2月27日(土)、島田市(旧金谷町)の諏訪原城跡で今年度の発掘調査現地説明会が行われ、13時からの午後の部に参加しました(10時からの午前の部に参加した人の方が多かったようで、新聞によれば合わせて約160人の方が見学会に訪れたようです)。
今年度は、城域の南部にあたる馬出が複雑に重なり合う部分(二の曲輪東内馬出、二の曲輪南馬出、二の曲輪東馬出)の一つである二の曲輪東馬出の部分を調査しているということですが、今年度の見どころは、写真に示させていただいたように、堀と曲輪内から出土した門の礎石でした。
堀は上端幅約9.5m、底部幅約1m、深さ約7.5m(現況)のいわゆる「薬研堀」で、法面の傾斜は約50°~55°、法面には堀を掘削した時の足場の跡のようなテラス状の遺構も検出されました。25年以上前に大手外馬出の内側の堀が調査されましたが、その際に確認された形状と類似しているようです。
また、曲輪西寄りから検出された門の礎石と思われる2つの礎石ですが、今までに発見された礎石よりはかなり大きめのものでした。門は四脚門だったようで、北側の堀に面した礎石は後世の植林の際に撤去されたのか残っていませんでしたが、反対側の二の曲輪北馬出の門の構造と共通する構造だったことがうかがえました。
曲輪の遺構面は、この礎石が残存していた面と下層にもう一面の遺構面があったということで、単純に考えれば下層=武田期、上層=徳川期ということになるかも知れませんが、考古学的な調査の上ではなかなかそこまで断定するのは難しいようです。ただ、今回調査された地点では45個の鉄砲玉が出土しているそうで、東海道に面したこの部分で武田・徳川の激戦が行われたことが推定されます。
まだまだ整備が続く諏訪原城。当面毎年発掘調査が行われるようで、目が離せませんね。
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