黒坂黒太郎コカリナブログ

黒坂黒太郎のコカリナコンサート活動、東日本大震災被災地支援活動など

気仙沼市浦島小学校にてスクールコンサート        9月24日

2012-09-29 12:33:56 | 被災地支援
 宮城県気仙沼市も震災で大きな被害を受けました。気仙沼の市街地から唐桑(からくわ)半島を少し入ったあたりにこの浦島小学校があります。全校児童7名。震災当時は30名ほどいたらしいのですが、小さな漁村は壊滅に近い状態、幸いにも犠牲者は子ども達にもその家族にもいなかったらしいのですが、住民の皆さんは次々と村を離れざるを得なくなり、児童数は今、7名になってしまったそうです。そして、来春には廃校が決まっているとか・・。 宮城県のコカリナ製作者猪股さんから「一度訪れてくれないか」との要請を受けていたのですが、この度、陸前高田に行く機会があったので、スクールコンサートをさせていただきました。猪股さんが、大風で倒れた学校の桜の木でコカリナを作ってあげたことから交流が始まったとのこと。
 コンサートには、学校の校庭に建てられた仮設住宅から、お婆ちゃん達も参加してくださり、和気あいあいのムード。
 子ども達は、一生懸命聴いてくれ、被爆樹コカリナや広島の話も食い入るように聞き入ってくれました。 
 先日校長先生からお礼のメールをいただきました。ここにご紹介させていただきます。

黒坂黒太郎,矢口周美ご夫妻様

 昨日は,遠路わざわざ浦島小学校にお越しいただきありがとうございました。
 わずかな時間でしたが,とても心がホッとするようなひとときを子どもたちも,仮設住宅の皆さんも,そして私たち職員も過ごすことができました。本当にありがとうございました。
 子どもたちは,自分たちの奏でるコカリナの音と黒坂さんが奏でるコカリナの音との違いに驚いたようでした。
 今朝も,早速練習していました。もっともっと練習して,レパートリーを増やしコカリナはいつまでも7名の子どもたちの自慢の一つになってくれればいいなと思っております。

 今日は,陸前高田に行かれ,ご自宅にお戻りでしょうか?被災地をいつまでも思い続けていただいていることに深く感謝申し上げます。
 また,気仙沼,陸前高田にお越しの際には,いつでも気軽にお立ち寄りください。子どもたちの近況もメールさせていただきます。

 連日,日本全国を駆け回っていらっしゃるかと思います。くれぐれも健康にご留意なさりますますご活躍されますことを願っております。

2012/09/25
 気仙沼市立浦島小学校 林崎秋彦

子どもたちへの演奏指導



長野県上田市浦里小学校の火災で焼けた木をコカリナに

2012-09-23 15:24:37 | 情報
9月5日、僕の故郷の隣村にある、長野県上田市立浦里小学校の木造校舎が全焼しました。この校舎は大正時代に建てられたものだそうで、昔の小学校の姿をそのまま残しているため、映画やテレビのロケに頻繁に使われていました。児童は低学年が現在もこの校舎を使って勉強しており、廊下などをピカピカに磨き上げ、大切にしていたそうです。ですから子供達の落胆ぶりは見ていられないほどだったそうです。先日、上田のコカリナの皆さんから、「校舎の焼けた木でコカリナができないか?」との申し出があり、見に行かせていただきました。焼けた柱をみて驚きました。黒く焼けた木の奥に見えていたのは、細かい年輪が幾重にも重なった杉の柱でした。それはまるであの屋久杉にも負けないと思えるほどの銘木でした。おそらく、今から100年ほど前、学校建設に当たり近くの山に生えていた最もいい木を子どもたちのために切り出してきたのでしょう。その年輪には昔の人たちの子どもへの愛情が一杯詰まっているような気がしました。
 この木は今、製材所に運ばれ、10月5日に製材され、12月頃に浦里小学校の子供達全員(93名に)プレゼントされる方向です。
以下が信濃毎日新聞の記事です.



被災地支援コンサートVol.75     茨城県結城市   9月8日

2012-09-17 07:30:13 | 被災地支援
 結城市は茨城県西部の栃木県との県境に位置する人口5万人ほどののどかな町。2年ほど前、ユネスコ無形文化遺産に登録された「結城紬」で知られる。
 この町を活性化させるため頑張っている「結城まちづくり研究会」の皆さんの主催で「被災地支援コンサート」が行われました。
会場は「市民情報センター」という町の真ん中にある近代的な建物のホール。この町で活動を続けるコカリナサークル「桑の実」の皆さんも、休憩の後で
音程がピッタリと合った素晴らしい演奏を披露してくれました。「桑の実」の皆さんが吹いているコカリナは、この町特産の「桑の木」でできたコカリナ。
柔らかな良い音がします。そして演奏してくれた曲はこの町でできた歌「結城桑詰歌」。自分たちの町に誇りを持った演奏は桑の木のようにしっかりと根を張った素晴らしいモノでした。
聞くところによると、この町では毎年市民の皆さんが出演し、結城の歴史をテーマにした「創作市民劇」が行われているのだとか。
コンサート終了後、熱っぽく語るスタッフの皆さんの言葉にうっとりと聞き入りました。やはり元気な町の姿を見るのは本当に良いものです。


被災地支援コンサートVol.74     新潟市新津   9月7日

2012-09-16 21:53:34 | 被災地支援
かつては「鉄道の町新津市」としてその名を馳せていた。新津車両製作所があったり、JRの3路線が乗り入れているため、鉄道ファンにとってはたまらない町。
今は新潟市に合併、新潟市秋葉区となり、「新津」の名前は消えてしまった。この町にもコカリナサークルがあり、その皆さんの主催で被災地支援コンサートが行われました。
会場は公民館の会議室のような場所だったのですが、満員のお客さんの元、熱気溢れるコンサートが行われました。
コカリナサークル「夕すげの会」の皆さんの演奏はなんと「AKB48」のナンバー「桜の栞(しおり)」。若々しい音を会場いっぱいに響かせてくれました。
3年ほど前この地でやった「里唄コンサート」でできた曲、「汽笛の町」も演奏しました。

 汽笛の町                詞・曲 黒坂黒太郎

1,高鳴る汽笛はどこへ行く  秋の風に吹かれ
  遠い町のあの人へ 伝えてこの思い
  あなたと過ごした あの日の思い出が
  汽笛を聞く度に  蘇ってくる
  私は元気で暮らしている 汽笛のこの町で

2,一緒に歩いた 線路端  タンポポ咲いていた
  鉄道員の若者で 町はあふれていた
  あなたと歩いた あの道の思い出が
  タンポポ見るたびに 蘇ってくる
  あなたは元気でいるのでしょう 遠いあの町で

3,どんなに月日が流れても 思いではあせない
  美しい景色ばかりが 幾つも蘇る
  あなたの町へと 線路は続いている
  あなたの心に 汽笛よ届け
  いつまでも元気でいて下さい
  いつも祈っています



中越からのお便り

2012-09-05 12:34:07 | 被災地支援
 東北を支援を続けている中、8年前の中越地震の被災地から突然、お手紙をいただきました。
「あの時の中越支援活動の経験があったからこそ、今の東北支援がある」と感謝しながら、懐かしく読ませていただきました。

黒坂 黒太郎様
 はじめまして
突然のメールにて失礼いたします。
私は、新潟県長岡市(旧川口町)に住んでおります
森山 晴美と申します。
8年前の震災後、川口の田麦山小学校で
コカリナ演奏をしていただいた後、全仮設にカセットデッキとCDをいただきました。
あの頃は、音楽をゆっくり聴くという気持ちになれない日々でしたが、
あの瞬間だけは、嫌なことを忘れた時間を過ごせたことを
あらためて感謝いたします。あの震災をきっかけに人と人・地域との出会いが想いをつなぎ、気づいた絆や 新たに生まれた絆となって様々な交流、
新しい生き方が始まりました。震災当時 の記憶や体験を風化させることなく、語り継いでいくために、地震から生まれた絆物語を収集、記録する
という仕事を今、しています。取材をしていく中で、黒坂さんへに感謝の内容をいただきました。
その方は、田麦山(旧川口町)に住む 桜井マサノさんです。
勝手ながら 桜井マサノさんの原稿を送らせていただきます。

「あの曲を聴いたからこそ、今の私がある」
 音楽支援プロジェクト 黒坂音楽工房の黒坂黒太郎さんへ

 桜井 マサノ(田麦山)
地震後、ご近所の丸車庫の避難所から仮設住宅に入ってからのことです。緊張がほぐれたのか、疲れが出たのか
、その頃の私は人に会うのも嫌、笑い声も嫌、鍵をかけて誰にも会いたくないという気分が続いていました。
そんな様子を知ったボランティアの方に、「音楽は辛いときでもパワーを与えるから」と誘われ、重い腰をあげて
黒坂音楽工房によるコカリナの演奏会に出かけました。その時は、体育館いっぱいに素晴らしい音色が流れていて
一時的にでも気持ちがほぐれました。
しかし、その後も一向に回復しませんでした。年末の大雪が悲惨な瓦礫を隠してくれたのと、
遠方に嫁いだ娘のお産準備で忙しくなったのとで、精神的にも余裕が生まれたのかもしれません。
ふと、あのコンサート後に音楽工房の黒坂さんから、全仮設住宅に配布されたカセットデッキとCDをかけてみました。
「♪ ど~こ~かで春が~~」と、地震前は聴き流していた曲なのに、なぜか、その曲が身体の中にシンシンと入り込んで、
急に涙がぽろぽろと痛いほど流れいつのまにか号泣していました。今までの心の重荷がすーっと流れ出たような感じです。
どうしてもっと早く聴かなかったのでしょう。あわててパンフレットを捜し出し、お礼の手紙を書きました。
黒坂さんからのお返事には『「音楽支援プロジェクト」を立ち上げていて、桜井さんの内容にメンバーみんなが励まされています。
この手紙の内容を是非、プロジェクトで作るニュースで紹介させてほしい』とありました。ところが、娘のお産で長期間不在にしていたため、返事を出さずじまいになってしまったのです。
あの曲を聴かなかったら今の私はいなかった。そう思えるほど、音楽の力に生きる力と勇気を与えていただきました。
黒坂さんたちはいまも日本のどこかで、人々を助ける音楽活動をしていらっしゃると思います。
一人でも多くの人が、私のように元気づけられますよう願わずにいられません。

黒坂黒太郎より桜井マサノさんへ
桜井マサノさん
  お手紙ありがとうございました。
  お久しぶりです。お元気そうで嬉しいです。
  8年前、桜井さんからいただいたお手紙のことは良く覚えています。
  私たちはあのとき、CDラジカセと私のコカリナのCDを中越地域の皆さんに贈らせていただくというプロジェクトを立ち上げ、
一生懸命、活動させていただいたのですが、実はとても不安でした。
 プロジェクトの仲間と
「こんな事が本当に支援になっているのだろうか?」
「音楽の力って本当にあるのだろうか?」
「自己満足に終わっていないだろうか?」
「CDラジカセなんて迷惑な人もいるのでは?」
 などと日々話し合い、思い悩みながらの支援活動でした。そんな時、桜井さんからお手紙をいただきました。
その手紙にどれほど安心し、励まされたかしれません。桜井さんの手紙を読み
「ひとりでもこんな方がいるのだったら自信を持って続けよう」と言い合いました。
勢い付いた私たちは、その後頑張り、3700台のCDラジカセとCDを被災者の皆さんに届けることができました。
  そして、あの時、中越の皆さんを支援させていただいた経験が、今、どれほど役に立っているかしれません。
 昨年の東日本大震災発生以来、私たちは今、懸命に東北支援の活動を行っています。被災地支援コンサートを全国各地で展開。もう74回目になります。また、毎月のように、東北の被災地へ行っています。 コンサートをしたり、被災した木でコカリナを作り、子ども達に贈ったり。今度、そんな子ども達と一緒に作ったCDがキングレコードから発売になります。あの「奇跡の一本松」で知られる陸前高田では1000人の小学生に1000本の被災松のコカリナをプレゼントし、もう一度「千本松原」を復活させよう、と張り切っています。津波で家族を失ったり、家を失った子ども達がコカリナを吹きながら少しづつ元気になる姿は見ていて本当に嬉しいものです。
 今は「音楽には人を励ます力がある」と自信を持って言えます。
 それも中越の皆さんのおかげです。

 ここしばらく、中越に足を運んでいません。
 行きたいなあ。
 緑の山々、美しい棚田、天女のような鯉たち。会いたいです。
 中越で東北支援のコンサートなんかできたら素敵ですね。また、あの田麦山小学校で。
 暑い日が続いています。どうかお体を大切にしてください。
 またいつかお会いできること心待ちにしております。
 
                    黒坂黒太郎
 

大雪の中のCDラジカセ配布活動とCDジャケット  2004年12月


山古志「ありがとうまつり」にて 山古志小学校の子どもたちと  2006年10月