◎名字の言 1957年、深沢晟雄氏が村長となって行った試みが、成果をもたらした。
保健師の採用である。後に村にできた病院で副院長、院長を務めた
増田進医師は「保健師活動の始まりとともに、死亡率が急激に下がった」
と証言する。保健師が何を行ったか。それは、徹底した家庭訪問だった。
一人一人の健康だけでなく、生活、家族の人間関係も詳細に把握。だから、
信用もあり、現場に即した発想も出た。「住民と対話している強みです。
医師は技術者として保健師さんの意見に従い、いい結果が出た」と増田医師。
「死亡率ゼロ」は、保健師採用のわずか5年後のことだった。
◎寸鉄 牧口先生の生誕145周年。正義を貫いた死身弘法の大生涯。魂は後継に燦然
「ついには・たのしかるべし」御書。最後に勝つ信心だ。潔く大確信で挑戦
◎『新・人間革命』力走六十二
“よし! どんなに苦しくとも頑張ろう。この信心で、宿命を転換していくんだ!”
高原は、信心で、逆境を一つ一つ乗り越えていった。そのたびに確信が増した。
ある時、持っていた土地が高く売れた。それを資金にして、家の周りの土地を
購入し、保育園をつくろうと思った。地域の人たちの要請であった。
保育園の開園は、順調に進んだ。献身的な職員にも恵まれた。地域の
人びとも、さまざまに尽力し、守ってくれた。
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