静岡古城研究会会長:もっちーのブログ

静岡古城研究会会長:望月のブログです。主に静岡県内の中世城郭関係の情報を発信します。※当ブログはリンクフリーです。

第274回見学会「小田原の防壁シリーズ2ー足柄城の城砦ネットワークと浜居場城-」開催のご案内

2023-11-13 23:41:44 | 見学会のお知らせ

 夏のような暑い秋から急に冬のような寒い晩秋となり、やっと山城巡りに適したシーズンが到来いたしました。

 さて、当会では、来たる12月3日㈰に第274回目の見学会『小田原の防壁シリーズ2―足柄城の城砦ネットワークと浜居場城―』の開催を計画しております。昨年の山中城、箱根城砦群に続く第二弾として、北条氏の小田原の防衛線たる城砦群を見学して参ります。今回は、下記のとおり足柄城とその砦群から浜居場城に至るルートを辿ります。かなりの健脚コースとなりますが、皆さんのご参加をお待ちしております!

■実施日:令和5年12月3日 (日)

小雨決行、悪天候の場合は見学地・コースの変更あり

■見学先:足柄城と城砦群、山伏平遺構、浜居場城(脚力レベル★★★★☆)

 ※登山・山道を7.5㎞歩ける方のみ。山中の尾根道を歩きますので途中退避できません。

■参加費:会員5,000円/一般6,000円

■乗り物:市沢さんのバス

■乗車地:JR静岡駅北口ロータリー、東名足柄SA、JR足柄駅(関東方面参加者)

     ※JR足柄駅での乗車については、この時間帯に到着する電車が下り線の9:15しか無いため、

      関東方面の方に限らせていただきます。

■身支度:ハイキング程度の服装(滑りにくい靴・雨具)・弁当飲物類

■担 当:望月 徹事務局長・大木一幸理事

■申込み:11月29日(水)までにメール s-kojouken@outlook.com まで

                〔氏名、住所、連絡先(なるべく携帯電話番号)、乗車地 を明記してください〕

■日 程: 8:00JR静岡駅北口出発 → 新東名→ 9:10足柄SA→ 9:20JR足柄駅→9:50 足柄城、通り尾砦、こなら尾砦、阿弥陀尾砦(昼食)  

     →12:50山伏平→ 13:50浜居場城→21世紀の森駐車場(バス乗車)→16:20JR足柄駅→16:30東名足柄SA

     →17:50JR静岡駅(解散)

 

【見学地概要】

・足柄城(駿東郡小山町竹之下字古城跡)

 駿河国と相模国の国境に位置する交通の要衝に築かれた城。築城は室町期に駿河東部を支配していた大森氏の可能性もあるが、本格的な城郭として整備、運用したのは戦国時代、足柄峠周辺を支配していた北条氏と考えられる。足柄関を城内に取り込んだ関門として機能していたようであるが、元亀2年深沢城が武田信玄により攻略されると足柄城は対武田戦線の最前線の城となり、天正7年に勃発する第2次甲相合戦直前まで修築が加えられていた。武田氏滅亡後も駿河全土を掌中にした徳川家康に対する最前線の城郭となり、その後は天下統一を目指す豊臣秀吉との緊張の高まりと共に大改修がおこなわれ、山中城とならぶ小田原の防壁へと進化した。

 その縄張は、箱根外輪山金時山から北方に伸びる尾根が一部隆起した、標高759mの山頂部を中心に足柄峠周辺の尾根・斜面部分を利用し、尾根沿いの古道を取り込む形で築かれている。東西約700m、南北約800mの主城域は5つの曲輪で構成され、俗に「五連郭」といわれる構造をなしている。随所に北条流の築城技術が惜しみなく注がれ、南方、西方、北方に築かれた砦群ネットワークと共に、天正18年の豊臣の大軍勢襲来の緊張を今に伝えている。

こなら尾砦(駿東郡小山町竹之下字山伏平)

 足柄城明神山北東約700mの稜線上に位置し、尾根の頂上部に東西約26m、南北約33mの単郭式構造の砦が築かれており、自然地形を削り残して築いた土塁、櫓台と虎口。砦西側には堀幅9mの堀切が設けられ、駿河方面からの敵の侵入を意識した構造となっている。

阿弥陀尾砦(駿東郡小山町小山字大沢入東)

 足柄城の北東約1250m、東西約35m、南北約50mの主郭の西方から北方に切岸、横堀を巡らせ、横堀南側前面には馬出を思わせる遺構も確認できる。南方のこなら尾砦、東方の浜居場城、北方の丹土尾砦を結ぶ“ハブ機能”的役割を担う砦と考えられる。

山伏平堀切(神奈川県南足柄市矢倉沢)

 阿弥陀尾砦から東方にむかう尾根上、約800mの地点にある標高671mのピークを挟む形で幅10m弱の2つの堀切がある。中央の平場部分は自然地形と思われるが、平場東側北面に虎口跡とおぼしき痕跡も確認でき、物見、番所的なものが存在した可能性がある。天正9年に北条氏から浜居場城当番衆に出された『掟』書きにある「橋をはつし可置、并彼引橋ニ番屋を作、昼夜守手を置」とあるのは、この山伏平の遺構の事であると考えられる。

浜居場城(神奈川県南足柄市内山)

 築城者については大森氏とされるが定かではない。戦国期に北条氏により運用され、足柄城との間の通行監視や城兵の行動制限、糞尿の処理に至るまで詳細な指示を記した『はまいは掟』と『掟』でよく知られる城。

 富士山の宝永噴火の降灰で埋没が激しいが、西・北・東3方向に空堀を巡らせた主郭には西側に約40mの土塁、主郭西方には馬出遺構なども確認できる。足柄城同様、西方に強い志向性を示す縄張りからも足柄方面からの通行監視を目的とした城と考えられる。

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