 18時32分42秒 | 日記

『初穂』

プランター米に待望の初穂がついた。稲の苗を貰ったお隣りさんが先日『穂

がつき始めたから、追肥がいる』と言っておられたが、プランター米は、それ

から10日以上も遅れて穂が出始めたことになる。

例年の出来具合では、2から3合くらいは収穫できるが、量によっては単独

で籾摺りはできないから、他の米と一緒にしてしまう。

今年の出来は如何?

 

『いじめ、言葉で誤魔化すな』

大津市のいじめ問題は毎日のワイドショーを賑わせている。勿論、この種の

番組だけではなく、某国営放送も問題視し専門家を交えて、対処方法や原

因について細かく分析している。

しかし、子供たちの世界の中での序列の崩壊、そこで経験する大切なものを

身に着けられない、感性、家庭の躾、とりわけ教師と家庭との信頼関係は希

薄。いつから、こんなことになったのだろうか。先生が生徒にちょっとした体罰

を与えると、保護者が先生を犯罪人のように罵る。

子供が体罰を受けた原因が家庭の躾にあっても、先生の体罰の方が悪いの

だ。昔話、先生に叩かれたなどと親に言えば『どんな悪いことをしたのかと』と

責められ、時には先生のそれより、ひどい目に遭うこともあった。

『いじめ』なるものは昔からあった。しかし、その質は雲泥の差がある。現代は

学校で起こっているこの種のことは全て『いじめ』と一括りにしてしまっている。

だから、とても程度の悪いことがあっても『いじめ』、子供の間でよくあるいじめっ

子がいじめるのも『いじめ』として処理される。だから、いじめがあることは学校と

しては最悪のレッテルを貼られたと同じだから、出来れば穏便に始末したくなる

のだ。

報道されている内容が本当ならば、これは立派な犯罪だ。例え少年法などで保

護されるにしても、犯罪に対する償いはどんな形であれ、しなければならない。

歯車が狂ったのは、学校か、形骸化している教育委員会か、保護者か、それと

も本人か。

報道や俄か評論家のわたしのような者とは別に、ネットの世界ではいじめたとさ

れる子供の実名、写真、親の会社、実施されたアンケートの纏めなど詳しく流

ている。一方では個人情報の保護といい、一方では無限に情報が流れる。

興味本位だけで情報を欲しがる、そうした要望がある限り、このような現象は

避けられないのだろうか。

 数本の穂がついた 


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