静岡古城研究会会長:もっちーのブログ

静岡古城研究会会長:望月のブログです。主に静岡県内の中世城郭関係の情報を発信します。※当ブログはリンクフリーです。

太田金山城の現地説明会に行ってきました

2017-02-20 00:02:23 | 県外の城郭の情報

2月11日(土)、群馬県太田市の太田金山城で発掘調査の現地説明会が開催され、静岡県からは少し遠い所でしたが、車で約4時間かけて行ってきました。太田金山城といえば、東日本で織豊期以前に石垣(石積み)が用いられる数少ない城郭の一つとして名高く、今回の発掘調査でも石造りの遺構が数多く検出されたようでした。

調査は主に大手虎口から山麓方面へ伸びる大手道で行われており、排水のための暗渠や岩盤を掘削して造った排水溝、石塁や石組の井戸など、関東の城郭にはあまり見られない石造りの遺構が良好な状態で残っていました。

太田金山城が築城された場所はもともと石が多い岩山であるということで、石は周辺にふんだんにあったことは確かですが、天正18年(1590)の小田原攻め以前に関東でこれだけの石を積んだり岩盤を掘削したりする技術があったことに改めて驚かされました。太田金山城にみられるような石積みは八王子城や津久井城にも一部みられ、また岩盤を掘削する技術は韮山城(天ヶ岳砦)や長浜城、河村城の障子堀でもみられることなどから、やはり太田金山城も北条氏が最終的に整備したのではないか、と個人的には思いました。

現地を一通り見学した後は、麓のガイダンス施設で映像や出土遺物などを見学し、記念にマフラータオルも購入しました。雪による東名高速道路の通行止めや圏央道・関越道の渋滞でかなり大変な道中でしたが、その苦労も十分報われた思いがした、充実した一日でした。

      

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シンポジウム「戦国黎明期に築かれた城郭 扇谷上杉氏の城」に参加しました

2017-02-19 23:20:07 | 報告、その他お知らせ

2月4日(土)、横浜市歴史博物館で神奈川県考古学会主催のシンポジウム「戦国期黎明期に築かれた城郭 扇谷上杉氏の城」が開催されました。

このシンポジウムは、15世紀後半~16世紀前半に相模~武蔵にかけて勢力を誇った関東管領の一族:扇谷上杉氏の城郭にスポットを当て、戦国前期の、小田原北条氏が関東の大半を制圧する以前の城郭について考えてみようというものでした。会場はほぼ満員の盛況ぶりでした。

シンポジウムは、糟屋館・丸山城(かながわ考古学財団:松葉崇氏)、深大寺城(調布市郷土博物館:生田周治氏)、茅ヶ崎城(玉川文化財研究所:坂本彰氏)、大庭城(藤沢市郷土歴史館:宇都洋平氏)のそれぞれの縄張や発掘調査成果についての説明の後、川越市立博物館の田中信氏の講演「『大名系かわらけ』の可能性を探る」が行われ、その後討論会が行われて閉会となりました。

シンポジウムに参加して改めて感じたことは、考古学的発掘調査においては、15世紀後半~16世紀前半の遺構・遺物が出土する城郭が結構多いということです。むしろ縄張研究でよくとり上げられる16世紀後半(永禄~天正期頃)の遺構・遺物は意外と少なく、16世紀のある時期を境に、城郭の性格がある程度変化するのではないかと思わせるくらいです。関東地方の城郭史を考える上で、今回のシンポジウムでとり上げられた扇谷上杉氏だけでなく、関東管領家の嫡流である山内上杉氏も併せた両上杉氏を抜きにしては考えられない、ということを再認識しました。

静岡県、特に伊豆地方(旧伊豆国)は、伊勢宗瑞(北条早雲)が進出する以前は山内上杉氏が守護を務めていた国で、伊豆の城郭については上杉氏が城づくりに与えた影響をよく考えてみる必要がありそうです。

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