静岡古城研究会会長:もっちーのブログ

静岡古城研究会会長:望月のブログです。主に静岡県内の中世城郭関係の情報を発信します。※当ブログはリンクフリーです。

伊豆の国市文化財講演会「韮山城をめぐる攻防」が開催されました

2018-01-21 07:15:57 | 報告、その他お知らせ

以前、このブログでお知らせしましたが、1月20日(土)13:00~ 伊豆の国市のアクシスかつらぎで伊豆の国市文化財講演会「韮山城をめぐる攻防」が開催されました。講演会には、地元の伊豆の国市の皆さんをはじめ、県内外の中世城郭に関心を持つ人たちが多数参加し、会場は1階席のほとんどが埋まる盛況ぶりでした。

講演会は、伊豆の国市長のあいさつ、伊豆の国市文化財課の溝口課長の趣旨説明の後、滋賀県立大学の中井均先生の講演「韮山城を攻める」から始まりました。中井先生は、小田原合戦における韮山城攻めの経緯について触れた後、信長・秀吉による城攻めや、他の戦国大名による攻城戦の遺構について紹介し、韮山城攻めの際に築かれた付城遺構や平野部の包囲網(仕寄りの堀・土塁など)について、大変興味深いお話をしてくださいました。

続いて、江戸東京博物館の齋藤慎一先生による講演「韮山城を守る」が行われました。齋藤先生は、韮山城の変遷を、伊勢宗瑞以前、宗瑞没~河東一乱まで、永禄・天正期、内藤信成段階 の4段階に分けられ、小田原合戦の際の韮山城は第3段階の永禄・天正期に位置づけられ、北条氏の「境目の城」として優れた防御構造を持っていた、と述べられました。豊富な文献史料や縄張図等を駆使した非常に興味深いお話で、天正期における韮山城の守りの要は当時の史料からすると城砦群の周囲に設けられた「大構」で、北条方の城兵は相当の自信を持っていたようだ、とお話してくださいました。

休憩の後、伊豆の国市の溝口文化財課長をコーディネーターに、中井・齋藤両先生のトーク・セッションが行われました。天正18年(1590)の韮山城の攻防戦を攻める側・守る側から掘り下げる興味深いお話で、会場のお客さんも大変満足されていたようでした。

伊豆の国市は、伊勢宗瑞(北条早雲)没後500年に向けて、来年も韮山城に関する講演会を計画しているとのことで、今から楽しみです。

   

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津久井城講演会「中世庭園から津久井城をみる」が開催されました

2018-01-20 07:00:07 | 報告、その他お知らせ

1月14日(日)、神奈川県の相模原市立博物館で、同市にある津久井城関連の講演会「中世庭園から津久井城をみる」が開催されました。この講演会は、相模原市立博物館が昨年9月24日から6回シリーズで行っている講座「戦国時代の山城 津久井城」の第5回目の講座で、前日小田原で行われたシンポジウム「小田原北条氏の絆」に参加していた方も多く、会場は盛況でした。

今回の講演会の講師は相模原市立博物館学芸員の中川真人氏で、津久井城の城坂曲輪群の発掘調査で庭園の遺構が検出されたのに伴い、庭園の歴史、中世の庭園について概説し、更に八王子城御主殿や小田原城御用米曲輪の庭園遺構を紹介、小田原北条氏支配下のの城郭内にあった庭園として津久井城の庭園を分析する、というものでした。津久井城城坂曲輪群5号曲輪は、池を持った庭園機能に特化した曲輪で、遺物の年代から16世紀後半の天正期頃まで営まれた庭園で、後背の湧水や傍らを流れる尻久保川の渓谷を借景として取り込んでいたのではないか、ということでした。

 津久井城には更に、以前発掘調査を行った御屋敷地区にも庭園の遺構があったと考えられ、同城の城主であった国衆の内藤氏の権力や小田原北条氏の家臣団の中での位置付けを考える上でも、これらの庭園遺構は非常に興味深い遺構だと思います。

  

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シンポジウム「小田原北条氏の絆」が開催されました

2018-01-19 05:49:57 | 講演会・シンポジウム情報

1月13日(土)、小田原市民会館においてシンポジウム「小田原北条氏の絆」が開催されました。このシンポジウムは昨年10月1日(日)~12月24日(日)まで小田原城天守閣で開催されていた特別展「小田原北条氏の絆」に関連するイベントで、会場は1,000名が収容できる大ホールでしたが、その1階席(750名)がほぼ満杯になるほどの盛況ぶりでした。

シンポジウムは小田原市長の挨拶の後、小田原天守閣館長の諏訪間 順 氏の特別講演「小田原北条氏のイメージと小田原城」で始まりました。諏訪間館長は、近世以降に形成された小田原北条氏の従来のイメージが最近変わりつつあること、伊勢宗瑞(北条早雲)の小田原城奪取は明応9年(1500)ではないかということ、発掘調査からみた戦国期の小田原城について、等々熱く語ってくださいました。

続いて、静岡古城研究会の名誉顧問でもある小和田哲男先生の基調講演「小田原北条氏の領国支配とその絆」が行われました。小和田先生は、伊勢宗瑞(北条早雲)、北条氏綱・氏康と続く小田原北条氏の領国支配の政策や、氏康の子どもたちと支城ネットワークについて、いつもながらのソフトな語り口で、わかりやすくお話してくださいました。

昼休みをはさんで午後は、国立歴史民俗博物館名誉教授の小野正敏先生の基調講演「戦国大名と京都-小田原北条氏にみる権威の演出」で始まりました。小野先生は、小田原城御用米曲輪と八王子城御主殿地区の発掘調査で検出された庭園遺構について、京都型の武家屋敷の空間構成を実現したものであり、小田原北条氏の権威を見せるものとして造られた、ということを他の戦国大名の同様の遺構と比較しながらお話してくださいました。

講演の最後は、東北学院大学の竹井英文先生の「城郭関係史料から小田原北条氏を考える」というお話でした。竹井先生は小田原北条氏の城郭に関する文献史料を丁寧に分析し、小田原北条氏の城郭の運用・維持・管理の状況について、文献史学の視点からお話してくださいました。文献史料で見ると、北条氏政はかなり細かい人だったようですね。

講演の後、小田原城天守閣の佐々木健策氏を司会・進行役として、同日講演を行った諏訪間氏、小和田氏、小野氏、竹井氏に加え、このシンポジウムに先立って11月・12月に講演を行った齋藤慎一氏(江戸東京博物館)、池谷初恵氏(伊豆の国市)、浅野晴樹氏(埼玉県立嵐山史跡の博物館)をパネリストに迎え、パネルディスカッションが行われました。従来の小田原北条氏のイメージが最近次第に変化しつつあること、小田原北条氏の城郭の特徴、小田原北条氏の権威・権力への志向等々について、会場にいる研究者からの発言も交えて、時間をオーバーするほど議論が盛り上がりました。

静岡県東部の伊豆・駿河東部の地域は、小田原北条氏の領国の西端に位置する訳ですが、韮山城・山中城に代表される城郭を核として、小田原をはじめとする関東地方の小田原北条氏ゆかりの地域とも連携して、小田原北条氏の城をもっとPRしていきたいものです。

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韮山城の本城東側堀切、土手和田遺構群(砦)が見頃です

2018-01-08 00:16:25 | 報告、その他お知らせ

2018年になり、いよいよ北条早雲こと伊勢宗瑞の没後500年が来年に迫ってきましたが、ただ今、伊勢宗瑞が終生の居城とした韮山城の本城東側堀切及び土手和田遺構群が、NPO法人「韮山城を復元する会」の皆様によって草木が刈り払われて整備され、冬季の現在、観察しやすい状態となっております。

昨年の11月25日(土)に、不肖私が案内役を務めさせていただきました韮山城見学会の開催以降、伊豆の国市教育委員会では本城周辺に写真のような赤旗ののぼりを設置してくれており、よい目印になっています。(ただ、強風のため一部折れたり倒れたりしていますが・・・)同日、土手和田遺構群(砦跡)は一般の方に初公開となりましたが、岩盤をくり抜いて造った障子堀や竪堀等々が、「韮山城を復元する会」の皆様のご尽力により非常に観察しやすく、土手和田砦の遺構の構造について考える格好の材料を提供してくれています。

更に、韮山城本城と天ヶ岳を遮断する三重の堀切がありますが、従来は一番東側の生活用道路となっている切り通しを除く2本の堀切は草木の繁茂により観察しにくい状態になっていました。「韮山城を復元する会」の皆様は、12月の暮れの押し詰まった頃にこの2本の堀切に生えていた草木を相当刈り払ってくださり、断面の観察もしやすい状態になりました。

以前お知らせしたとおり、1月20日(土)に中井均氏、齋藤慎一氏の講演を控えている韮山城ですが、この機会についでに現地を訪れていただき、見やすくなった遺構を堪能してみるのもよいのではないでしょうか。

    

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焼津市歴史民俗資料館企画展「焼津のお城拝見!」、1月28日(日)まで開催中です

2018-01-08 00:10:00 | 展示会情報

前回の投稿からだいぶ間が空いてしまいました。遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

さて、焼津市歴史民俗資料館では10月6日(金)から1月28日(日)まで、企画展「焼津のお城拝見!」を開催しており、このほど見学に行ってまいりました。

焼津市には、数々の中世城館跡がありますが、この企画展では、発掘調査された平地の城郭である小川城や、伊勢新九郎盛時(北条早雲)の初期の居城である石脇城、花蔵の乱の舞台にもなった方ノ上城、駿河に侵攻した武田軍と今川軍が攻防戦を展開した花沢城、徳川軍と武田軍が戦った当目砦に関する資料をとり上げています。

小川城から出土した遺物の数々や地籍図、推定復元図、その他各城の遺構概要図、焼津市内に伝わる今川義元の判物や当目砦・持舟城を攻略した直後の徳川家康の朱印状、花沢城攻撃の際の武田軍陣形図等々、コンパクトな展示ながら非常に見応えがありました。『今川記』や『甲陽軍鑑』の中身の本物は1月14日(日)以降展示ということで、来週からのラスト2週間が楽しみです。

また、焼津市内(中里)で誕生したとされる井伊直政の子直孝に関する展示もあり、井伊家と焼津との深いつながりを知ることができました。

他の市町の資料館・博物館でも、このような地元の城館を集成した展示をやってもらいたいものです。

 

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