『初穂』
プランター米に待望の初穂がついた。稲の苗を貰ったお隣りさんが先日『穂
がつき始めたから、追肥がいる』と言っておられたが、プランター米は、それ
から10日以上も遅れて穂が出始めたことになる。
例年の出来具合では、2から3合くらいは収穫できるが、量によっては単独
で籾摺りはできないから、他の米と一緒にしてしまう。
今年の出来は如何?
『いじめ、言葉で誤魔化すな』
大津市のいじめ問題は毎日のワイドショーを賑わせている。勿論、この種の
番組だけではなく、某国営放送も問題視し専門家を交えて、対処方法や原
因について細かく分析している。
しかし、子供たちの世界の中での序列の崩壊、そこで経験する大切なものを
身に着けられない、感性、家庭の躾、とりわけ教師と家庭との信頼関係は希
薄。いつから、こんなことになったのだろうか。先生が生徒にちょっとした体罰
を与えると、保護者が先生を犯罪人のように罵る。
子供が体罰を受けた原因が家庭の躾にあっても、先生の体罰の方が悪いの
だ。昔話、先生に叩かれたなどと親に言えば『どんな悪いことをしたのかと』と
責められ、時には先生のそれより、ひどい目に遭うこともあった。
『いじめ』なるものは昔からあった。しかし、その質は雲泥の差がある。現代は
学校で起こっているこの種のことは全て『いじめ』と一括りにしてしまっている。
だから、とても程度の悪いことがあっても『いじめ』、子供の間でよくあるいじめっ
子がいじめるのも『いじめ』として処理される。だから、いじめがあることは学校と
しては最悪のレッテルを貼られたと同じだから、出来れば穏便に始末したくなる
のだ。
報道されている内容が本当ならば、これは立派な犯罪だ。例え少年法などで保
護されるにしても、犯罪に対する償いはどんな形であれ、しなければならない。
歯車が狂ったのは、学校か、形骸化している教育委員会か、保護者か、それと
も本人か。
報道や俄か評論家のわたしのような者とは別に、ネットの世界ではいじめたとさ
れる子供の実名、写真、親の会社、実施されたアンケートの纏めなど詳しく流
れている。一方では個人情報の保護といい、一方では無限に情報が流れる。
興味本位だけで情報を欲しがる、そうした要望がある限り、このような現象は
避けられないのだろうか。