塩尻市は松本盆地の南端、長野県のほぼ中央に位置した人口6万の市。交通の要衝となっていて、JR中央線もここで東西に分かれる。ただ、今回支援コンサートが開かれたのは塩尻市の中心部から遙か離れた集落、北小野地区の公民館。お客さんはほとんどがその地区の皆さん。コンサートなどというモノを初めて観るという、お年寄り達も沢山集まってくれました。公民館長さん曰く「コンサートも公民館始まって以来のこと、200名もの人がここに集まったのも初めてのこと」。でもそれにしては、会場が素晴らしい。壁は美しい杉板が張られ、響きもとてもいいコンサートにピッタリのホール。コカリナの音が会場一杯に響き渡りました。そしてお婆ちゃん達も、涙しながら被災地の話や、被災松コカリナの音に耳を傾けてくれました。当日は長野の老舗テレビ局信越放送(SBC)のテレビが取材に入り、夜のニュースで流してくれました。放映が、ちょうど交流会が終ったところだったので、世話役の皆さんと一緒に鑑賞しました。
長野県の東部、佐久地方にある佐久穂町は6年前、佐久町と八千穂村が合併してできた町。千曲川の源流が流れ、高原列車小海線が走るのどかな町。この町にもコカリナのサークルがある。コンサート会場になったのは「茂来館(もらいかん)」と呼ばれる真新しいコミュニティーホール。 このコンサートは震災前から決まっていた「里唄コンサート」に「被災地支援」の意味あいをもたせて行われました。よって「里唄」も誕生。この町にある日本一の白樺林をモチーフに「天使の森の唄」という里唄も創り、披露しました。また、「小海線私を乗せて」という僕が15年ほど前に作り、いまだに信越放送で毎週流されている歌や、さらに20年ほど前に、佐久の共同作業所「コスモスワーク」の皆さんのために創り、歌手の上条恒彦さんが歌ってくれたりした「コスモスの道」など、佐久の曲のオンパレードとなりました。なぜこれほど佐久の曲があるかというと、教師だった父が佐久の川上村というところに赴任していたため、子どもの頃よく遊びに行っていたので、佐久は思い出いっぱいの土地なのです。 コンサートはコカリナサークル「ときめきたい」も素晴らしい演奏を披露してくれて、とても盛り上がりました。 それにしても佐久は寒い。片付けが終わり、外に出ると肌はピリリと痛いほど。でもこの寒さが人々を温かくして来たのかもしれません。その後、心がポカポカになる交流会でした。
高知では初めての被災地支援コンサート。それどころかコカリナのコンサートも初めてです。高知の数少ないコカリナ愛好家の一人、Yさんご夫妻の力によって実現しました。前日に高知入り。龍馬空港という名前の空港にYさんご夫妻が迎えに出てくださいました。車の中でYさんご夫妻は、このコンサートを計画をしたときに、高知でどのくらいの人が来てくれるのか、とても心配で、このブログに書かれた、他の地域の「チケットが足りなくなり断るの大変だった」という報告を見て「一度あんな風に言ってみたいね」と言っていたのだそうです。ところがそれが現実になってしまったのだそうです。コンサート一週間前でチケットはSOLD OUT。その後断るのに大変だった、と嬉しそうに話されていました。その夜は土佐の美味しいお酒と新鮮な鰹のタタキをたらふくいただき、身も心もリフレッシュさせていただきました。翌朝、少し時間があったので高知城へ。昔のまま残されており、下級武士控えの間を見て、このあたりに龍馬さんも居たのだろうか?と感慨深く見学しました。コンサート会場は日本キリスト教団の教会。開演1時間前からお客さんが続々と来場くださり、予定通り超満員。コンサートの中で徳島コカリナのメンバーも含めた高知コカリナサークルの演奏もあり、とても盛り上がりました。これから高知でもコカリナが盛り上がっていくことでしょう。また、高知はアンパンマンの生みの親やなせたかしさんの出身地。アンパンマンの路面電車も走っていました。そして、被災地支援のタペストリーもキルトのアンパンマン。子ども達が喜んでくれそうです。
守谷市は茨城県の最南端、千葉県との県境にある人口6万人の町。市制が施行されてからまだ10年の新しい町。 古来より災害の少ない豊穣な土地であったことから「作れば何でも採れる土地」と言われ、江戸時代から昭和・平成初期に至るまで稲作及び畑作の農業が盛んであったという。いまでは宅地開発が進み首都圏の新興住宅地になっている。特に2005年「つくばエクスプレス」が開業してから都心との時間距離が一気に縮まり、年々人口が増加している。その住宅地の中にある「高野公民館」という場所で被災地支援コンサートがもたれました。主催してくれたのは守谷のコカリナサークル「クルミ」のみなさん。当日は、朝から大雨、その雨を突いて会場一杯のお客さんがご来場してくださいました。コンサートの中でコカリナサークルの演奏もあり、メンバーの皆さんはお揃いのニットのベストで登場、コカリナ合奏を披露してくれました。そのニットがあまりにも輝いていたため、絶対に手作りだろうと判断した僕はステージで聞いてしまいました。やはり、編み物の得意な方がメンバー全員の物を一針一針編み、3ヶ月かけて作ったとのこと。 まさにコンサートのタイトル「つむぐ」にふさわしい衣装でした。そして演奏も、とても丁寧に音程を合わせ、心のこもった音を表現してくれました。
我孫子は千葉県の北部、茨城県との県境にある人口13万の町。1970年代からは首都圏のベッドタウンとして開発され、人口が増加した。
町のはずれに手賀沼という湖があり、人々の憩いの場所として愛されている。
ここにもコカリナサークルがあり、活発に活動が展開されています。そのコカリナサークルが主催して被災地支援コンサートが行われました。場所は我孫子駅前のスーパー、イトーヨーカ堂のホール。と言っても、ちゃんと照明設備も完備した300人ほど入る立派な劇場。ただ、ステージが高すぎるのと、ホールの残響が生の演奏にはあまり適していなかったため、「ステージの下で演奏したい」とわがままを言ったところ、ホールの係りのおじさんがステージ作りから照明当てまで一生懸命してくださり、感謝感謝でした。終了後、近くのレストランでコカリナサークルの皆さんと「コカリナ談義」に夢中になりました。そして締めはこの町の歌「河童音頭」。毎年夏、「志賀高原コカリナフェスティバル」に参加される我孫子のグループがいつも踊ってくれる音頭。なんともユニークな歌と踊りです。ここをクリックしたら聴くことができます。
町のはずれに手賀沼という湖があり、人々の憩いの場所として愛されている。
ここにもコカリナサークルがあり、活発に活動が展開されています。そのコカリナサークルが主催して被災地支援コンサートが行われました。場所は我孫子駅前のスーパー、イトーヨーカ堂のホール。と言っても、ちゃんと照明設備も完備した300人ほど入る立派な劇場。ただ、ステージが高すぎるのと、ホールの残響が生の演奏にはあまり適していなかったため、「ステージの下で演奏したい」とわがままを言ったところ、ホールの係りのおじさんがステージ作りから照明当てまで一生懸命してくださり、感謝感謝でした。終了後、近くのレストランでコカリナサークルの皆さんと「コカリナ談義」に夢中になりました。そして締めはこの町の歌「河童音頭」。毎年夏、「志賀高原コカリナフェスティバル」に参加される我孫子のグループがいつも踊ってくれる音頭。なんともユニークな歌と踊りです。ここをクリックしたら聴くことができます。