ああ 人生、山あり谷あり

一日一回自分に活を入れる

きょうの聖教から

2016-06-06 10:40:54 | 日記

◎名字の言  1957年、深沢晟雄氏が村長となって行った試みが、成果をもたらした。

       保健師の採用である。後に村にできた病院で副院長、院長を務めた

       増田進医師は「保健師活動の始まりとともに、死亡率が急激に下がった」

       と証言する。保健師が何を行ったか。それは、徹底した家庭訪問だった。

       一人一人の健康だけでなく、生活、家族の人間関係も詳細に把握。だから、

       信用もあり、現場に即した発想も出た。「住民と対話している強みです。

       医師は技術者として保健師さんの意見に従い、いい結果が出た」と増田医師。

       「死亡率ゼロ」は、保健師採用のわずか5年後のことだった。

◎寸鉄     牧口先生の生誕145周年。正義を貫いた死身弘法の大生涯。魂は後継に燦然

        「ついには・たのしかるべし」御書。最後に勝つ信心だ。潔く大確信で挑戦

◎『新・人間革命』力走六十二

         “よし! どんなに苦しくとも頑張ろう。この信心で、宿命を転換していくんだ!”
         高原は、信心で、逆境を一つ一つ乗り越えていった。そのたびに確信が増した。
         ある時、持っていた土地が高く売れた。それを資金にして、家の周りの土地を

         購入し、保育園をつくろうと思った。地域の人たちの要請であった。

         保育園の開園は、順調に進んだ。献身的な職員にも恵まれた。地域の

         人びとも、さまざまに尽力し、守ってくれた。