浜松市東区中郡町にある旧鈴木家屋敷跡(万斛西遺跡)では、現在史跡公園整備のための発掘調査が行われており、11月15日(土)に現地説明会が開催されました。
鈴木家は、江戸時代、浜松藩内でも藩主への拝謁を許されている有力な「独礼庄屋」として地域に君臨し、徳川家康の側室阿茶局と深い関わりがあったとされる由緒ある豪農の家柄です。昨年度第1次調査が行われ、戦国時代~江戸時代の土器を含む、南北方向に掘削された溝を確認したとのことですが、今回の調査でも、屋敷の西側で南北方向に掘削された溝の遺構を確認しました。
江戸時代に描かれた鈴木家の家相図などから、同家の屋敷地は、母屋を中心とした二重の区画に分かれていたことが推測されていましたが、今回の発掘調査でその構造がある程度明らかになってきた訳です。溝の年代は、戦国時代後期~江戸時代のものとみられ、鈴木家が徳川家康と結びついて力を蓄えていたことをうかがわせるものでした。
また、屋敷地北側では、鎌倉時代に掘削されたとみられる複数の溝を確認しており、鈴木家の屋敷地が形成される以前に何らかの人工的区画が存在していたことも明らかにされました。また、発掘された土器をはじめとする遺物は、奈良時代(8世紀)から近代に至るまで多岐にわたっており、古くから人間が生活していた痕跡が確認できました。
旧鈴木家屋敷跡は、土塁は痕跡らしき高まりが認められるだけではっきりした遺構は認められませんが、南側の水田が「堀」の痕跡とみられ、相当規模の戦国期土豪屋敷の名残りをとどめています。今後の調査が楽しみな遺跡の一つです。
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