9月29日(日)、浜松市天竜区にある鳥羽山城の発掘調査現地説明会が、浜松市文化財課によって行われ、13:00からの午後の部には、副会長:望月と会計の澤田さんが参加しました。(午前の部には、もっと多くの方が行かれたと思いますが・・・)
鳥羽山城は、天正3年(1575)、徳川家康が武田方の城となっていた二俣城を攻める際に付け城として築かれ、家康の本陣が置かれたとされる城として有名ですが、今回の発掘調査及び草木の伐採等の整備事業により、いわゆる「野面積み」の石垣や、暗渠、庭園遺構が姿を現しました。
特に本丸の土塁直下に築かれた「鉢巻石垣」は見事で、総延長が約170mにも及び、「横矢掛り」的な張り出し部分を設けるなど、「織豊系城郭」の要素の色濃い構造となっており、天正18年(1590)に家康が関東に転封された後浜松周辺を支配した堀尾氏による整備が行われたと考えられています。
出土遺物も16世紀末頃の安土桃山時代のものであり、隣接する二俣城とともに、堀尾氏が天竜川水系を抑える城郭として整備したものでしょう。
二俣城と鳥羽山城は、堀尾氏の時代、「別郭一城」の城郭として、防御的な機能の高い二俣城に対して、庭園・御殿など儀礼や使節の接待の場として鳥羽山城が機能していたといわれています。今後の本格的史跡整備が待ち遠しい天竜区の二大城郭です。