黒坂黒太郎コカリナブログ

黒坂黒太郎のコカリナコンサート活動、東日本大震災被災地支援活動など

3月11日 「奇跡の一本松」が鳴り、舞う

2018-01-11 18:35:37 | 日記
 ちょうど2ヶ月後、東日本大震災から7周年になる2018年3月11日、東京紀尾井ホールにて、被災地支援コンサートを行います。復興の象徴である「奇跡の一本松」からできたコカリナや布を中心に置き、カーネギホールコンサートでニューヨークの人々に大きな感動を与えたプログラムをさらに発展させお届けします。また、コカリナの音をバックに、さくら国際高校東京校のダンス部の皆さんが「奇跡の一本松」の布を持ってダンスを披露してくれます。「奇跡の一本松」の布は合奏団が身につけて演奏するだけじゃなく、もっと布の美しさを感じてもらうために、ダンスや新体操で使ってもらえないだろうか、と考えておりました。ふと、昨年6月代々木公園の野外ステージで行われたラオスフェスティバル(ラオスと日本の交流フェスティバル)で見たさくら国際高校のダンスを思い出しました。
高校の先輩でもあり、交流がある校長先生に電話で相談すると「それは素晴らしい話、ちょうど卒業式も終わった後でスケジュール的にも大丈夫です」と。さっそく12月さくら国際高校の稽古場を訪問、高校生のダンスを観させていただきました。さくら国際高校は通信制の高校。「今まで学校になじめなかった生徒達が新たな居場所を見つけ、一丸となり表現することの楽しさを追求している」とのこと。そこで見たエネルギッシュに蘇った若者達に、奇跡の一本松の布を持って踊ってもらったら、一本松も生き生きと蘇るに違いない、と確信しました。
 高校生が踊ってくれる曲はビートルズ「Let It Be」、そして私がこのコンサートのために創り上げた「立ち上がれ木達」。舞台いっぱいに広がる「奇跡の一本松」の音と舞。復活の歓びです。地震発生時刻に犠牲者の追悼も行います。是非お出かけください。
 まだ二ヶ月もあるのに、チケットが残り少なくなっています。ご来場いただける方は早めにお申し込みください。

川鍋啓子さんの葬儀

2018-01-09 10:10:44 | 日記
 1月5日 長野県富士見町で川鍋啓子さんの葬儀が行われました。会場は富士見高原教会。八ヶ岳の山麓にある赤い屋根の小さな教会です。クリスチャンである川鍋さんが通い続けた教会とのこと。素朴なものや小さなものを愛し続けた彼女らしい会場でした。そこに、新潟や東京、長野県各地から式場に入りきれないほどの沢山の方が参列されました。外気は零度以下という中、教会の中は彼女が微笑む遺影を囲んで温かい空気に包まれていました。当初、予定になかったのですが、開式前に急遽、喪主さんから献花の時に演奏して欲しい、と頼まれ、皆さんの献花が始まってから終わるまで20分近く、周美と2人で演奏し続けました。「アメージング・グレイス」「ユー・レイズミー・アップ」「ダニーボーイ」「ふるさと」そして「ありがとう」。みんな彼女との思い出の曲ばかりです。特に「ありがとう」は中越地震の時、山古志小学校の子ども達の文集を元に創り上げ、その後、新潟県中に広まり、2009年の新潟国体の時は、演歌歌手の小林幸子さんの音頭の元、会場中で大合唱された歌です。その中越地震被災地支援活動の先頭に立って、何度も山古志村などに入り、子ども達を励ましてくださったのが川鍋さんでした。この曲は川鍋さんがいなかったできなかった歌と言っても良いと思います。そして、被災地をコカリナで支援するという動きは、その後、東日本大震災の被災地支援活動へとつながっていきます。東日本大震災被災地支援100カ所コンサートは、まさに川鍋さんが中心になって始まり、全国で展開されました。川鍋さんは、この時すでに、癌をを発病されていたのですが、その体を押して、東奔西走、被災地にも出かけてくださり、沢山の被災者の皆さんを励ますことができました。ご自身はコカリナを吹こうとせず、もっぱら裏方に徹し、いつも、はち切れるような笑顔でコカリナムーブメントを支えて続けてくださいました。葬儀のあいだ、彼女との沢山の思い出が、走馬燈のように駆け巡っていました。今こうしていても思い出は尽きず、そのノスタルジアに浸ってしまいます。でも「思い出は越えていかなければ」と思います。川鍋さんもそのことを一番望んでいると思います。川鍋さん、これからのコカリナを天国から見守ってください。川鍋さん「心を込めてありがとう」。

東日本大震災支援「つむぐ」100回コンサート、発会コンサートで。一番左が川鍋さん。