静岡古城研究会副会長:もっちーのブログ

静岡古城研究会副会長:望月のブログです。主に静岡県内の中世城郭関係の情報を発信します。※当ブログはリンクフリーです。

駿府城天守台の発掘調査現場を見学しました

2018-08-04 08:34:27 | 報告、その他お知らせ

2ヶ月以上も投稿をサボってしまい、すみません…。

7月下旬、駿府城天守台跡発掘現場の考古学関係者向けの見学会に参加してきました。

現場は天守台の四隅がきれいに検出されており、江戸城の天守台を凌ぐ規模であったことが実際に見てとれます。石垣の積み方は場所によって微妙に違うところがあり、火災や地震などの災害の度に積み直されたことがうかがえます。石垣の中には明らかに火を受けたと思われる箇所もあり、火災の規模が相当なものであったことがわかります。天守台の内部には比較的大きな石に区画された中に大量の栗石が詰められており、南東寄りの部分には大規模な井戸跡が検出されていました。大坂の陣の前に家康によって大規模に改修された駿府城は、「臨戦体制」の城郭の色彩を色濃く残していたと考えられます。

遺物も金箔瓦や鯱瓦の一部、鉛のインゴットなど興味深い物が多く出土していました。

また当日は体験見学会も並行して行われており、石割りや石曳きの実演には多くの見学者が足を止めていました。

来年度は、いよいよ天守台下層の今川氏時代の遺構にまで調査が及ぶよていとのことで、これからも目が離せませんね。

   

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韮山城 天ヶ岳砦の案内をさせていただきました

2018-05-13 23:36:25 | 報告、その他お知らせ

先日、小田原のYさんから、韮山城の天ヶ岳砦のツァーを行いたいので案内をしてもらいたい、というオファーがあり、4月末の連休中に関東方面からいらっしゃった十数名の方々を天ヶ岳に案内させていただきました。

天ヶ岳は、行ったことのある方ならわかると思いますが、標高(128m)の割には険しい斜面が多く、非常に危険な、登りにくい城の一つです。今回のツァーの参加者は女性が半数近くと多く、当初は全員付いて来れるか心配でしたが、城好きの女性のパワーは思ったより強力で、全員無事に天ヶ岳を縦走することができました。

今回の天ヶ岳縦走コースは、比較的登りやすい江川砦の裏から登り始め、岩盤をくり抜いた障子堀を越えて尾根伝いに本曲輪を目指し(途中堀切見学)、本曲輪からの眺めや虎口の構造などを堪能しつつ、堀切が連続する狭い尾根を通り、竪土塁を見ながら斜面を下り、最後の大堀切を越えてしばらく歩いて東側の下り口にゴール、というコースでした。

大きな堀切の険しい斜面を下って登って越える所や、非常に細い尾根を通らなければならない所が連続し、一行の中には悪戦苦闘している方もチラホラいましたが、ほぼ危なげなくクリアし、参加者の皆さんは山頂からの眺め(残念ながら富士山は少し雲に隠れていましたが)はもとより、変化に富んだ遺構の数々を十分楽しんでいただいたようでした。

その後、本立寺の付城跡にも行きましたが、他の付城も行きたいというリクエストが多く、また付城ツァーも秋以降に実施できれば、と思います。

それにしても、(くどいようですが)天ヶ岳は整備されていない上に険しい登り下りが多く、トレッキングシューズ、手袋、杖等の装備をきちんとして、できれば慣れた人と一緒に行った方がよいという、「危ない城」です。加えてイノシシが潜んでいるという噂もあるので、登る際には十分注意して登っていただきたいと思います。

    

 

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柏木屋敷、千福城、南一色城の現状

2018-05-12 22:29:31 | 報告、その他お知らせ

先日、近場であるがゆえに最近行っていなかった、裾野市の柏木屋敷、千福城(平山城)、長泉町の南一色城を訪れました。

先ず柏木屋敷に行きました。柏木屋敷は、一辺が100m以上ある、土塁をもった方形居館の跡として知られていますが、ここは地域の方々のゲートボールやグランドゴルフなどをやる場所と化しています。土塁はまあ何とか残っていますが、心なしか、一昨年来た時より土塁が低くなっている箇所がいくつかありました。内部を「公園」として地域の方々が利用するのはやむを得ないとしても、土塁・堀などの遺構は保護して欲しいものです。

次に千福城(平山城)に行きました。同城は最近地元の方々が少しずつ整備しているようで、樹木や草が生い茂っていた所が要所要所きれいになっており、曲輪や横堀、竪堀等の遺構が見やすくなっていました。曲輪、堀などを示す小看板も所々にあり、ある程度一般の人にもわかるように配慮がされていました。今後の更なる整備が期待されるところです。

  

次に南一色城に行きました。同城は曲輪内が個人の畑となっており、以前心ない城郭ファンが断りなく畑に入って地主さんが迷惑しているような話を聞いていましたが、今回訪れてみると、曲輪の周囲には電線が張り巡らされており、完全に入れない状態になっていました。地主さんのお気持ちを考えれば致し方ないのですが、曲輪の出入り口付近には農耕用の軽車両が入ったタイヤの跡がついており、このままだと遺構がどんどん破壊されてしまうのではないか、と危機感を覚えました。城の北側法面一帯もコンクリートの擁壁に覆われており、長泉町の教育委員会には何らかの対策をして欲しいと思いました。

この他、この近辺には裾野市大畑の大畑城もありますが、それも含め、今後城郭遺構の(少なくとも)現状保存のため、「見守り」をしっかりしなければ、と痛感した次第です。

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小田原城下・日向屋敷跡第1地点の発掘調査現地説明会に行ってきました

2018-03-18 06:50:01 | 県外の城郭の情報

少し前の話になりますが、2月3日(土)、小田原駅前(東口)の再開発事業に伴う発掘調査の現地説明会に行ってきました。現場は小田原城天守閣の北側にあたり、戦国期の小田原北条氏時代の遺構が出土したということで、説明会には多くの見学者が参加していました。

検出された遺構は、戦国時代の大溝、建物遺構、大型土坑、素掘りの井戸、畝状遺構(畑跡か)などです。

大溝は幅約6mの不整形で、暗渠や溝を埋めた後に掘削されています。暗渠は玉石造りで、埋土の遺物が16世紀半ばを下らない時期のものであることから、それ以前に造られたものと考えられます。 -ということは、その上層の大溝は16世紀半ば以降に掘られたもので、16世紀後半頃における小田原城下の何らかの改変が推定されます。大溝の南側には短径約10mの楕円形(?)の大土坑が検出されており、小田原城に関わる何らかの城郭遺構の可能性もありますが、現状では何とも言えません。

建物遺構は周囲が溝で方形に区画されており、縁辺部には縁石と立木が並べられており、方形の内部の四隅には玉砂利が敷かれているという不思議な遺構です。恐らく通常の住居などとは性格の異なる建物(施設)が建っていたことが考えられます。

また大溝の南側上段には素掘りの井戸が検出されており、中国(明)の景徳鎮窯で焼かれた白磁の菊花皿の完形品が9枚重ねられた状態で出土しました。同じ場所からは瀬戸美濃焼の水注が出土しており、井戸に伴う何らかの祭祀(まじない)が行われた可能性もあります。

以上、同地点からは今回面白い遺構・遺物が出土しており、戦国期の小田原城下を考える上で重要な資料を提供してくれたと思います。

       

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伊豆の国市文化財講演会「韮山城をめぐる攻防」が開催されました

2018-01-21 07:15:57 | 報告、その他お知らせ

以前、このブログでお知らせしましたが、1月20日(土)13:00~ 伊豆の国市のアクシスかつらぎで伊豆の国市文化財講演会「韮山城をめぐる攻防」が開催されました。講演会には、地元の伊豆の国市の皆さんをはじめ、県内外の中世城郭に関心を持つ人たちが多数参加し、会場は1階席のほとんどが埋まる盛況ぶりでした。

講演会は、伊豆の国市長のあいさつ、伊豆の国市文化財課の溝口課長の趣旨説明の後、滋賀県立大学の中井均先生の講演「韮山城を攻める」から始まりました。中井先生は、小田原合戦における韮山城攻めの経緯について触れた後、信長・秀吉による城攻めや、他の戦国大名による攻城戦の遺構について紹介し、韮山城攻めの際に築かれた付城遺構や平野部の包囲網(仕寄りの堀・土塁など)について、大変興味深いお話をしてくださいました。

続いて、江戸東京博物館の齋藤慎一先生による講演「韮山城を守る」が行われました。齋藤先生は、韮山城の変遷を、伊勢宗瑞以前、宗瑞没~河東一乱まで、永禄・天正期、内藤信成段階 の4段階に分けられ、小田原合戦の際の韮山城は第3段階の永禄・天正期に位置づけられ、北条氏の「境目の城」として優れた防御構造を持っていた、と述べられました。豊富な文献史料や縄張図等を駆使した非常に興味深いお話で、天正期における韮山城の守りの要は当時の史料からすると城砦群の周囲に設けられた「大構」で、北条方の城兵は相当の自信を持っていたようだ、とお話してくださいました。

休憩の後、伊豆の国市の溝口文化財課長をコーディネーターに、中井・齋藤両先生のトーク・セッションが行われました。天正18年(1590)の韮山城の攻防戦を攻める側・守る側から掘り下げる興味深いお話で、会場のお客さんも大変満足されていたようでした。

伊豆の国市は、伊勢宗瑞(北条早雲)没後500年に向けて、来年も韮山城に関する講演会を計画しているとのことで、今から楽しみです。

   

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