10月6日(土)、ただ今発掘調査が行われている焼津市の花沢城の現地説明会に行ってきました。
花沢城は、永禄11年(1568)12月に武田信玄が駿河に侵攻し今川氏真が駿府を追われた後も、今川氏の家臣大原資良により今川方の城として武田軍に対抗し続け、永禄13年(1570)1月に武田軍の猛攻により落城した城郭です。落城後は武田氏や徳川氏など、後から駿河を支配した大名により使用された記録はなく、今川氏の城郭の特徴を知る重要な手掛かりになるかも知れない城の一つです。
調査は雨天にたたられて一の曲輪(本曲輪)と二の曲輪の間の堀切にトレンチを入れて調査している最中とのことでしたが、堀切の斜面はしっかりと削られ人為的に急斜面にしている形跡が確認できました。
発掘調査は今後更に続けられ、2週間後の10月20日(土)にも現地説明会を行うとのことで、更なる成果が期待できると思います。(但し、私は仕事のため、残念ながら20日の説明会には行けませんが・・・)
なお、発掘調査もさることながら、一の曲輪から三の曲輪に至る主要な曲輪は草木の伐採が行われて、過去に花沢城を訪れた時より格段にきれいになっており、遺構が観察しやすくなっています。一の曲輪からは焼津・藤枝方面を一望に見渡すことができ、焼津市教育委員会と地元の方々が城跡の整備に意欲的に取り組み始めているのが伝わってきました。