10月17日(土)・18日(日)の両日、奈良大学で日本考古学協会の秋の大会があり、城郭をテーマとする講演・分科会があったので、足を延ばして奈良まで行ってきました。
1日目の17日には公開講演会ということで、奈良大学の千田嘉博学長の「城郭考古学から歴史を考える」という講演がありました。千田学長は、主に信長の城(清須→小牧山→岐阜→安土)に焦点を当て、天主を中心とした求心的・階層的な城郭構造の成立が中世城郭から近世城郭への変革の指標である、とわかりやすくお話を展開してくださいました。
2日目の18日には第2分科会が「中近世移行期の城と都市」というテーマだったので、そこに張り付いて各地の中近世の城郭及び城下町についての報告を聴きました。発表者のラインナップ及び演題は以下のとおりです。
①近藤真佐夫氏(会津若松市教育委員会)「会津若松城から神指城へ」 ②出居博氏(佐野市教育委員会)「唐沢山城から佐野城へ」 ③佐々木健策氏(小田原市文化財課)「戦国期小田原城から近世小田原城へ」 ④小野友記子氏(小牧市教育委員会)「小牧山城の成立」 ⑤冨田和気夫氏(金沢城調査研究所)「初期金沢城の構造と元和・寛永期の変容」 ⑥佐藤亜聖氏(元興寺文化財研究所)「中近世移行期の南都-多聞城築城の背景-」 ⑦宮武正登氏(佐賀大学)「肥前名護屋城と移行期の九州城郭」
- 以上です。いずれの発表も発掘調査の成果を踏まえた中身の濃い発表でした。東北から九州までの代表的な城郭調査の現状と課題がよくわかり、大変勉強になりました。
最後に、千田学長と宮武氏を司会に、他の6名をパネリストとして討論会が行われました。全体として概観すれば、中世城郭から近世城郭への変革については地域で多様な動きがあり、近世城郭への転機となったいわゆる織豊系城郭についても地域により多様性がみられる、というようなお話がある一方、信長・秀吉の城づくりについてはやはり求心性・階層性を志向していたというようなお話もありました。
秋晴れの週末の大和路、時間があればどこかの遺跡や城跡を見に行きたいような気もしましたが、中世城郭から近世城郭への変革について興味深いお話を聴くことができて、充実した週末でした。今回聴いたお話をヒントに、静岡県における中世城郭から近世城郭への変革の画期についてもじっくり考えてみたいと思います。