静岡古城研究会会長:もっちーのブログ

静岡古城研究会会長:望月のブログです。主に静岡県内の中世城郭関係の情報を発信します。※当ブログはリンクフリーです。

日本考古学協会2015年度奈良大会に行ってきました

2015-10-18 23:40:47 | 報告、その他お知らせ

10月17日(土)・18日(日)の両日、奈良大学で日本考古学協会の秋の大会があり、城郭をテーマとする講演・分科会があったので、足を延ばして奈良まで行ってきました。

1日目の17日には公開講演会ということで、奈良大学の千田嘉博学長の「城郭考古学から歴史を考える」という講演がありました。千田学長は、主に信長の城(清須→小牧山→岐阜→安土)に焦点を当て、天主を中心とした求心的・階層的な城郭構造の成立が中世城郭から近世城郭への変革の指標である、とわかりやすくお話を展開してくださいました。

2日目の18日には第2分科会が「中近世移行期の城と都市」というテーマだったので、そこに張り付いて各地の中近世の城郭及び城下町についての報告を聴きました。発表者のラインナップ及び演題は以下のとおりです。

①近藤真佐夫氏(会津若松市教育委員会)「会津若松城から神指城へ」  ②出居博氏(佐野市教育委員会)「唐沢山城から佐野城へ」  ③佐々木健策氏(小田原市文化財課)「戦国期小田原城から近世小田原城へ」  ④小野友記子氏(小牧市教育委員会)「小牧山城の成立」  ⑤冨田和気夫氏(金沢城調査研究所)「初期金沢城の構造と元和・寛永期の変容」   ⑥佐藤亜聖氏(元興寺文化財研究所)「中近世移行期の南都-多聞城築城の背景-」  ⑦宮武正登氏(佐賀大学)「肥前名護屋城と移行期の九州城郭」

- 以上です。いずれの発表も発掘調査の成果を踏まえた中身の濃い発表でした。東北から九州までの代表的な城郭調査の現状と課題がよくわかり、大変勉強になりました。

最後に、千田学長と宮武氏を司会に、他の6名をパネリストとして討論会が行われました。全体として概観すれば、中世城郭から近世城郭への変革については地域で多様な動きがあり、近世城郭への転機となったいわゆる織豊系城郭についても地域により多様性がみられる、というようなお話がある一方、信長・秀吉の城づくりについてはやはり求心性・階層性を志向していたというようなお話もありました。

秋晴れの週末の大和路、時間があればどこかの遺跡や城跡を見に行きたいような気もしましたが、中世城郭から近世城郭への変革について興味深いお話を聴くことができて、充実した週末でした。今回聴いたお話をヒントに、静岡県における中世城郭から近世城郭への変革の画期についてもじっくり考えてみたいと思います。

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長浜城跡開園記念連続講座の第3回「北条氏と伊豆」に参加しました

2015-10-12 22:23:20 | 報告、その他お知らせ

 10月11日(日)沼津市立図書館で、長浜城跡開園記念連続講座の第3回(最終回)「北条氏と伊豆」が開催され、当会では水野会長と私望月が参加しました。講師は、学習院大学の家永遵嗣先生と、江戸東京博物館の齋藤慎一先生でした。

最初の家永先生の講演は、「後北条領国と安宅船・長浜城」というタイトルで、安宅船を船隊規模で最初に保有し始めたのは後北条氏ではないかということや、北条水軍・武田水軍が戦った駿河湾海戦の背景と推移、後北条氏の水軍経営などについて、大変中身の濃いお話をしてくださいました。

次の齋藤先生のお話は、「戦国時代の伊豆国と道」というタイトルで、中世の足柄峠・箱根峠越えの東海道の歴史を紹介しつつ、韮山城を通り伊豆半島を東西に横断する(内浦-韮山-網代又は伊東)道の存在に着目し、韮山城がその「第三の道(片浦道)」の要に当たり、城内を幹線道路が通過していたのではないか、という結論を述べてくださいました。

いずれの先生も、城郭をめぐる立地・環境について、単に戦いから考えるのではない違った視点から色々と考察されており、非常に勉強になりました。

8月22日(土)から3回にわたって行われた「長浜城城跡開園記念連続講座」もこれで最終回となってしまいました。長浜城関係の学術系イベントは、その前の6月21日(土)にもトークイベントが開催されていますので、約4ヶ月、4回にわたって城を色々な視点から考える、大変良い勉強になったイベントでした。沼津市には、このような学術系イベントをまた開催して欲しいと願うとともに、県や他の市町でも積極的にやって欲しいと個人的には願っています。

 

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