黒坂黒太郎コカリナブログ

黒坂黒太郎のコカリナコンサート活動、東日本大震災被災地支援活動など

ウィーン楽友協会公演         11月21日

2014-10-29 11:06:10 | 情報
ウィーン楽友協会コンサートまで一ヶ月を切り、練習も佳境に入ってきました。3回目になる今回は各地のコカリナ愛好家で結成された80名のアンサンブルに、早稲田大学OB合唱団も加わってくださり約100名でステージを作ります。
プログラムは
祝い(黒坂黒太郎)、賽馬(中国の曲)、奇跡の一本松コカリナで「海原」、王宮の花火より「歓喜」(ヘンデル)トリッチ・トラッチ・ポルカ(J,シュトラウス2世)、富士の山(日本の歌) アヴェ・ヴェルム・コルプス(モーツアルト)、ハレルヤコーラス(ヘンデル)、一本の樹、五木の子守歌、芭蕉布、荒城の月、斎太郎節、鳥の歌、ひばり(ルーマニア)ユー・レイズ・ミー・アップなどなど 約2時間のステージ
 ヨーロッパにお住まいの方、旅行をされる方、是非お出かけ下さい。世界一の響きを持つホールでのコンサートです。 楽友協会のホームページにも告知されています。
一行は、その後スペインに飛び、パブロカザルスの家があるエルベンドレルにあるカザルス・ホールでコンサートを行います。
写真は前回の楽友協会コンサート


ウィーン楽友協会のホームページはココをクリック


中越地震から10周年

2014-10-23 11:24:54 | 情報
今日、10月23日は新潟中越地震から10周年です。先日、10月19日(日)10周年を記念するコカリナコンサートが長岡市の新潟県立歴史博物館ホールで行われました。この博物館では震災後1周年、2周年と2年続けて支援のコカリナコンサートが行われています。8年ぶりのスタッフの皆さんとの再会。また、仮設住宅にラジカセとCDをプレゼントする支援活動を一緒に行った新潟市内や燕市の皆さんもご来場下さり、当時を懐かしく思い出しながらのコンサートになりました。ひとつ残念だったことは、この場に山古志の星野勇さんがいらっしゃらなかったことです。星野勇さんは、山古志の材木屋さんで、地震直後から私たちと被災地を繋いでくださった方です。昨年、病魔におかされ他界されてしまいました。星野さんは、震災後、まだ山古志が関係者以外立ち入り禁止だった頃、「あなた達は親戚みたいなモノだから」と私と周美を村に案内してくださり、山古志小学校の倒れた木をコカリナにするために先頭に立ってくださいました。それにより、長岡市に避難していた山古志小学校の子ども達全員に学校の木でできたコカリナをプレゼントすることができました。その後、「ありがとう」の歌づくり、CD製作へとつながり、さらに、それは東日本大震災支援活動にと発展していきました。あの中越への支援活動のモデルがあったらこそ、東北コカリナ支援が迅速に行われた、と言っても良いと思います。
星野勇さんがここにいて「奇跡の一本松」のコカリナの音を聴いてくださったら、どんなに喜んでくださっただろうと思うと残念でなりませんでした。でもきっと山古志の空から、あの笑顔で聴いていて下さったと思います。今回、山古志も訪れました。美しい棚田も復活。錦鯉が意気揚々と泳いでいました。あの時「廃村か?」とまで言われた被災地の村が復活。その姿に喜びがこみ上げました。
 山古志小学校の前庭には、星野さんが中心になり建ててくださった「ありがとう」の歌碑が光り輝いていました。いつか山古志を訪れてみてください。


矢口周美コンサート    10月11日

2014-10-21 11:15:52 | 情報
 東京文京区にあるトッパンホールにて矢口周美コンサート「大切なひと、大切なうた、大切なとき」が行われました。このコンサートは矢口周美が、一年前に他界した実姉であり、歌手の、たつの素子の追悼公演として行ったものです。矢口は満席のお客さんの元、2時間半、ナマで歌い続けました。プログラムの中心は、たつの素子が歌っていた歌、そして周美とデュエットで歌っていた歌。また新しい歌。ピアノ伴奏は北海道石狩在住の波多野信子さん。波多野さんは、たつの素子が武蔵野音楽大学在学中から一緒に演奏活動、また私、黒坂黒太郎とも若い頃一緒にステージにたっていた方です。素子さんの葬儀で再会し、今回、共演していただくことになりました。波多野さんのピアノを初めて聴くかたがほとんどだったのですが「まるでお母さんに抱かれているような温かさと、力強さを感じるピアノ」、と大変好評でした。 そのピアノで奏でられた曲「すべての日々我に益あり」は大きな評価をいただきました。これは作曲家福澤達郎氏が、黒坂黒太郎が数年前作った「すべての日々我に益あり」をピアノ、コカリナ、歌で奏でる10分もの壮大な曲に作り直してくれたモノです。この曲は矢口や素子さんの故郷、和歌山県新宮市出身の教育者・建築家西村伊作の言葉を元に創った曲ですが、今回の改作により、まさに、その西村の苦難と夢を表す曲になり、ピアノは勿論、コカリナも大変難しく、苦しんだのですが、会場からは鳴りやまぬ拍手をいただきました。次回は来年4月に神戸で再演が予定されています。是非お聴きください。コンサートにご来場下さった皆さんからは、「私も亡き人のことを思いずっと泣き続けた」「声も姿も似ていて素子さんが帰ってきたようだった」「素子さんに会ったことのない私も励ましてくれるコンサートだった」「会場全体が本当にあったかい風に包まれていた」などなど沢山感想が寄せられました。コンサートでは素子さんが育てたコカリナサークル「あすなろ」のみなさん、そして首都圏や静岡、長野のコカリナ愛好家の皆さんも共演してくださいました。


上田市芸術文化交流センター(サントミューゼ)開館式 

2014-10-17 10:34:10 | 情報
 10月2日 私の故郷長野県上田市に、新しいホールがオープンしました。ホール名は「サントミューゼ」上田市は養蚕がさかんだった事から「蚕の都」(蚕都・さんと)を掛けたのだそうです。大ホールは地元産の唐松集成材をふんだんに使い、木の響きを重視したまるで大きなコカリナのようになっています。
 この開館式のトリで黒坂黒太郎コンサート及び、地元小学生、地元コカリナサークル総勢150人で演奏させていただきました。使ったコカリナはサントミューゼ建設地に立っていたヒマラヤスギと樅の木から作られたもの。この地はかつて専売公社(日本たばこ)があったところ。そこに100年近く立っていた木がコカリナになり新しい会館のオープンを祝いました。今年の2月満席で行われた被災地支援100回フィナーレコンサート始め、高校時代からお世話になった上田市民会館とお別れするのは悲しいですが、この新しい会館でまた何か始まって行くことでしょう。

秋、再び石巻で

2014-10-16 10:20:38 | 被災地支援
 石巻での被災地支援コンサート、上田市サントミューゼ開館式、山ノ内コカリナフェスティバル、そして矢口周美の東京トッパンホールでのコンサート、と、猛烈な「忙し台風」が我が身を襲っていたためしばらくブログを書けませんでした。
 9月28日 石巻で被災地支援コンサート
 3年前のちょうど今頃、石巻門脇小学校の隣にある西光寺でコンサートを行いました。
門脇小学校の前にあった焼けた松がコカリナとなり、その復活コンサートでした。なんとか本堂が使えるようになったばかりの西光寺さんには、犠牲者の皆さんの真新しい骨壺が沢山並び、それに囲まれるようにコンサートは行われました。あれから3年、骨壺は埋葬されたものの、あの時と同じように仏壇の前にステージが作られコンサートは行われました。会場もステージの作り方も一緒なのですが雰囲気はだいぶ違うモノになりました。特に、あれから3年経ち成長した子ども達の姿は多くの大人達の目を見張らせました。終了後の懇談会は、まさにその子達が主役。この3年間で自分はどれほどの人たちと交流し、どれほど大切なモノを得て来たかを、一人一人が自分の言葉で話しました。その中でコカリナがとても大きな役割を果たしたことも伝えてくれ、嬉しさをこらえ切れませんでした。子どもたちの発言の最後に中心になってきたMさんが「門脇小学校を解体したほうが良いとの意見がありますが、それは大人の考えです。私たち門脇を卒業した子どもは、どんなにつらい体験があってもあの学校は遺して欲しい、と皆思っています。もっと子どもの意見を聞いて欲しい」と訴えました。広島へ、ウィーンへ、神戸へ、一緒にコカリナを持って旅をしたMちゃんの言葉に体を揺さぶられた日でした。
 それにしても復興は遅れている。西光寺さんの回りは3年前と全く変わっていませんでした。
写真は西光寺さんでのコンサート。上田市から来てくれたみなさんが被災地支援100回コンサートで作り上げられた100枚のタペストリーを教育長さんに手渡す。
このタペストリーは石巻の小学校全校を巡回するそうです。